【イスラーム映画祭】二つのロザリオ

ボスポラス海峡のごとき恋なりき

二つのロザリオ主人公ムサは、モスクの礼拝の時を告げる読誦の仕事を得て、アンカラからイスタンブールにやって来た。いかにも真面目で不器用そうな青年だ。毎朝4時、暗いうちから起きてモスクに通う生活は、質素という他はない。そんな彼が、アパートの隣に住むカトリックの女性クララに恋をする。ムサが隣にドライバーを借りにいったところ、ドアから出てきたのは、女性の手のみ。ところが、キッチンに戻ってきてふと窓を見ると、向かいは隣の部屋のキッチンになっていて、先ほどの女性の姿がすぐ近くに見える。それがクララ。金髪で色白の美しい女性の突然の登場に、彼は一目ぼれしてしまうのである。

クララは、嵐の日、教会に救いを求めて教会の扉を叩いた女性が、その場で産んだ子供。出産直後母は死に、以来教会の修道女に育てられてきた。今彼女は、教会のお手伝いをする他、母親代わりだった寝たきりの修道女の世話をこの部屋でしているのだ。その彼女の教会で、ムサは古書収集家の老人と出会い、仲良くなっていくのだが、この老人も実はクララを密かに追いかけていたことが、のちにわかる。

やがて3人は、少しずつその距離を縮めていくのだが、ムサとクララ、2人の距離はなかなか縮まらない。手がちらりと見えたのが始まりで、その後も、やっと顔が見られた、挨拶し初めて声が聞けた、ひと言会話を交わした、握手をした、名前を初めて知った、こんな調子である。老人とクララの距離は、比較的早く縮まったようだ。もしかするとクララの目には、この老人が父親のように写っていたのかもしれない。彼女が家族というものに憧れていたのは、古書店で幼い子供と家族の写真を買い求めていたことからも窺い知れるからだ。そう考えると、クララと老人との関係は、彼の秘密がわかってみると、とても切ないものがある。

3人で初めて行った旅。ムサとクララは、観光客を狙った写真屋に記念写真を撮ってもらうのだが、2人の離れ方が不自然である。ムサが写真からはみ出し、身体半分しか写っていない。お互いに惹かれていることはわかるのに、距離をそれ以上縮めることができない2人の関係が、ここに象徴される。2人が今一歩踏み出せない理由は何か。それは宗教の壁である。ムサの従弟は言う。彼女を改宗させちぇえばいいじゃないかと。しかし、彼女の出生のいきさつを考えれば、彼女が教会を捨てるということは、とても考えられないし、一方ムサにしても、神学校を出てモスクに仕事を求める身であるので、宗教を捨てるなどあり得ないことである。

2人がもっと若かったら、クララが特殊な状況で育っていなかったら、もう少し違う展開もあったことだろう。しかし、そうではない2人には、もう一歩が踏み出せない。旅行の時、傍から見ると3人はまるで家族のようであり、クララの純白の衣裳はまるでお嫁に行く前の娘さんのようでもあり、観ていてとても切ない。その場で語られたクララの重大な決断。彼女には、残された選択肢は他になかったのだろう。しかし、旅から帰宅後のキッチンでは、彼女の淡い期待のようなものが、まだ煙草の煙に漂っている。それがわかるムサはもはやキッチンのほうに行くことさえできない。窓と窓との間のそんなに離れてはいないはずの空間には、やはり最後まで見えない海峡のようなものが横たわっている。この2人の恋物語は、舞台となったイスタンブールの、まさにボスポラス海峡のようでもある。対岸がよく見えるほど非常に狭いボスポラス海峡は、昔からオリエントと西洋を分ける場所でもあり、その隔たりは思いのほか大きいのだ。そういう意味で言うと、これは、イスタンブールを心で感じられる作品とも言えるだろう。



※イスラーム映画祭関連作品サイト内記事
国内初!『イスラーム映画祭2015』全9作品が決定
『長い旅』
『神に誓って』
『ガザを飛ぶブタ』
『禁じられた歌声』
『カリファーの決断』



▼イスラーム映画祭2015▼

【開催概要】
会期: 2015年12月12日(土)~18日(金)
会場: 渋谷ユーロスペース(http://www.eurospace.co.jp/)
主催: イスラーム映画祭実行委員会
特別協力: TRANSIT編集部
運営:シネヴィル(シーハウス)
オフィシャルWEBサイト:http://cineville.jp/iff/
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