【FILMeX】ミスター・ツリー(コンペティション)

それでも、樹はそこにありつづける。

ミスター・ツリー1
(第12回東京フィルメックス・コンペティション作品)
『ミスター・ツリー』タイトルの示すとおり、この映画は大きな一本の樹木に昇った主人公の姿から始まる。彼の名前も、樹さんだ。樹は、樹齢もかなりたっているのだろう。とても大きくて、彼が昇るとそこはまるで家のようにも見える。季節は冬、樹はすでに葉っぱを落とし、枝が骨のように無数に張りだしている。それでもここは、樹さんにとって安息の場所。温かくいつも彼を包み込んでくれる。

ここは、吉林省の田舎の炭鉱町、旧満州といえば、日本人にはわかりやすいだろうか。寒々とした風景、そこを「移住しましょう」と呼びかける軽トラックが走っていく。古びた低い屋根の並ぶこの街は、炭鉱拡張計画のため、町民の移住が進められているのだ。けれども、街が変わっても、人がいなくなっても樹はそこにあり続けることだろう。過去も現在も未来もそこにありつづける。樹の一生に較べたら人はちっぽけなものだ。

主人公の樹さんは、彼の友人たちのようには変わることができない人だ。彼らはみな街を離れている。ある者は塾の校長として成功し、ある者は鉱山会社の社長になり、皆いい車を乗り回し、中国の今を満喫している。彼はといえば、小さな車の修理工場で、おんぼろの車の修理をする仕事に辛うじて就き、まるで糸の切れた凧のようにあちらにフラフラ、こちらにフラフラと、友人たちの間をおしゃべりして歩き、お金をかりてばかりいる日々。すぐに喧嘩の仲裁に入ったり、道の真ん中で騒いでいる子供を見れば注意をしたり、人はこの上なくいいのだが、欲がない。いわば時代に取り残されてしまった人だ。

彼の幼馴染たちを通じて、現代の中国への皮肉が描かれる。塾の校長は、家を顧みず浮気をしている。亡くなった親の世話も妻に任せきりで、自分は遊んでいたようだ。そこに家族の絆が薄くなった都会の姿が透けて見える。炭鉱では度々事故が起きるが、経営者はそんなことなど気にもしない。彼の興味は靴や洋服、自動車、いかに人と違った高価なものを持つか、それのみである。中国は炭鉱での事故が絶えない。ここ吉林省でも最近事故が起こっている。いいお金にはなるが、事故が起きても大きなニュースになることはなく、被害者にはなんの保証もないという厳しい現実が待っている。そのあたりの事情は、この映画の製作者ジャ・ジャンクーの『長江哀歌』の中でも会話の中で聞くことができる。

ミスター・ツリー2 樹さんは、耳の聴こえない女性に一目ぼれし結婚する。ところが、結婚式の直前から彼の視力は急激に悪化する。すると、現実よりも幻覚や霊のほうがよりよく見えるようになる。突然未来がみえてしまったりもする。ここから映画は、大きく転調する。現実の映像よりも幻覚のほうが優位になっていく。転換点は燃え上がる火だ。結婚式の前日、弟と喧嘩するうちに燃え上がり式用のテントを焦がしてしまう火。翌日には燃えていないそのままの姿でテントが出てくるので、これは現実のものではない。亡くなったはずの父親が野原で燃やしていた焚火と同じ種類のもの、鬼火のようなものといえるだろう。では、目がほとんど見えなくなった彼が見ていたものは何か。それは、あの大きな樹木自身が見ている世界かもしれない。その証拠に彼の肉体は色々なところへ移動しているというのに、彼自身の心のほうは、いつも樹の上にあることが映像で示されている。それは、死者も生者も、現在も過去未来も区別が無く存在する世界だ。

 それゆえ、私たちは樹さんの見えない目を通して、中国の過去をも見ることができるようになる。亡くなった兄と父が頻繁に彼の前に表れて、樹さんの家族の過去が明らかになっていく。自由な空気が生まれ始めた80年代、恋人と街を歩きまわり、西洋音楽(ノーランズのセクシー・ミュージックがかかっていた)でダンスを踊った兄。文革の時代を潜り抜けてきた父は、そんな兄を不良と断罪し、樹にしばりつけ殺してしまう。世代間のギャップから起きた悲劇である。一方、90年代、ベルリンの壁崩壊、天安門事件を経て先が不透明になった時代に青春時代を過ごした主人公の樹さん、天安門事件も知らずに育ち現代の経済の反映の波に乗ることができた弟。彼らは皆、同じ家族でありながら理解し合うことはできない。そこに、時代に翻弄され続けた中国民衆の姿が見えてくる。

ラスト、樹さんは、現実の世界よりも幻想の世界の中で生きることを選んでしまっている。その中にいる限り、彼はとても幸福なのだ。そのことが何を意味するのか。この先中国はどういう方向に向かうのか。色々と想像力をかきたてられてしまう。ただひとつ言えるのは、樹はそれでもそこにあり続けるということである。想像力溢れる見事な作品だ。

おススメ度:★★★★★
Text by 藤澤 貞彦



▼『ミスター・ツリー』作品情報
監督・脚本:ハン・ジェ
製作:ジャ・ジャンクー
撮影:ライ・イウファイ
出演:ワン・バオジャン、タン・ジュオ、ホー・ジエ
原題:Mr.Tree/Hello!樹先生
制作:2011年/中国/88分


▼第12回東京フィルメックス
期間:2011年11月19日(土)〜27日(日)
場所:有楽町朝日ホール・東劇・TOHOシネマズ日劇 有楽座
公式サイト:www.filmex.net


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