『さようなら』ブライアリー・ロングさんインタビュー

命に限りのある人間と死を知らぬアンドロイド。「二つの異なる時間の流れを通して“生と死”を美しく描いている作品です」

BL_1 劇団・青年団を主宰し、日本を代表する劇作家・平田オリザさんとロボット研究の世界的な第一人者、石黒浩教授(大阪大学教授・ATR石黒浩特別研究所客員所長)が、共同で進める、人間とアンドロイドが舞台上で共演する画期的な演劇プロジェクト。その完成度の高さに国内外に衝撃を与えた記念碑的作品「さようなら」を『歓待』(10)、『ほとりの朔子』(13)で国内外から高い評価を得た深田晃司監督が映画化に挑戦した。映画界では誰も成し遂げたことのない、俳優とアンドロイドの共演は大きな注目を集め、先月の第28回東京国際映画祭(TIFF)コンペティション部門で上映された際も好評を博した。

 リアルな存在感を発揮するアンドロイド・レオナ役ジェミノイドFの一挙手一投足(?)に目を奪われがちだが、彼女と対話を重ねるターニャに扮したのはブライアリー・ロングさん。本作でブライアリーさんは放射能に汚染され、棄国を選んだ近未来の日本を舞台に、病に冒され余命わずかな南アフリカ出身の難民女性の役を静かな空気感をまとって好演している。彼女の華奢な体や儚げな佇まいも映画で描かれる終末感と見事に融合しており、本作の成功に大きく貢献していると言えよう。死を目前にしたターニャと死を知らないレオナの対話のなかから、生きることとは、死ぬこととは、そして人間とは?という普遍的かつ深淵な問いが生まれ、観客がその答えを模索する作品となっている。

 TIFFでは惜しくも無冠に終わった本作だが、ブライアリーさんは観客からの好意的な反応に作品への手応えを感じているという。オックスフォード大学日本語学部を首席で卒業した後、青年団に入団という異色の経歴の持ち主。深田監督の『歓待』に出演するなど舞台・映画での活躍が注目されている彼女のインタビューをお届けする。

 ※一部、結末に触れる内容があります。作品を未見の方はご注意ください。

――ブライアリーさんは『さようなら』の舞台版でも同じターニャ役を演じてこられましたが、舞台と映画の違いは何だと感じられましたか?

ブライアリー・ロング(以下BL):平田さんと深田監督はともに観客に想像の余地を残す、想像の自由を与える演出をされる方で、その点については舞台と映画であまり違いはありませんでした。ただ舞台版では私は多くのシーンでお客さんに背を向けていたのですが、映画では表情がアップになるシーンもありました。そういうシーンでは、深田監督からは「静かな表情を出してほしい」「(感情を)抑えてほしい」と言われていました。それも観客の想像を掻き立てるためですが、喜怒哀楽を強調すると私はキツイ人に見えると言われていて(笑)、それがこの映画にはそぐわなかったみたいです。

――舞台版ではおよそ15分の長さで、ターニャとアンドロイドのレオナだけが出演しています。今回の映画化ではバックグラウンドとして、原発事故による放射能問題や人種差別問題などの設定が加えられました。その設定についてどうお考えになっていますか?

BL:現実でも原発事故のために避難させられている方々も将来への不安を抱いているし、難民の人々も本来の居場所を失って明日はどうなるのか・・・と不安に感じている。そんな不安定な世界観を表していると思います。私はそんな不安な気持ちを常に感じながら、演技をしたいと思っていました。ターニャが家の外にいるとき、放射能に汚染された空気が自分の命を縮めていることを、彼女は感じています。それでも生活していかなくてはならない、恐ろしいほどの不安感が増幅されていると思います。

――この作品は時間の経過通りに撮影することができたのですか?

BL:そうです。ターニャの最期のシーンもほぼ最後に撮影できました。私にとって(本作が)映画初主演だったので、いろいろと学ぶことが多くて撮影の最初の頃は緊張してばかりだったのですが、終盤になってからようやくリラックスして撮影に臨めました。

sayonara_sub1――恋人・敏志役の新井浩文さんとは役づくりについて話し合いはされたのでしょうか?

BL:新井さんも忙しい方ですし、そういう時間は取れませんでした。でも、役づくりの方法は役者によって違うので、あまり意見を合わせ過ぎると作りこんでいる感じが出てしまって、不自然だと思います。それぞれの俳優が自分が感じている役を自分なりに演じた結果の、その化学反応がいいと思います。深田監督も「人間は孤独なもの、恋人同士でも結局は他人」ということを話されていたこともあり、ここで新井さんと仲良くなったらリアリティーがなくなる、他人の関係性を保っていたほうがいいと思いました。

――ターニャと敏志は恋人同士のはずですが、確かに微妙な距離感がありましたものね。

BL:二人でソファーに座っているシーンでも、監督から「もうちょっと(間隔を)空けて」と指示されるなど、二人の距離感を守るという演出でした。この二人はどういうふうに知り合って、どういうふうに恋に落ちたのかも特に語られることもなく、二人のシチュエーションは何とでも解釈できると思います。限られた時間のなかで人と人は出会い、他人であることに気づき、そして離れていく・・・。それが描かれているのではないでしょうか。

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