【TIFF】エッセンシャル・キリング
(第23回東京国際映画祭・WORLD CINEMA部門)
この作品は、男がひたすら逃げ続けるだけの映画。彼モハメド(ヴィンセント・ギャロ)はひとこともしゃべることはない。ひとりで逃げ続ける中で、ついに独り言さえ口にはしない。彼は、名前の示すとおりイスラム教徒、そして多分原理主義者で、戦士である。
映画では、場所ははっきり示されないが、アフガニスタンであろうか。乾いた丘陵の岩陰に、その男は息をひそめて隠れている。なぜか彼の周りには誰もいない。なぜか彼はバズーカー砲のような強力な武器をただひとつ腕に抱えている。上空にはアメリカの偵察ヘリが、怪しい人物がいないか、旋回している。地上にも偵察をしている3人のアメリカ兵。アメリカ兵が彼の隠れる岩陰に近づいてくる。見つかったかと思った瞬間、ロケット弾の火は噴き、アメリカ兵たちの身体は一瞬で木端微塵になる。エッセンシャル・キリング…不可欠の殺しとでも訳したら良いのだろうか。彼の最初の殺しは、自分の身を守るためのもの。咄嗟に出た行動に過ぎない。
男はやがて捕えられ、ヨーロッパのどこかにある拘置所に連れて行かれる。ここは先程の風景とは打って変わり、一面の銀世界、そして深くて濃い森がどこまでも続いている。移送の途中で、彼は車の事故のため車外に放り出される。当然彼は、その場を離れ生きるため、深い森へと入っていく。アメリカ兵からの男の逃避行がここから始まる。
上空からはヘリが、地上からは、兵士の集団が彼をひたすら追い詰めていく。森には動物を捕えるための罠がしかけてある。罠にかかった男の顔は苦痛にゆがみ、足から血が滴り落ちる。後から追いかけてきた犬たちがその臭いを嗅ぎ、男をさらに追い詰めていく。ひとりの男を犬と大勢の兵士たちが追うその構図はまるでキツネ狩りである。
男は今や追い詰められた動物と同じである。それゆえ彼は生き延びるためにはなんでもする。たまたま出くわした人を、なんの情けもなく瞬く間に殺してしまう。まるで動物が、自分の身の危険を感じると同時に襲いかかってくるような、そんな殺しである。人間は狩りを楽しむためだけにすることができる生き物だ。一方、動物たちの狩りは生きていくためだけにあるもの。すなわち彼の殺しは常にエッセンシャル・キリングであるという点で、動物の殺しとよく似ている。
彼は、空腹を癒すために、木の皮をまるで煎餅のようにポリポリと音を立ててかじり、アリ塚のアリまで土といっしょに口に放り込んでしまう。森を抜けたところに道があり、ひとりの子持ちの女が自転車で通り過ぎる。赤ん坊に乳をやるため、座り込んでいた女に突然男は襲いかかる。てっきり買い物かごに入っていた買い物袋を奪って逃げるのかと思いきや、なんと男は女の乳にしゃぶりつこうとする。人間は死の淵に追い詰められた時、こんなにも野生化してしまうものなのだろうか。
(それにしても、このシーンはヴィンセント・ギャロが演じると、あまりにも可笑しすぎて笑ってしまう。おまけに襲われる女性が、牛のように大きな人なのだから参ってしまう。いつでも映画にはユーモアが必要と言っているイエジー・スコリモフスキー監督らしさがよく出ている)
この作品は、アメリカの戦争の良し悪しや、イスラム原理主義者たちの是非を問うということはしていない。そんなことにはまるで興味がないかのようである。そのため、男が何のために、乾いた丘陵地帯でひとり隠れていたのか、男がどうして温かい家庭を捨てて、そんな世界に身を投じたのかといった説明は一切ない。かようにひたすら男のサバイバルだけを追い続ける。男の野性化の軌跡と言い換えてもいいかもしれない。この極限状態の人間を見つめることで、逆に見えてくるのは、では一体人間性というものは何なのだろうかということである。こんな男を助ける人が現れる。丁度季節はクリスマスの時。女の無償の愛、それが男の心に再び人間性を取り戻させる。「愛」とその反対にある「憎しみ、恐怖」ひとりの人間にそのように相反するものが共存しうるということ。この作品は、そんな人間の心の奥底にある本能的なものを深く見つめよういうひとつの試みとも言える。
おススメ度:★★★★☆
Text by 藤澤 貞彦
7月30日より渋谷イメージフォーラムほか全国順次公開。
原題:Essential Killing
監督:イエジー・スコリモフスキ
原作、脚本: エヴァ・ピアスコフスカ
制作:2010年/ポーランド、ノルウェー他/83分
出演:ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セリエ
公式サイト:http://www.eiganokuni.com/EK/
映画祭公式サイト:第23回東京国際映画祭公式サイト
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