(ライターブログ)イタリア映画祭2018を振り返る

「いつだってやめられる」シリーズが歓喜のフィナーレ!

トークセッションで漫画について熱く語るマネッティ兄弟監督(右・中央)とシビリア監督(左)

ゴールデンウィークは東京にいながら、心はどっぷりとイタリアへ。そう、毎年恒例のイタリア映画祭だ。例年より少ないけど、新作14本の中からなんとか6本を鑑賞。その中で私なりに今年の傾向を考えると「ここが私の生きる場所!」という作品が多かったように思う。主人公たちが抱える問題は個人的でありながら、暮らしている地域やコミュニティの特性とも深く関わっている。カメラは彼らの問題との向き合い方(あるいは開き直り方?)を映し出しながら、その背景にも光を当てていく。コメディあり、ミュージカルあり、ドキュメンタリータッチありで、今年もバラエティ豊かなラインナップを堪能した。

開会式で自撮りするシビリア監督(中央)と女優ジャズミン・トリンカさん(左から2番目)

映画祭のハイライトは、なんといっても注目の3部作「いつだってやめられる」シリーズが最終章を迎えたこと、とりわけシドニー・シビリア監督が終映後に登壇し、満場が歓喜に包まれた瞬間だろう。イタリア映画で3部作というのはこれまでに例がなく、しかもシビリア監督にとって本シリーズは長編デビュー作。イタリア映画史に残るであろう大作と、会場が興奮に包まれひとつになった瞬間を目撃できたことを幸せに思う。

以下、鑑賞した6作品の短評をまとめました。

※「イタリア映画祭2012」「イタリア映画祭2016」「イタリア映画祭2017」のレビューはこちら


「いつだってやめられる 名誉学位」:★★★★★【大阪上映もあり】
まさに笑撃コメディ。イタリア映画で3部作というのはこれまで前例がなく、事件ともいえるけど、それも納得の傑作。世間を驚かせた不遇の天才研究者たちが最終章でも大暴れ。1作目で生活費稼ぎのために麻薬製造に手を出した彼らは、2作目で警察と取引して麻薬捜査に協力。が、協力した警察からも見捨てられ、ついに3作目で脱獄を図る。脱獄モノの代表作「ショーシャンクの空に」や米ドラマ「プリズン・ブレイク」に勝るとも劣らない緻密な脚本はスリルと笑いに満ちていて、イマジネーション豊かな脱獄法に驚嘆させられる。絶滅危惧種ともいえる研究者に光を当て、彼らの豊かな知性とイタリアの文化的魅力に触れながら、今そこにある危機(貧困・麻薬・テロ)をユーモラスに描く。イタリアン・コメディをハリウッド的なスケールで撮りきったシドニー・シビリア監督の手腕は相当なもので、いま最も次回作が期待されているイタリア人監督だろう。

「シチリアン・ゴースト・ストーリー」:★★★★☆【大阪上映もあり】
25年前に起きたマフィアによる少年誘拐事件が背景。アントニオ・ピアッツァ監督はこの事件をきっかけに、生まれ育ったシチリアを出ようと決意したそう。事件の醜悪さと、素朴で美しい自然の対比がなんともシチリア的。当時の悲しみを静かな湖と深い森が浄化してくれるのか。いや、そんなことはない。「沈黙によってこの事件を風化させてはならない」という強い意思から生まれたこの作品は、今ではシチリアの小学校で上映されているという。少年に恋し、必死で救おうとする少女のエピソードは創作というが、監督ら作り手たちは若者のピュアで真っ直ぐな魂にこの町の未来を託そうとしたのかもしれない。見て見ぬフリをする罪を改めて問う、静かな衝撃作。

「ザ・プレイス」:★★★★☆(3.5)【大阪上映もあり】
脚本のアイデアとセンスが光るワンシチュエーション・ドラマ。「ザ・プレイス」というカフェの奥にずっと座っている男(ヴァレリオ・マスタンドレア)は一体何者なのか。占い師でもなく、探偵でもなく、宣教師でもないが、悩める人々に耳を傾け、必ず課題を出す。悩みの内容は普遍的なものであるが、課題の方は眉をひそめてしまうものばかり。例えば、神の存在を感じなくなってしまった修道女(アルバ・ロルヴァケル)はそれを取り戻すために「妊娠しなければならない」という課題が与えられる。パラドクスに満ちた課題は何を意味しているのか。やがてギリシャ悲劇のようなエピソードが交錯し始めるとき、この謎の男に新たな哲学者像を見るのである。

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