【TIFF】デタッチメント

Detachment(無関心、孤立)からattachment(愛情、繋がり)へ

(第24回東京国際映画祭・コンペティション最優秀芸術貢献賞)
デタッチメント
アメリカの教育現場の荒廃は、ひとつの社会問題である。教育改革によって、全国一斉学力テストが義務化された。成績の良い学校には補助金が出され、芳しくない学校はしかるべき処置を受ける。例えばそんな学校の教師は、減給されたりクビになったり。教育の現場にも競争の論理が導入されたのだ。競争のシステムがサービスの質を向上させるといういつもの論理だ。その結果もたらされたのは、格差の拡大である。良い学校には入学希望者が殺到し、悪い学校はますます荒廃していく。良い学校では、教師は成果を上げることに忙殺され、教師と生徒、人としての繋がりが薄れていく。一方、悪い学校では、生徒が荒れ、教師の手に余るなかで、お互いが無関心になっていく。

作中、教師たちの研修に招かれた講師が演説する。「もっと成績を上げましょう。そうすれば、人が集まってきて、周りの不動産の価格も上昇し、住みやすい地域になっていく」これこそ、競争の論理の典型だ。それに対して「なんで教育の話なのに不動産の話になるのか、あいつは不動産屋のまわし者か」と彼らは反発し、研修会は冒頭で紛糾する。作中の教師たちは、なかなか骨がある。逆にだからこそ、彼らはダメ教師の烙印を押されているのかもしれないが。

一方で、派遣労働の問題がある。主人公のヘンリー・バルト(エイドリアン・ブロディ)が祖父を入所させている介護施設を見てみるといい。祖父がトイレに閉じこもったといっては、彼は電話で呼び出される。介護スタッフが不足しているのだ。いつも廊下はがらんとしていて人気がない。これも合理化が招いた現状だ。給料を安く抑えるため、派遣社員があてがわれ本当のプロがいない。

実は、主人公のヘンリー・バルトも臨時教師の身分。学校から学校へと渡り歩いている。これでは、生徒との濃密な関係を作ることができない。ところが、彼はこれまでそれを居心地よく感じていた。タイトルの『デタッチメント』(Detachment)とは、派遣のこと。あるいは無関心、孤立を意味する言葉。主人公にとってはダブル・ミーニングになっている。これは、主人公がDetachment(無関心、孤立)からattachment(愛情、繋がり)へと移行していくドラマ。人との距離を取って生きてきた彼が、人間同士の繋がりに目覚めて行くドラマである。合理化による社会問題、その表面を描いているのではなく、もっと踏み込み、それによってもたらされたそれぞれの人のDetachment、その内面を描いているところが秀逸である。

このパブリック・スクールでは、生徒も荒れているが、教師の側も皆それぞれに病んでいる。学校で教師たちと反目している校長(マーシャ・ゲイ・ハーデン)は、家でも夫から疎まれる存在になっている。教室で話をしていても、誰も話を聴く生徒がいない状態の教師(ティム・ブレイク・ネルソン)は、家に帰っても妻や子供から口をきいてもらえず、ひとり夕食を黙々と食べている。彼は、自分が透明人間なのではないかという妄想さえ抱いている。

生徒たちは、教師の言うことなどまるで聞かず、学校の環境悪化の出口は見えない。それでも学校を少しでも良くしよう。教師たちは、生徒の親御さんたちの意見を聞こうという会を催す。ところが、訪ねてきた親はひとりだけだった。子供の問題はすべて学校の責任と、苦情だけは言いにやってくるというのに。何でも人まかせ、そこに親たちの子供たちへのDetachmentが見て取れる。生徒たちが荒れるのは、親たちの無関心に原因がある。そのため、いつしか孤立した子供たちは、「こんなにも不運で、世の中から疎外されているのは、自分だけだ」と考えてしまう。

ヘンリーがひとりの生徒を救おうと話をする。「誰もが世の中のカオスに怒りを覚えている。皆、生活の中で苦悩している。君だけじゃないのだよ」また、彼は教室で、開口一番こんなことも言う。「自分を守るためには、本を読むことが大切だ。マスコミの話に惑わされてはいけない」いい言葉である。おそらく、彼自身、そうして自分を守ってきた過去がある。ただ、それゆえ、彼は孤立していることについて、問題意識を持ってこなかったという、負の遺産にもなっているのだが。

 もっともその負の遺産も、介護施設にいる祖父との関係の中で、過去が明らかになるにつれ、やむを得なかった事がわかってくる。彼にとって、それが自分を守る唯一の方法だったからだ。「これ以上人に踏み込んだら、自分は責任を負うことができない」いつでも彼は、一線を引くことによって、自分の心の安定を得てきた。

 そんな彼が、Detachmentでいられなくなったのには、死にゆく祖父と、ひとりの女生徒、そして自分の部屋に転がりこんだ、子供のようにあどけない娼婦(サミ・ゲイル)の存在がある。死にゆく祖父との関係では、自分の過去を清算せざるを得ない状態が生じる。繊細で、精神が不安定な女生徒の存在は、彼を一歩前に踏みださねばならない状態を作り出す。またどんな場合でも、自分がいかに避けたつもりになっていたとしても、それは目をつむっていたに過ぎず、責任が生じてしまうことを彼に思い出させることになる。また、若い娼婦の素直で真っ直ぐな心は、彼の頑なな心を溶かす。「初めて家族というものを持てたのに」という彼女の叫びは、一瞬でも家族の重要性を思い起こさせたことだろう。

 結局、人はDetachmentであってはいけない。合理化とは、無駄を省くこと。もっと言えば、遊びの部分をなくし、社会から弱い人間を切り捨てることをも意味する。元来人間とは不合理なものであり、それゆえそんな社会では、人心は荒廃する。疎外感、孤独が人々の間に蔓延し、誰もが自分を守ろうと他人に無関心になる。しかし、それは更なる社会の荒廃を招いていく。本を読むことはもちろん大切。それは、しっかりとした自分の考えを持つことに繋がるからだ。だから「書を捨てよ 町へ出よう」とまでは言わないが、やはり人は閉じこもっていないで、外に出て行くべきである。人と人との繋がりは、合理化した社会で大きな力となるはずである。そんなことを感じさせる作品である。ラストの「アッシャー家の崩壊」からの引用が、この作品の真髄を表し、心に残る。

追記 東京国際映画祭では21本の作品を観ましたが、本作が私のベスト・ワンです。映像センスが良い。また、過去の記憶を短いカットで挿入したり、黒板の落書きのような線画を挿入したり、あるいはスチール写真を入れてみたり、デシタル技術を駆使した自由奔放な編集が魅力的です。そのうえ、そうしたさまざまな方法で登場人物の内面に迫ることにも成功し、内容にも奥深いものがあります。しかも、ユーモアも忘れてはいない。ジェームズ・カーンがひとり癒しの部分を引きうけています。「自由化」「合理化」が盛んに叫ばれる日本は、今アメリカに追随していこうとしています。だからこそ劇場公開をと、切に願っております。

おススメ度:★★★★★
Text by 藤澤 貞彦



▼『デタッチメント』作品情報▼
監督:トニー・ケイ
脚本: カール・ルンド
出演:エイドリアン・ブロディ、クリスティーナ・ヘンドリックス、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェームズ・カーン、ルーシー・リュー、ブライス・ダナー
制作:2011年/アメリカ/97分
原題:Detachment


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▼「第24回東京国際映画祭」開催概要▼
期間2011年10月22日(土)~10月30日(日) 9日間
六本木ヒルズ(港区)をメイン会場に、都内の各劇場及び施設・ホールを使用
映画祭公式サイト:第24回東京国際映画祭公式サイト

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