『おだやかな日常』内田伸輝監督&杉野希妃さんインタビュー

震災当時に思いを寄せて、観る人の気持ちの受け皿に

内田伸輝監督(左)と杉野希妃さん

2010年の第11回東京フィルメックスで最優秀作品賞に輝いた『ふゆの獣』の内田伸輝監督の最新作は、東京電力福島第一原発事故による放射能漏れの恐怖に揺れる、都内の同じマンションに住む二人の女性、サエコ(杉野希妃)とユカコ(篠原友希子)の姿を描いたものだ。被災地から地理的には離れており、表面上はおだやかな日々が過ぎていく東京だが、見えない放射能により彼女たちの生活が少しずつ狂わされていく・・・。
国内外から注目を集める内田監督と、主演兼プロデューサーを務めた『歓待』が高く評価された杉野希妃さんがタッグを組んだことも話題の本作。第13回東京フィルメックスのコンペティション部門にも出品され、好評を得た。さらに釜山、ロッテルダムの映画祭にも参加、注目度も増している。そんな内田監督と杉野さんにお話を伺った。

●とにかく表現したい、海外に通用する作品にしたい

――東日本大震災の後、震災を題材にした映画が次々につくられています。本作も“震災もの”ですが、この作品を撮ろうと思った動機は何でしょうか?

内田伸輝監督(以下、内田):311直後は政府の発表を鵜呑みにしていましたが、原発事故が日を追うごとに深刻化していき、「これはただ事ではない」と不安に駆られました。でもニュースでは放射能が漏れているのに、「健康に害のないレベル」「直ちに健康に影響はない」と繰り返すばかり。本当にそうなのか?という疑問と不安からネットで調べ始めたんです。そうしたら「絶対に怪しい」「チェルノブイリではこうだった」という情報が溢れていました。そんな日々を過ごすうち、この先映画をつくるうえで、この問題を無視して次の映画に進んでいいのか。そして、この状況を映画にせずに次の作品に取り組めないということを思い始めたんです。

――そういう気持ちになられたのは、映画監督としての義務や責務といった使命感からでしょうか?内田監督のなかでどんな心理が働いたのでしょうか?

内田伸輝監督

内田:使命感という大仰なものではなく、とにかく純粋に、この状況を何らかのかたちで表現したいという思いからです。

――杉野さんはプロデューサーとして、本作の企画が内田監督から持ちこまれたとき、どんなことを考えられましたか?

杉野希妃(以下、杉野):震災の日、私は大阪アジアン映画祭に参加中で、その後すぐに他の映画祭で韓国、香港に出かけてしまい、2週間くらい客観的に、外からの視線で東日本を見ていたような気がします。その間、海外で流れる情報と日本から発信される情報に差違があることを感じていました。外国人の方々が国外退避した時期がありましたが、「何で逃げるんだよ」というような、批判的な意見もありましたよね。でも、もし自分が海外にいて、その国で原発事故が起こったら、やはり母国に帰ると思うんです。自分の身を守るために何らかの選択をしなくてはいけない。生きるために決めたことなのに、人はなぜ自分と違う選択をする人を攻撃や非難をするんだろう、どうして寛容になれないんだろうって悶々としていました。そういうなか、昨年6月頃、監督から本作のプロットが送られて、海外にも通用する作品にしたいという話を伺いました。また、被災地が舞台ではなく、原発からある程度離れた東京で生活する人の目線から撮ることに、特に共感を覚え、一緒にやりたいと思ったのです。

――震災直後には様々な意見があったな、と映画を観て思い起こされました。震災直後に夫が他の女性のもとへ走り、シングルマザーとなったサエコが5歳の娘を放射能から守りたいという思いも当然ですし、渡辺真紀子さんや山田真歩さんが演じた母親たちの「そこまで神経質にならなくてもいいんじゃないの?」という批判的な意見も一理あると思います。誰の言動が正しいのかという点にも考えさせられました。様々な意見のバランスについて、どう配慮されたのでしょうか?

内田:放射能は首都圏に流れているのに、避難しないでどうするの?という思いが個人的にはあって、僕は東京からの退避には基本的に賛成なんです。ただその思いだけを映画にして意見するのは、一方的過ぎるということもあり、反対の人の声も聞いて、その人たちの心理も理解してあげたいという思いもありました。たとえば、「不安を煽るな」という人の背景は何なのかを考えていくうちに、やはり何が正しいのかというのは、結局本人が決めることであり、本人が正しいと信じる行動に関して、本人が後悔なければ、どのように生きるのかは自由だと思っています。

●キャラクターの造形

――登場人物のモデルは存在するのでしょうか?

内田:特にいません。Twitterで不特定多数の人のつぶやきを拾ってキャラクターを練りました。

――杉野さんはご自身が演じられるサエコのキャラクターに対して、監督と議論されましたか?

杉野希妃さん

杉野:プロットを頂いた後、監督とは2週間に1度ほどのペースで打合せをしてきました。監督が手がけた脚本は最終的に10稿になりました。サエコ役に関しては、私は子供を持ったことがないし、自分自身、母性がないほうだと思っていたので、演じる前は5歳の女の子を持つお母さんにインタビューしたり、女の子と遊んだりするなど、準備しました。でも、キャラクターそのものについては、監督がどのように表現したいのかを最優先にしながら、自分は役にどうアプローチできるのか、と考えていました。逆に他の役については「こういうふうにしたら?」と意見したことはあります。

内田:実際にサエコのように悩んでいるお母さんはたくさんいるので、お母さんたちの悩みをまとめた資料を杉野さんに渡したりはしました。それと、普段の会話のなかでつくりあげていきました。

杉野:実は当初のプロットでは、ユカコだけの物語だったんですが、脚本を書く前に監督といろいろな視点を入れたほうがいいんじゃないか?と話し合って。私のキャラクターを監督と考えていくうちに、「どんな役がしたいですか?」と監督が聞いてくださり、「激しい役がしたいです」と答えて、サエコが生まれたんです(笑)。

内田:ユカコには子供がいない設定なので、ユカコだけでは描ききれない部分があり、そこをサエコを登場させて補おうかと迷っていた時期だったんです。そうしたら杉野さんからの提案もあって、サエコが生まれたんですよ。

――互いの生活に関心を持たなかったサエコとユカコが、終盤、きちんと対面するシーンから強い結びつきを見せますが、この二人は特に子供に関する点で補完しあっているようにも見えました。つまり、サエコは夫を失ったけれど子供はいる。ユカコは夫はいるけれど、子供はいない。何か意図はありましたか?

内田:その点はこれといって意識してはいませんでした。ただ、二人を終盤まで、特に接点もなく別々に描いたのは、東京のマンション暮らしは、隣の人との関係も希薄であることを表しています。当然、隣の人が何を考えているのかも分からない。でももし隣人が同じ思考の持ち主なら、何らかのきっかけで二人が出会ったとき、ひとつの大きな力になるんじゃないかと考えました。たとえば、反原発デモに多くの人が参加して声を上げています。デモから離れれば、普通の生活を送っている、普通の一人の人間です。原発をきっかけに、皆が集まり、ひとつの大きな声になっていくということと同様に、同じ考えを持つサエコとユカコが邂逅したことで、ひとつの力になれることを表現してみたかったのです。

――それから、サエコとユカコの考え方と対極にいる、渡辺さん演じる典子の人物設定に唸りました。彼女の夫の職業や、彼女自身の不安を観客にチラ見させつつも、でも強がって言葉にしないところが秀逸だったと思います。

内田:実際には典子のような人がたくさんいるんだと思います。だから、不安を口にする人、安全だと主張する人、と単純に二極化して批判し合うのではなく、互いに話し合える時間があれば、今後どうしていくべきかをより深く考えられるような気がします。

●脚本に沿いつつ、即興演技を求めて

――内田監督は『ふゆの獣』はプロットだけ俳優に渡して、即興演技を求めていましたが、本作ではきちんと脚本を書かれています。そして脚本があったうえで、即興演技に挑戦したということですが、これまでとの違いや得たものがあれば教えて下さい。

内田:これは自分としては初の試みで、僕自身、自主映画では特に脚本は書かず、プロットだけで(俳優に)自由に演じてもらっていて、特に不満はありませんでした。でも、今回のような商業映画の現場に入ると、プロットだけでの作業が困難というか、タイトなスケジュールで映画をつくらなくてはならないので、プロットだけではスケジュールが見えない。『ふゆの獣』を撮り終えたとき、脚本の必要性を感じていました。ただ、即興は続けたいという思いがあって。ではどうしようかと考えた結果、きちんと脚本を書いたうえで、現場では即興をやろうと決めました。脚本のメリットは、役者たちが脚本という(映画の)設計図を理解したうえで、演じられることでした。また、スタッフも脚本に沿ってスケジュールを立てられます。でも脚本どおりに演じることで、リアリティを失いたくなかったんです。生の感情をぶつけ合いたいという考えから、脚本に沿った即興で撮影をしていくかたちとなりました。楽しかったです。

――杉野さんは内田監督の手法をどう感じられましたか?

杉野:今までこういう方法で演技をしたことがありませんでした。監督は「脚本をいかにぶち壊すかが課題」と言っていましたが、そのやり方に慣れていない方はどうしても脚本をなぞりがちで、生っぽさを出すことが難しかったですね。自分の演技の評価はお客さんが判断することなので何とも言えませんが、役者として試されている感もあり、エキサイティングな体験でした。今までにない感情を引き出して下さいました。それは内田監督の手腕だと思います。

――杉野さんの最大の見せ場は、娘が別れた夫の実家に引き取られてしまい、姑に娘を返してほしいと懇願するシーンだと思います。そのシーンもご自身の感情を吐き出すようなかたちだったのでしょうか?

杉野:他のシーンは一発目から集中力が高まり、気持ちが乗っていたんですが、そのシーンだけなぜか乗れなかったんです。回を重ねても気持ちが上手く出せなくて・・・。でも監督は諦めず、「最後の一発」と撮ったのが、あのシーンです。鼻水ずるずる、涙、涙でお見苦しくて申し訳ないんですが(笑)、監督のその一言がなければ生まれなかったので、監督の辛抱強さには感謝しています。

内田:時間も限られているので、周りのスタッフから「まだかまだか」という無言のプレッシャーがくるんですよ。もっと追求したいとの思いもあるけれど、やはりどこかでケリをつけなくてはいけない。「もう1チャンスだけ」と煽るしかないなと思ったんです。

――杉野さんは監督の煽りをプレッシャーに感じましたか?

杉野:できるはずなのにできないなんて、「何でーーーっ!?」というもどかしさがあって・・・。でも監督のその一言で心強くなって、「行けそう!」と直感的に思ったんです。スタッフも「もう1回くらい、頑張るか」という結束力が生まれて、カメラマンの角田真一さんも感情をよりしっかりと捉えてくれたんだろうな、と思います。

●出演者について

――そう言えば、『歓待』の深田晃司監督や古舘寛治さんも1シーンずつ出られていましたが、杉野さんの『歓待』つながりでの出演だったのでしょうか?

杉野:それもありますが、映画のテーマに共感を持って下さる方や好きな役者さんにぜひ出てほしいと思っていました。深田監督と古舘さんしかないなと思って。あ、でも深田さんは役者ではないですけれど、今回素敵な演技をして下さいました(笑)。

内田:僕も普段から注目しているフリーの役者さんに声かけて、「ちょっとだけのシーンですけど、いいですか?」と交渉して出演いただきました。

杉野:役者の起用については、監督ともかなり話し合いました。渡辺さん、西山真来さんなども様々な作品で素晴らしい演技を披露されていて、いつかご一緒にやってみたいと思っていたんです。それでぜひオファーしよう、と。現実に参加して下さって、嬉しかったです。

――本作のタイトルの英題は「Odayaka」ですが、日本語をそのまま使った理由は何ですか?

杉野:(もう一人のプロデューサーの)エリック・ニアリとも議論したんですが、「おだやか」のニュアンスは、何というか、「わび」「さび」と同様に日本独特のもので、的確な英語が思いつかなかったんです。であれば、「おだやか」ということば自体を造語として英題にしてしまおうという結論に至りました。日本の「おだやかさ」は何だろうと問題提起する意味合いもありました。ただ、「Odoyama(おどやま)」とか「Odoyaka(おどやか)」とかスペルを間違えられやすいんですよね・・・(苦笑)。そんな危険もありつつも、海外では「Odayaka」の意味に興味を示してくれて、説明すると納得して下さいました。

――観客へのメッセージをお願いします。

内田:登場人物の行動について、これ!という正解はない映画だと思います。どうやって生きていくのかという答えは、簡単に出るものではないですから。でも考えることはできる。震災からもうすぐ2年経とうとしていますが、映画を観て、各々が当時感じたことを思い出して、もう一度、日常の生活をどのように生きていくのかを考えてもらいたいです。

杉野:私は自分自身がこの映画に登場する全てのキャラクターの要素が混じっていて、放射能は怖いと思う一方、ずっと気にし続けていたら神経が持たないだろうし、忘れたくなる気持ちも理解できます。それぞれの登場人物と自分を照らし合わせることができる作品なので、いろいろ議論してもらいたいです。誰もが悶々とした感情を持っているでしょうし、その気持ちの受け皿になり得る映画だと思います。

(後記)
ラスト、ユカコの選択は、ちょっときれいにまとめ過ぎかな・・・という思いもあった。でも、その選択は決して間違いではない。誰がどんな選択をしようと、自分自身の行動に責任を持つのなら、その人にとって「正解」のはず。内田監督はそんな思いをユカコに乗せてくれた。また、杉野さんの「人はなぜ自分とは違う選択をする人を攻撃や非難をするのか」というコメントは心に響いた。いろいろな考えや人に対して、寛容でありたい。震災を描きつつも、人間として見失ってはいけないものは何か――そんなことを問いかけてくれたインタビューだった。

〈プロフィール〉
内田伸輝(うちだのぶてる)
1972年埼玉県上尾市出身。ドキュメンタリー『えてがみ』でぴあフィルムフェスティバル2003審査員特別賞、第28回香港国際映画祭スペシャルメンションを受賞した他、世界中の映画祭で上映され高い評価を受けた。初の長編劇映画『かざあな』で第8回TAMA NEW WAVEグランプリや主演女優賞をはじめ、ぴあフィルムフェスティバル2008で再び審査員特別賞を受賞。2010年、『ふゆの獣』で、第11回東京フィルメックス最優秀作品賞を獲得。第40回ロッテルダム国際映画祭のタイガーコンペティション部門や第35回香港国際映画祭、第13回台北映画祭など数多くの映画祭に招待され話題を呼んだ。最新作『さまよう獣』も2013年2月2日より公開予定。

杉野希妃(すぎのきき)
1984年広島県出身。慶應義塾大学在学中にソウルに留学。2006年、韓国映画『まぶしい一日』宝島編主演で映画デビューし、続けて『絶対の愛』(キム・ギドク監督)に出演。帰国後2008年に『クリアネス』(篠原哲雄監督)に主演。2010年、主演兼製作の『歓待』(深田晃司監督)が第23回東京国際映画祭日本映画・ある視点部門作品賞などを受賞した他、100以上の映画祭からオファーが殺到。その他の主演兼製作作品は『マジック&ロス』(リム・カーワイ監督)、『避けられる事』(エドモンド・ヨウ監督)、『大阪のうさぎたち』(イム・テヒョン監督)など。『ほとりの朔子』(深田晃司監督)、『Jury』(イム・テヒョン監督)、『Kalayaan』(アドルフォ・アリックス・ジュニア監督)などが公開待機中。

▼作品情報▼
監督・脚本・編集:内田伸輝
製作:杉野希妃、エリック・ニアリ
出演:杉野希妃、篠原友希子、山本剛史、渡辺杏実、小柳友、渡辺真起子、山田真歩、西山真来、志賀廣太郎、寺島進
配給:和エンタテインメント
2012年/日本・アメリカ/日本語/102分/英題:Odayaka
公式サイト:http://odayakafilm.com/index.html
©odayaka film partners
12月22日(土)ユーロスペースほかにて公開

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