【TNLF】トーキョーノーザンライツフェスティバル開催記念特別座談会

『北欧映画の生まれるトコロ』PART1

2月2日、トーキョーノーザンライツフェスティバル開催記念として、特別座談会『北欧映画の生まれるトコロ』がスウェーデン大使館オーディトリアムにて開催された。
開催前には、ロビーにてドリンクやスナックなどが振る舞われ、和やかな空気も流れる中でスタート。それでも、まつかわゆまさんの講演「日本での北欧映画の現状」が始まると、メモをとりながら熱心に聴くファンの姿も見られ、この映画祭への期待の大きさも感じさせられる。今回のイベントは、この講演のほかに、北欧五カ国の出身者の人たちが一同に会した座談会も開かれ、とても興味深いものとなった。その一部をここにご紹介する
 第1部「日本での北欧映画の現状」講師 まつかわゆまさん
【最近の北欧映画の動向】
最近、北欧映画の公開本数が増えてきています。リメイクの数を入れたらかなりの数になります。ちなみにそれぞれの国で製作された作品の本数は、スウェーデン36本、アイスランド8本(08年)、デンマーク30本、ノルウェー28本、フィンランド25本(09年)日本での公開本数を考えると、かなりの注目度。ハリウッドでのリメイクの注目度も高いのです。

まつかわゆまさん1

講師のまつかわ ゆま さん

【グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンはスウェーデン出身】 
北欧映画はサイレントの時代からハリウッドと近いところがあったのです。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンなどの美女の産地ということで、まずハリウッドに痕跡を残しています。ダグラス・サークはハリウッドのメロドラマの巨匠で、ドイツ人ということになっていますが、両親がデンマーク人なので、北欧の文化の中で育ったと言ってもいいでしょう。北欧には北欧演劇の伝統があります。人間の機微、人間と人間との軋轢、人間を深く描いているのがその特徴です。メロドラマというのは人間と人間の軋轢を描くものであり、そこに愛情だとか死とか生とかを折り混ぜて盛り上げていくものだとすると、北欧演劇の基礎を持っているサークと言う人が、メロドラマでもって一世を風靡したということは、非常に納得のできることだと思います。
 【ビレ・アウグスト、ラッセ・ハレストレムがハリウッドに行った理由】
 80年代の終わりから90年代の初めにかけてハリウッドにやってきて業績を残した監督たちというのがいます。ビレ・アウグスト(デンマーク)ラッセ・ハレストレム(スウェーデン)、レニー・ハーリン(フィンランド)その彼らと言うのは、50年代の終わりから60年代の半ばに思春期を過ごした人たちです。その時代はアメリカ文化の華やかしき時。彼らはアメリカに憧れて育ったのではないかと思われます。
 ビレ・アウグストが『インディ・ジョーンズ』を撮った理由…
ビレ・アウグスト監督『ペレ』が御大ベルイマンに認められて、それでベルイマンの脚本による『愛の風景』を撮ります。実は、彼はその前にスピルバーグに呼ばれて『ヤング・インディ・ジョーンズ』というTVシリーズの何エピソードかを監督しています。なぜ彼は喜んでハリウッドに行ったのか。彼の『ペレ』の前に作った作品『ツイスト・アンド・シャウト』『子供たちの城』は自伝的な作品と言われていますが、それらを観ると、彼がアメリカ文化に憧れていたのがわかります。
 ラッセ・ハレストレムがジョニー・デップ、ディカプリオを育てた…
ラッセ・ハレストレム監督『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を撮って、スピルバーグからハリウッドに呼び寄せられます。最初の作品『ワンス・アラウンド』は失敗に終わりますが、諦めずに次の『ギルバート・グレイプ』を作り成功します。彼がジョニー・デップ、ディカプリオを育てたのですね。彼は子供から思春期くらいの子供を撮るのがうまい監督です。実はアメリカ映画というのはその年代がメインのターゲットであり、そこに彼がアメリカに呼ばれたことに意味があったのです。このくらいの年代の子供は、どこの世界でも同じ悩みを持っています。普遍性があるテーマなので、どこへ行ってもそういう映画は作ることができるわけです。
 レニー・ハーリンがハリウッドで生き残れる理由…
レニー・ハーリンという人はアクション映画しか作りたくない人。だから母国ではできないことをハリウッドに求めたのでしょう。また、ハリウッドでは常にこういう人を求めています。この3人にはどこで映画を作ったとしても北欧らしさというものがあったはずです。レニー・ハーリンにしてもそうしたものがなければ、わざわざハリウッドから必要とはされないことでしょうし、そこで生き残ることは難しいはずです。北欧らしさとは、①リアリズム演劇の伝統、人間を描く深さ、物語の厚み②優れた児童文学がたくさんあること。③エキゾチズムです。ハリウッドはそうしたものを求めて、90年代は監督の引き抜きをし、00年代はリメイク出来る作品の発掘をしていったのです。
 【日本における北欧映画】

まつかわゆまさん2

聴衆の熱心な眼差しに熱も入る


サイレン時代~戦前…
サイレント時代には、デンマーク映画がよく入ってきていました。見世物的な映画が、言葉がなくても楽しめるような映画が多かったのですね。それに対してスウェーデンの映画というのは、演劇の伝統がありましたから、話も複雑でそのためあまり入ってこなかった。
戦後~70年代…
北欧各国の映画が入ってくるのは戦後になります。戦後の北欧映画のイメージには、3つのイメージがありました。ベルイマンに代表されるアート系映画、子供映画、エロティックな映画です。スウェーデンには「性の解放」というイメージがありましたから、実際観てみるとたいしたことはやってないのだけれど、ある意味、そういう勘違いをさせてお客さんを引っ張るようなことをしていたわけです。しかし、それも80年代にはなくなります。
80年代後半~90年代…
80年代後半から90年代にかけては、北欧映画のイメージは変わります。ミニ・シアターのブームに乗って、新世代の作家の映画、アキ・カウリスマキラース・フォン・トリアーの作品が公開されていきます。また、観客が若返って、ベルイマンから脱却していきます。ベルイマンを知らない世代の人たちが今までの暗いイメージではなく、面白い映画として北欧映画を観るようになったのです。
現在から未来へ…
2010年代、映画が映画館で観るものという考え方が段々と変わってきています。小さな規模、小さな映画を、小さな画面で観る時代に入ってきたのではないかと思います。劇場で観るハリウッドの3Dや大作映画よりも、スウェーデン映画や日本映画のように心にダイレクトに入ってくるような映画を自宅のテレビ、あるいはパソコンで、ひとりで観たい、そんな時代になってくるのではないかと思います。これから我々の時代がくるのではないか。ここから新しい映画の時代が始まるかもしれない。そのように思うのです。
取材:藤澤貞彦
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