【TNLF】ショー・ミー・ラヴ

私たちの居場所はここにはない!

ショー・ミー・ラヴ

©TNLF_2011 「ショー・ミー・ラヴ」

原題は「ファッキング・オーモル」オーモルとはスウェーデン南部の小さな街、日本で言えば、夕張市くらい。典型的な地方の町といった趣のようである。一見学校のみんなとうまくやっているように見える14歳のエリン(10代の頃のスカーレット・ヨハンソンに少し似ている。ちょっと丈を縮めれば。ちなみにスカーレットの父はデンマーク系) と、越してきて1年半、未だに学校では孤立している、16歳の誕生日を迎えたばかりのアグネス。このふたりの少女が主人公。彼女たちが大変魅力的だ。映像もふたりの魅力に一役買っている。デジタル映画の時代に、旧作とはいえ、16ミリのフィルムで撮影しているという点が大きい。35ミリにはないみずみずしさがあり、若々しさがある。そして等身大の彼らの姿が映し出されているようにも感じられる。
エリンは、ファッション・モデルに憧れ、オーモルの街を出ることが夢。「この街で流行していることは、もうストックホルムでは流行遅れ」と雑誌を見ては嘆いている。時々その不満が声になって噴き出す。「ウオ゛ォー、退屈だぁー」そんなストレートな表現が魅力的。姉を初めいつも年上の子たちと行動しているからか、言動が子供っぽくも見えるのだが、心はとても繊細で、よっぽど彼らより色々なことを考えている。ただ、どうすればよいのかまったく考えが浮かばず、外に発散しているだけなのである。
一方のアグネスは、エリンが母子家庭なのに対して、大変恵まれた家庭に育っている。優しい父親と、なんでも完璧にしなくては気が済まない母親。ここに越してきたのは、仕事の関係のようだ。他の同級生に較べて都会っ子のような雰囲気があり、かつレズだという噂がたっていて、学校では孤立している。そんな事情を知らない母親は、娘の誕生日パーティーにお友達を招待しなさいと、綺麗な招待状まで作ってしまう。配ったところで人が来るわけもなく、彼女は自己嫌悪に陥ってしまう。閉じこもって、自分を傷つけたくなってしまう。また、彼女は、パソコンの中にエリンへの憧れを綴っている。人には言えない「秘密」として。自分は人とは違う、家族の誰とも違うということを自覚している。
橋の上で

©TNLF_2011 橋の上のふたり

ふたりの共通点は、自分の居場所がここにないということである。今回の映画祭で、ルーカス・ムーディソン監督の作品を3本立て続けに観ることができたのだが、どの作品も、主人公たちが自分の居場所を求めて彷徨っているという印象を持った。その中でも印象的なのは、主人公たちが橋の上から、ハイウェイを行き交う車を眺めるというシーンである。近づくはずもない、エリンとアグネスが成り行きから話をすることになり、ふたりで夢を語り合う場所も、ハイウェイに架かる橋の上だ。行き詰ったエリンは、そこから行き交う車にツバを吐きかける。『リリア4-ever』でもまた、親に捨てられたリリアと、親に酷い目にあっている少年が、ハイウェイに架かる橋の上から車を眺める。リリアが自殺しようとするのも、橋の上だ。道はここではないどこかに続いているところ。余所へ行ってしまいたい彼女たちの気持ちが、一番形として出る場所なのだ。
エリンとアグネス、ふたりは出会ってみると、お互いに共通点を発見する。現状を変えたいという思い。無謀なストックホルムへのヒッチハイクは失敗には終わったものの、この夜を境にふたりの中の何かが変わっていくのだった。特にエリンは、自分の中の不満の原因がはっきりと頭の中で形を表していくことになる。このままこの街にとどまり続けることが何を意味するのか。「女とはこういうもの」そんな狭い世界に生きている退屈な同級生の中の誰かと結婚し、子供が生まれ、人の噂話に明けくれ、人と同じように振る舞う暮らし。買いもしない宝くじのテレビ番組を見て、当選した人の幸せそうな顔を見て満足している母のような人生。自分はそんなのに満足できるような人間ではないということを。
アグネスは、自分の憧れの人と近付けたことの嬉しさに包まれる。エリンへの思いは彼女の性向ということもあるのだが、それ以上に自信のない彼女にとっては、同志を得たのも同然で、前に進む大きな力になるはずなのである。
田舎町で自分の居場所について疑問を感じ、思い悩む青春映画というのは、どこの国にもある題材である。例えばアメリカでは、『ゴースト・ワールド』、フランスでは『小さな泥棒』(フランソワ・トリュフォーが『大人は判ってくれない』の女の子版として企画していたもの)。ところが、この映画が斬新なのは、ふたりに仄かなレズビアンの感情があることである。ふたりが親しくなることは、お互いプラスになることはわかっているのだけれど、エリンにとっては、それは友人たちや姉から仲間はずれになることも意味するという点で、大きな障害となっている。余所の町に行く勇気よりも、同じところにいながら、今までの自分の姿を捨てるというほうが、より勇気がいるような気がする。それゆえに2人の間には色々な紆余曲折があるのだが、その中で学び、確実に成長していくのである。そんな過程を経ているからこそ、ふたりが一歩前に進む時は、爽快感に溢れている。カッコいい!
Text by藤澤 貞彦
オススメ度★★★★★
【原題】Fucking Amal
【英題】Show me love
【監督・脚本】ルーカス・ムーディソン
【撮影監督】ウルフ・ブラントース
【出演】アレクサンドラ・ダールストレム / レベッカ・リリエベリ / エリカ・カールソン1998年/スウェーデン/89分
▼トーキョー ノーザンライツ フェスティバル
トーキョーノーザンライツB北欧映画の1週間:2/12(土)~20(日)
会場:ユーロスペース&アップリンク in 渋谷
公式サイト:http://www.tnlf.jp/index.html

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