【TIFF】カリファーの決断

ニカブを被ること、それは彼女が成長するためのひとつの過程。

カリファーの決断

©Triximages

(第24回東京国際映画祭・アジアの風部門)
ニカブ(目の部分だけが開いているヴェール)を着用することになった女性の揺れる心、彼女の成長物語である。私たちが想像することができない世界、それを見せてくれる、これこそ映画の魅力だ。

美容室で働く23歳のカリファーは、父親と弟の3人暮らし。家賃が払えない、弟が学校を続けられないなど家の困窮を見かねたカリファーは、お見合いをしてサウジアラビアと貿易をしているセールスマンと結婚する。

ちなみにカリファーとは、「導く者」の意で、アラビアでは、女性には絶対につけられない名前だという。なぜならアラブ諸国では、女性が指導者になるということはないからだ。監督によれば、知り合いの女性に実際そういう名前の人がいたそうである。その女性が、インドネシアからアラビアに出稼ぎに行った時、この名前はまずいということでファテイマという名前に変えさせられた。それに対する皮肉という意味を込めて、ヒロインをこの名前にしようと思っていたのとのことである

結婚してみれば、夫は厳格なイスラム教徒だった。ニカブを着用することになったきっかけは、彼女が流産しかけてしまったことである。「これは、神の忠告だ。コーランの教えに従い、できるだけ全身を隠しなさい」何かにすがる思いだった彼女は、夫の言葉を素直に受け入れる。

初めて、ニカブを着用して街に出るシーンが強烈だ。ニカブの中から見た世界も映像で見せてくれる。自分を避けるようにして行き違う人、からかって目の前で手を振る人、不審の目で遠くからこちらを見つめる人がいる。今までいつも声をかけてきた、近所にたむろしている男の子の集団も、彼女を見ないようにしているのがありありとわかる。勤め先の美容室に行ってみれば、お客さんが数人「用を思い出した」と言って、店を出て行ってしまう。ここまで周囲の態度が一変するとは、彼女も思ってもみなかったことだろう。

バス停でバスを待てば、皆が皆、彼女の席から離れたところに座る。「テロリスト!」とののしる人も現れる。さらには、中年の女性から暴力をふるわれる。「あんたの仲間がうちの息子の顔をこんなにしたんだ」と。彼の顔にはテロの巻き添えになった時の火傷が痛々しく残っている。そして警察に連れて行かれたのは、暴力をふるった女性のほうではなくて、カリファーのほうなのであった。インドネシアと言えば、イスラム人口が世界で最も多い国のひとつである。そんな国においてさえ、これだけの差別や偏見があることに驚かされた。確かに、ニカブをつけた女性が向こうから近づいてくれば、私も恐怖を感じることだろう。ヒジャム(スカーフ)と違い、顔が見えないことがネックである。父親でさえ、娘の表情が見えないことを嘆くくらいであるから。

カリファーは、まだ23歳。高校を卒業して、叔母の美容室で働いただけの世間知らずである。流産しかけたショックから立ち直る他の方法を思いつくことはなかった。元々がそういう理由で、必ずしも宗教上の信念にしたがったものではないから、こんな状況に置かれ、心が揺れ続けることになる。その彼女の前にひとりの女性が現れる。ニカブを着用する彼女は自信に溢れ、ヴェールを取った時の顔も活き活きとしている。「自分の意志で着けるのでなければ、止めたほうがいい。これは強制ではないのだから」カリファーにそんなアドバイスをする。ニカブは、女性差別の象徴、極端に言えばそんなイメージもあるのだが、彼女の姿を見ていると、私たちがそこにすでに偏見を持っているということに気づかされる。問題は、姿ではないのだ。夫が宗教の戒律を理由に、妻の話を遮り、妻の質問に何も答えないこと。妻はだまって従っていればいいという姿勢のほうなのである。夫がそういう理由で妻にニカブを着せる時、それは初めて女性差別の意味を持ってくる。

この作品は、ひとりの女性の成長の物語だ。留守がちの夫から独立し、彼女が自分でものを考えられるようになるまで。そういう意味では、ニカブは彼女の成長に必要なものだったとも言えるだろう。ニカブを着用する女性がごく普通の23歳の女性であったこと。それを特別のことと見ていないことが、この作品の素晴らしいところである。ラスト・シーン、鏡に自分を映した時の彼女の顔は、自信に溢れたものに変わっていた。それが清々しい。

追記:映画は、リベラル派には概ね好評だったのだが、急進派によるボイコット運動を受けたそうで、興行的には振るわなかったそうである。ただ、今年の初めにはテレビ放映もされ、その時には、かなりの視聴率を取ったという。ただし、テレビでは、15分ほどシーンがカットされた。ヴェールを着たり脱いだりするシーン。暴力を振るう女性からヴェールを脱がされるシーン。これは、テレビ局が、急進派の攻撃に配慮したものであるとのことで、イスラム国家にとっても微妙な問題であることを感じさせられる。

おススメ度:★★★★☆
Text by 藤澤 貞彦


▼『カリファーの決断』作品情報▼
監督・脚本:ヌルマン・ハキム
出演:マーシャ・ティモシー、インドラ・ヘルランバン
制作:2011年/インドネシア/90分
原題:Khalifah
©Triximages


▼「第24回東京国際映画祭」開催概要▼
期間2011年10月22日(土)~10月30日(日) 9日間
六本木ヒルズ(港区)をメイン会場に、都内の各劇場及び施設・ホールを使用
映画祭公式サイト:第24回東京国際映画祭公式サイト

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