【TNLF】エヴァとステファンとすてきな家族

コミューンから見えてくる家族のかたち

1975年、とあるフラワー・チルドレンのコミューン・ハウスでは、スペインの独裁者フランコが死去したニュースに湧きかえった。小さな子供までもがわけもわからずにつられてはしゃぐ。遠い国の出来事、けれども、ヨーロッパ最後のファシストの死去は、彼らが目指す自由の対極にある世界の終わりを意味していた。とはいえ現実には、彼らはそんな大きなことよりも、自分たちの台所、自分たちのベッド、自分たちの食卓のほうにたくさんの問題を抱えていたようだ。これは一つ屋根の下に暮らす、そんな世界に生きるおかしな住民たちの物語だ。

エヴァとステファン

©TNLF_2011

 エヴァとステファンの母エリザベートは、夫ラルフと大げんかの末、家を飛び出し、子供たちと共にこのコミューンにやってくる。唯一頼れる身うちである弟がそこの住人だったからだ。そのメンバーは、思想にかぶれた銀行の頭取の息子、女性のような髪形をしたゲイ、脇毛を剃ることは女性が抑圧されている何よりの証と主張する女性、一夫一婦制なんてナンセンスと信じている女性などなど。子供たちからしたらヘンな大人たちばかりだ。ここではクリスマスは祝わない。コーラも外国の巨大企業のものだから御法度。肉も食べない。テレビを家に持ち込むことも禁止。食卓ではいつでも議論が戦わされる。「長靴下のピッピは資本主義者か否か」なんて。そうかと思えば、キッチンでは、皿洗いの当番のことでケンカする。(そこが実は彼らの幼いところなのではあるが)
 この作品には、さまざまな家族の形が出てくる。エヴァとステファンの両親はある意味、もっともありふれた形。特に思想がどうなんてことはなく、みんなが応援しているから、社会党に一票入れてみようかみたいなタイプ。夫は「クラシアン」…水道屋さん、家に帰ってビールを飲んでテレビを見て、ちょっと子供たちと遊んで一日が暮れていく。妻は家で日がな一日家を守り、家事と子供の世話。ふたりとも決して悪い人たちではないのだけれど、どこかで不満が溜まっていった末の別居だったようにも思う。直接の原因は夫の暴力ではあるが。
 エリザベートの弟の彼女は恋人同士でもお互いに縛られるべきでないと主張。弟は別の男と寝た恋人が「私初めてエクスタシーに達したの」なんて言葉を聞いても「そりゃ、君にとって良かったじゃないか」なんて言うような人。内心では穏やかではなかったにしても、耐えていたのは、時代の先端を行っていると信じて、それでいい気になっていられたからだ。そうすることで自分をごまかしていた面ももちろんあるのではあるが。
 コミューン・ハウスにはすでに離婚してしまった夫婦も同じところに住んでいる。自分たちの子供と共に。冷却しているとはいえ、憎み合うわけでもなく、お互いをまったく意識しあわないわけでもない。むしろ張りあってさえいるのは、意識している証でもあるようだ。
ハウスの向かいの家にも三人家族が住んでいる。「向かいの人たちはヘンだから近づくんじゃありませんよ」一見常識を絵に書いたような生活を送っているのだが、それはお互い目をつぶってやり過ごしているだけ。夫も子供もいつも双眼鏡で隣家を覗いて楽しんでいる。夫はスケベ心から、子供は親にいけないと言われた物に対する好奇心から。それを知っている妻が見ないふりをすることによって、この家はバランスを保っているに過ぎない。
エリザベートの夫ラルフは年がら年中水漏れを起こしている初老の家に仕事に行く。この家にはこの男がひとり。離婚した妻はすでに別の男といっしょになり、子供たちからも見捨てられた寂しい男。彼はただ話し相手ほしさに、いつも水道のネジを緩めていたのだった。家族崩壊の究極の姿は、孤独である。
これらのさまざまな形の家族が、エリザベートとラルフのふたりを中心にしてシャッフルされていく。エリザベートはこのコミューンから自由な考え方を学び、逆に彼らもエリザベートの理屈のない生き方に、少なからず浸食されていく。そうした中で、家族の意味ってなんだろう、人が共存していくことの意味って何だろうといったことが、浮かび上がってくる仕掛けになっている。いわば、さまざまな形の家族をシャッフルできる最良の場所というのが、フラワー・チルドレンの時代のこのコミューンであったというわけだ。
劇中、爽やかでホンワカとした感じの、14歳の子供たちの初恋。この中にこそ、理屈ではない、家族の形、人が仲良く共生して生きていく形のオリジンがあるのではなかろうか。ただいっしょにいたいだけ。人には話せないことをお互いに話し合いたいだけ。ただ、同じ境遇を分かち合いたいだけ。そこには理屈がない。それから家にひとり残された父親に甘えたくなったり、心配になったりしたステファンの純粋な気持ち。これも理屈ではない。家族が誰もいない男、ラルフが自分のようにはなってほしくないと応援した彼の気持ちも理屈から出たものではない。そこに物事の本質がある。
逆に、シャッフルされる中でコミューンから離れていく人たちは、理屈が先にたち心を置き去りにしてきてしまった人たちである。後から入ってきた子供たちの要求が、自分たちの理想を壊していくと考えた夫婦、SEXや愛よりも思想に溺れていた金持ちの坊ちゃん、一夫一婦制なんてナンセンスという思想は、自分が自由にやりたいだけのチャッカリ者だった人。
エヴァとステファンの行動、初老の男のとった行動は、大人たちを軟化させ、素直にさせた。フラワー・チルドレンの人たちが目指した自由な恋愛も、隣家の取りつくろうだけの家庭も、夫婦はこうあるべきといったジェンダー的な関係も、すべては社会が作ったもの。そこに無理があったのだ。ラストのサッカー・シーンは、それぞれがみな思いやりにあふれているように見える。新しい人と人との関係がそこに見てとれる。それゆえに、このラスト・シーンは最高にハッピーな気分になれるのである。
Text by藤澤 貞彦
オススメ度★★★★☆
【原題】Tillsammans
【監督・脚本】ルーカス・ムーディソン
【撮影監督】ウルフ・ブラントース
【出演】リーサ・リンドグレン / ミカエル・ニュクビスト / エンマ・サミュエルソン / サム・ケッセル
2000年/スウェーデン・イタリア・デンマーク/106分
▼トーキョー ノーザンライツ フェスティバル
トーキョーノーザンライツB北欧映画の1週間:2/12(土)~20(日)
会場:ユーロスペース&アップリンク in 渋谷
公式サイト:http://www.tnlf.jp/index.html

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