ライク・サムワン・イン・ラブ
終始イラっとさせられ、翻弄された。80歳を過ぎた元大学教授のタカシ(奥野匡)と、デートクラブから派遣された女子大生の明子(高梨臨)の会話が、上辺だけなのだ。しかも会話がそれなりに成立していることに、「どうして本音で話をしないのか!」とフラストレーションが蓄積する。
このイラついた感覚、他の映画でも感じた記憶がある。本作の監督アッバス・キアロスタミの前作『トスカーナの贋作』(10)でだ。他人同士のはずの男と女が夫婦と間違えられたことから、行く先々でなぜか夫婦然と振る舞い、フェイクな会話を重ね、次第に二人の関係に変化が訪れて・・・という物語だった。こちらの男女の会話も小気味よく噛み合い、物事がスムーズに運んで、かえって腹立たしく感じたのを思い出す。キアロスタミは、本作でも『トスカーナの贋作』のつくりを踏襲。明子の恋人ノリアキ(加瀬亮)が、タカシを明子の祖父と勘違いしたことから、タカシと明子は祖父と孫の関係を装うこととなる。
ノリアキは明子を愛しているが、不器用過ぎて彼女を束縛し、時に暴力的な行動に出る。当然、暴力は許されることではない。その前提のうえで言うが、粗暴であるが、明子への愛情を正面からぶつけるノリアキの行動には裏表がない。それに比べて明子はどうか。恋人に心を開いている様子はない。ノリアキを好きというより、恐れている。だが、その恐怖は彼の暴力だけではなく、彼が本音でぶつかってくることにどう対処していいのか分からないという困惑からもきている。そんな明子に不満を募らせ、高圧的な態度になるノリアキ。彼らの関係は、堂々巡りでしんどい。結局、彼女はタカシとのフェイクな関係に逃げ込む。
ノリアキに嘘がばれることを不安がる明子に、タカシは温和な口調で「大丈夫、上手くいくよ」と落ち着かせようとする。この何度も繰り返される「大丈夫」に、私のいら立ちはピークに達した。一体何を根拠に“大丈夫”なのであろうか。嘘が暴かれない自信はどこからくるのか。そんなことは一時しのぎでしかない。タカシの「大丈夫」は、いわば偽善ではないのか。そんなふうに、二人が現実から目を背けていることに、見ている側はイライラして仕方がなかった。
フェイクな関係は、現実のそれより居心地がいいかもしれない。だが、それでは現実逃避しているだけ。キアロスタミは、リアルな人間関係を構築することを躊躇する人物を描き、問題提起をしている。本作や『トスカーナの贋作』でフェイクな関係を主題にしたキアロスタミは、それを隠れ蓑にする人間を、快く思っていないのではないだろうか。
ノリアキの破壊的な行動は、それに対する警告だ。もちろん、本心を全て吐き出せばいいというものではない。でも、上っ面だけの関係に適当に満足し、厚顔を晒すのも、嫌だ。それゆえに私もそれまでのいら立ちから、彼の怒りの集約的な行動に、(決して褒められる行為ではないにしても)わずかながら溜飲を下げる思いがした。青臭いようだけれど、リアルがフェイクより勝ることを、信じたいから。キアロスタミはそんな望みを繋いでくれた。
▼作品情報▼
監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
出演:奥野匡、高梨臨、加瀬亮、でんでん
原題:LIKE SOMEONE IN LOVE
製作:ユーロスペース+mk2
2012年/日本・フランス共同製作/109分
配給:ユーロスペース
©mk2/eurospace
公式サイト:http://www.likesomeoneinlove.jp/
第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作
2012年9月15日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
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