かたつむりのメモワール

かたつむりが教えてくれたこと

(c)2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA

どうしてもコレクションしなくては気が済まなくなってしまうものがある。自分の大好きなもの、例えばアキ・カウリスマキ監督作品、チャップリンの映画のBlu-ray、ポール・マッカートニーのデビューから現在までのアルバム。もちろんコンプリートでなくては気が済まない。全部そろっていることで安心する。1つでも欠けていたら落ち着かない。好きなものに囲まれて日々生活することの幸せ、この心理はどこから来るのか。

タイトルバックで舐めるように写されるのは、部屋いっぱいに溢れたコレクション、いやガラクタの山。使われなくなった便器までそのまま置かれている。すべてが生きてきた証、ひとつひとつに小さな想い出が詰まっていることだろう。物を捨てられなくなる原因の1つに、幼児期のはく奪体験があると言われている。主人公の女の子グレースの人生は、はく奪体験の繰り返し。母は出産のため死去、父親も幼い時に亡くなり、そのため双子の弟とも引き離されてしまう。そしてまた、唯一の友達の陽気なお婆さんピンキーを看取ったところから映画は始まる。最期に残した謎の言葉。お話はそれに呼応して、彼女が人生を振り返る形で進んでいく。

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 グレースが集めていたのは、かたつむり。本物のかたつむりを飼っているだけでなく、置物、アクセサリー、絵画、ランプに時計などなど。ちなみに本当にこんなものが世の中にあるのかネットで調べてみたら、出てくる出てくる。グレースがいつも被っているかたつむりの帽子こそなかったが、かたつむりのヘアバンドは現実に存在していた。こんな世界があるとは想像できなかった。これはクレイアニメーションである。アダム・エリオット監督はそれらのコレクション1つ1つを粘土で作り上げている。小道具の数、実に7000個、セット数200、製作期間は8年もかかったという。その執念。根気のいる細やかな作業をする中で、監督はこの物語の主人公の心の奥底に入り込んでいったことだろう。

 彼女がかたつむりを集め始めたのは、自分が生まれた時に死んでしまった母が、かたつむりなどを扱う生物学者だったことに端を発する。かたつむりの帽子は、父親が元気な時に編んでくれたもの。目玉の部分は、マジシャンだった父親が使用していたボールである。父親が亡くなり、双子の兄弟ギルバートと別々の里親に引き取られていく時に、母親の形見であるかたつむりの小物を彼に渡し、いつかまた会うことを誓い合う。その時から彼女のかたつむり集めは始まるのである。

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ゆえに彼女のコレクションのすべてに、家族への思いが籠っているともいえる。また、かたつむりは彼女の生き方をよく表している。常に外敵を恐れ、殻の中に閉じこもり、忍耐強く困難に耐えゆっくりと前に進む。映画のポスターでは、大きなかたつむりの殻から恐る恐るといった感じで顔を出すグレースの絵が使われているが、彼女の性格をよく表している。

 グレースがペットとして大切にしているかたつむりは、殻が左巻きである。右巻きに比べて数が圧倒的に少ない、一種の変わり種である。彼女はそこに自分自身を重ね合わせていたのだろう。アダム・エリオット監督は、前作『メアリー&マックス』でもアスペルガー症候群で家に閉じこもるマックスと、いじめられっ子で友達のいないメアリーを登場させている。他の人とどこかが違う人、社会に溶け込めない人に対する視線がとても優しい。それぞれ、その人なりの生き方を尊重しているのである。

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メアリーとマックスが、文通という手段で友達となり、お互いの人生に大きな影響を与えたように、この作品では、お婆さんのピンキーとの出逢いが、グレースの人生を変える。グレースとは正反対の破天荒な生き方をしてきたピンキー、エキセントリックで多種多様の経験をしてきた彼女の言葉は、グレースを驚かせるばかりである。他人のことなんか気にしない、自分らしく生きたい。傍から見れば奇妙な彼女との交友関係が、グレースの意識をゆっくりだが、確実に変えていく。

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「かたつむりは自分の進んできた道に跡を残していくが、後戻りはできない。常に前を見て進んでいく」人にはそれぞれの個性があり、進んでいくペースにも違いがある。でもそれでいいのだ。時には立ち止まってもいいから、他人の目を気にせずに、少しずつでもいいから前に進んでいくことが大切なのだ。自分の殻を破る。そうすれば、必ずいいことがある。これは、日々迷い生きている私たちに勇気を与えてくれる作品である。

※6月27日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿 ほか全国順次公開
☆『かたつむりのメモワール』公開記念『メアリー&マックス』1回限りの特別上映決定!

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