【FILMex】手に魂を込め、歩いてみれば (特別招待作品)

ガザの日常と私たちの世界との距離って何だろう

(c)Sepideh Farsi Reves d’Eau Productions / ©Fatma Hassona

東京フィルメックでの映画上映当日(11月30日)、ガザでの死者数が7万人を超えたというニュースが伝えられていた。凄い数だというのはわかる。しかし数字というのはなんと無機質なことか。そこからはそれ以上のことは見えてこない。東京都23区の広さの6割くらいの広さにあたるガザの人口は210万人。そのうちの7万人ということは、5%ということになる。大変な数である。だが、それ以上ではない。その気になれば、ネットで色々な現地の様子を知ることができる。断片的に写真を見ることができる。悲惨さが少し伝わってきた。しかし遠い世界の出来事のようにも感じてしまう。それが限界だ。この作品は、その限界を打ち破る。

これは、イラン人映画監督セピデ・ファルシと現地のパレスチナ人フォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナとのビデオ通話を記録したドキュメンタリーである。セピデ・ファルシ監督は当初、ガザ地区を取材するため、イスラエルに向かっていたという。しかし入国は拒否され、カイロで足止めされてしまう。そこでカイロに逃げてきたパレスチナ人へのインタビューを始めるのだが、その1人からガザに住む24歳のフォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナを紹介される。ビデオ通話をしてみて、彼女のまぶしいばかりの笑顔を見て、監督はインタビューを中止し、彼女とのビデオ通話のみでガザの惨状を伝える映画を作る決心をしたのだという。

実際彼女の笑顔は、眩しく素敵である。飛行機の音が一日中鳴り響き、爆発音が聴こえてくる過酷な環境で、どうしてそのような笑顔を見せられるのか。観客だけでなく、監督にとってもそれは不思議なことだった。「これが普通のことだから。毎日のことだから慣れてくる」のだと、彼女はいとも簡単に言う。人は24時間怯えたまま過ごすことはできない。慣れなければ、頭がおかしくなってしまう。その自己防衛本能が異常なことを普通にしてしまっているのだろう。彼女には夢がある。「広い世界を見てみたい。今までここを出たことがないから。世界で何が起こっているのか、ここには伝わってこない。しかし、いつも夢を実現しようと歩いていくと、そこには壁がある。ずっとそんなだった」と。途中、彼女が監督に送った写真が挿入される。彼女はフォトジャーナリストとしてとても素敵な写真を撮る。ただ廃墟となった街を撮るのではなくて、そこにはいつでもけなげに生きている人たちの姿が写っている。子供たちがカメラに向かって笑いかけていたり、一生懸命生きようとしている人々の力強い姿が写っていたりする。もし、このような戦争になっていなかったら、彼女はガザの壁の外に出て、世界を旅していい写真を撮っていたことだろう。

Q&A質問に答えるファルシ監督

この映画では、スマホの画面がそのまま映し出されるのではなく、監督の部屋の様子も含めてスマホの画面が撮影されている。部屋のテレビにガザに関するニュースが流れ、ネタニヤフの記者会見の模様などが、部屋の一風景として撮影されている。パリの自宅では気持ちの良い日差しが降り注ぎ、監督の猫が撮影の邪魔をする情景も映し出されている。その中の小さな世界にファトマの姿がある。ガザの日常とパリの日常。これこそが、私たちを隔てるもの、その温度差だと気が付かされる。監督自身の姿もスマホの画面に写る。電話を掛けるところから撮影されているからだ。電話がなかなかつながらない時の監督の不安げな表情もスマホの画面に写りこんでいる。その焦りが観客にも伝わってくる。その不安に観客も共感する。時間が経過するにつけ、観客も監督と同じ気持ちになりファトマを見つめている。笑顔だったり、兄弟や父親、姪っ子の姿も一緒に写るときは嬉しくなったり、疲れた様子の時には、心配になる。このような撮影方法が取られたことで、ビデオ通話は一種の疑似体験となっているのだ。

本当にさまざまなことが語られる。ファトマ自身が作った美しい詩、ギター1本で唄う歌。命を落としてしまった家族や親族への思いも伝えられる。大好きだったおじさん、おばあちゃん、まだ小さな兄弟の子供。監督はその名前を写真と共にひとりずつ紹介していく。それで、死者は単なる数字ではなく、1人1人が尊厳を持った存在となる。2人がビデオ通話で交流した1年の間には、ファトマの親しかった友人も何人か失っていく。爆撃が日常と言えても、当たり前だが、1人1人の死が悲しく衝撃的なことには、何ら変わりがない。

私たちには何ができるのか。監督は彼女の話に時に打ちのめされることもあるのだが、常に明るく普通の会話のように、彼女と話し続けている。自分の生活のことも普通に話している。お互いに異なった日常を過ごしながらも、それを話すことで、同じ次元に立っているような親近感がもたらされる。セピデ・ファルシ監督自身、13歳で⾰命を経験し、16 歳で反体制派として投獄され、18 歳で故郷のイランを離れ、パリに移り住んだという過去がある。行きたいところは、と聞かれたファトマが「テヘラン」と答えると、私は投獄されるからそこには行けないのと、監督自身がその体験を語る。故郷から出られない人と故郷には戻れない人。そこに同士のような共感が生まれてくる。私たちには何ができるのか。それは共感する力だということがわかる。その場所におらず何もできなくてもいい。世界があなたの苦境を理解していますよ、という共感がとても大切なことなのだ。「自分たちはもう世界から注目されていない。見捨てられた存在なのではないか」そんな嘆きがニュースで伝えられていた。希望がない状態というのは、救いがない。

ガザから遠く離れた日本だが、この作品はその距離を縮めたような気がする。貴重な映画体験である。それと同時に、本当はこんな映画は観たくなかったという気もしている。本作がカンヌ映画祭での選出が発表された翌日の4月16日、ファトマはイスラエル軍の空爆を受け、家族数名と共に亡くなってしまうのである。セピデ・ファルシ監督は、ファトマと一緒に登壇できるようにと、パスポートの写しを取るなど既に準備を始めていた、その矢先の死だったのである。本当に観たかったのは、映画が上映され、彼女が監督と共にカンヌの舞台に登壇する姿であった。そんなラストがある映画を本当は観たかった。せめてファトマの願いが届き、パチスチナから、世界から戦争が無くなることを祈りたい。少しでもたくさんの人に観ていただきたい作品である。

※2025年12月5日(金)~ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

第26回 東京フィルメックス 開催概要

会期:2025年11月21日(金)〜 11月30日(日) (全10日間)
会場:有楽町朝日ホール ヒューマントラストシネマ有楽町
プレイベント:第26回東京フィルメックス 「香港ニューウェーブの先駆者たち:M+ Restored セレクション」
会期:2025年11月14日(金)- 11月18日(火)
会場:ヒューマントラストシネマ有楽町
主催:特定非営利活動法人東京フィルメックス
共催:朝日新聞社
東京フィルメックス公式サイト

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