『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』セドリック・カーン監督

人生とは悲喜劇。深刻な時間もあれば楽しい時間もある。

フランス南西部の自然豊かな邸宅で、アンドレア(カトリーヌ・ドヌーヴ)の70歳の誕生日にしっかり者の長男ヴァンサンとその家族が、自称映像作家の次男ロマン(ヴァンサン・マケーニュ)とその恋人が集まり、和やかな誕生日会が開かれている。そこへ音信不通だった長女クレール(エマニュエル・ベルコ)が突然帰ってきたことで巻き起こる騒動を綴った『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』(1月8日公開)。家族とは何と厄介で、いとおしいものなのか。面倒な存在でありつつも、簡単に切り捨てられない。そんな家族の様々な面をめまぐるしく見せ、複雑な感情が入り混じっている作品だ。どんな家族でも程度の差こそあれ何かしらの問題を抱えているわけで、登場人物の誰かに反発したり共感したりしながら見ることができるだろう。
そんな家族の悲喜こもごもの1日を丁寧に描いたのは、『よりよき人生』(11)などで知られるセドリック・カーン監督。カーン監督にとって11作目の監督作品だが、初めて自身も長男ヴァンサン役として出演も果たしている。このたびカーン監督とzoomを利用してインタビューを行うことができたので、ご紹介する。

セドリック・カーン監督 (c) Philippe Quaisse / UniFrance

――カーン監督が本作を撮り始めたきっかけは何でしょうか?

セドリック・カーン監督(以下CK):家族がテーマの作品を撮りたかったことと、クレールのように心を病んでいる人の映画を撮りたいと思ったことです。この家族の核となるアンドレア役にはカトリーヌ・ドヌーヴありきで脚本を書いていたので、彼女がオファーを受けてくれたのは本当に素晴らしいことでした。

――長女クレール役のエマニュエル・ベルコや次男ロマン役のヴァンサン・マケーニュもあなたが脚本を書いていた時から決めていたのでしょうか?

CK:そうではありません。テストを繰り返して、グループとしてベストなかたちになる俳優をキャスティングしました。その結果として、エマニュエルとヴァンサンに決めました。彼らも私と同じように俳優でもあり監督もこなしている人たちですが、そのことがキャスティングに影響したわけではありません。

――本作ではご自身の監督作品に初めて出演されていましたが、監督業に専念されていた過去の作品とは、作品との向き合い方の違いや監督と俳優を兼務したことの苦労などもありましたか?

CK:自分の作品に有機的かつ感情的な面で自分以外の俳優と一緒に参加したことは、これまでとは違う体験でした。

――これまではなぜご自身の監督作品に出演されなかったのでしょうか?

CK:監督と俳優を兼務することで、監督としてのコントロールが失われるのではないかと考えていたので、私には監督と俳優の両立は難しいと思っていました。ただこのヴァンサン役は家族のオーガナイザー的な立場であり、それが監督の役割と重なったところもあり、両立できたのかなと思っています。また、プロデューサーのシルヴィ・ピアラが俳優としても参加してみないかと言ってくれたことも大きかったですね。結果的に監督と俳優の兼務は強烈な経験となったので、彼女が勧めてくれたのは良かったです。

――カーン監督の作品にしては本作のような大人数のアンサンブルは珍しいですが、騒動を巻き起こす長女クレールは心を病んでおり、家族から浮いている存在です。家族でありながらも家族のなかで孤立する人を描くことの意味は何でしょうか?

CK:家族のなかでクレールのような心を病んでいる人がいることで、家族がどのように狂気をコントロールできるのかを描いてみたかったのですが、彼女はさらに追いつめられていきます。彼女は家族の犠牲者と言えるでしょう。ただ、私に言わせればあの家族は全員狂っていますよ。でも人生は悲喜劇のようなものです。家族に心を病んでいる人がいるからといって、いつも深刻な状態ばかりでいるわけではありません。楽しい時間もあります。そういう瞬間を見せられたと思います。

――また本作では、クレールたち大人の世界とクレールの娘エマ(『燃ゆる女の肖像』(19)のルアナ・バイラミ)やヴァンサンの息子たち子供の世界が平行して描かれているように感じました。子役の方々が生き生きとして素晴らしかったです。

CK:私の映画にとって子供の存在は重要です。子供は常に正常で健全で、将来への希望を象徴している存在です。大人の世界が重苦しくても、その対極にあるかのような軽い感じ、幸せな感じを子供が表してくれています。

1 2

トラックバック URL(管理者の承認後に表示します)