わたしを離さないで:原作レビュー~TIFFコンペティション部門出品記念

哀切な痛みを伴う友情と愛、そして決意


長崎県生まれの英国人作家カズオ・イシグロの最高傑作との呼び声も高い小説「わたしを離さないで」。過酷な運命に翻弄され、“わたしを離さないで”と強く強く願っても、それは終生叶うことのない願いであることは、ヒロインのキャシーは理解している。そんな彼女の、哀切であるが、ある強い決意をした後、1人涙を流すラストシーンには、筆者も涙が溢れてしかたがなかった。
それはキャシーへの「かわいそう」などという同情のレベルを超えたものだ。彼女の気高いまでの決意に圧倒されてしまい、とにかく心が震えるのを感じた。そして、その哀切な余韻に長く身を任せていたいと思わせた小説だ。

そんな素晴らしい小説が、キャリー・マリガン(『17歳の肖像』)、キーラ・ナイトレイ(『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ)、アンドリュー・ガーフィールド(『BOY A』)という英国期待の若手演技派俳優の共演での映画化されたなんて、聞いただけでもう心躍ったものだ。日本での公開を待ち望んでいたのだが、予想だにしなかった朗報が飛び込んだ。10月23日(土)より開幕する第23回東京国際映画祭(以下TIFF)コンペティション部門への出品が決定したのだから、まさに狂喜乱舞。しかも、このニュースを受け取ったとき、筆者はちょうど本書を再読中だったのだから!これも何かの運命・・・?!
そんなことを勝手に感じた筆者だが、このコラムではTIFFコンペ出品を記念して(?)、原作の小説について少々触れておこうと思う。

本書の舞台は1990年代末の英国。31歳のキャシーは優秀な「介護人」で、「提供者」と呼ばれる人々の世話をする仕事に就いている。だが、その仕事を辞めようと決意したとき、子供時代の出来事を回想する。分けても、ヘールシャムという、外部から隔絶された施設で、親友のルースやトミーと一緒に過ごした幸福な日々を・・・。ヘールシャムにいる子供たちには両親はいないのだが、「保護官」と呼ばれる教師から絵画、文学、詩作などの教育を受けて、成長していく。

小説の冒頭から「介護人」だの「提供者」だの、キャシーが介護する提供者が話す「提供」の回数や、はたまた「使命」などという言葉が飛び交う。現実の世界とは違和感のある、どこか謎めいた空気をはらみながら、キャシーの回想は「わたし」という一人称で、丁寧に語られる。

やがて、キャシー達が何者なのかということが、意外とさらりと明らかにされるのだが、本書は彼らの正体を暴くことが目的ではない。彼らは、ある特殊な「使命」を果たすために生きているのであるが、その使命があまりにも特殊であるからこそ彼らの心の叫び声が、より切迫したものとして伝わり、胸を打つ。キャシーが過去を語るなかには、トミーを巡ってのキャシーとルースの言い争いや、ルースの最後の切実な願いなど、彼らの感情が爆発するシーンは少なくない。しかし、キャシーの語り口は、そのような激しい場面でも、常に淡々として抑制が効いている。ただそれは、機械的で冷淡などという印象を与えているわけではない。その静謐な語り口ゆえに、キャシーの、ルースの、トミーの、人間的で痛切な心情が、かえってクリアに浮かび上がってくるのだ。そして、同時に世界が抱えているいびつさや底知れない恐怖も。

キャシーの語り口とはすなわち、著者イシグロの筆致だ。彼の作品では、他に「日の名残り」(アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン主演で映画化もされている)を読んだことがあるが、心理や情景の描写がきめ細やかで感嘆する。文章で記すことが難しいような、微妙で些細な心の揺れを、的確に、かつ具体的に綴っていて、幾度となく唸らされた。ヘールシャムを時々訪れるマダムと呼ばれている婦人が、キャシー達を見るときに一瞬だけ顔に表れる恐怖心や、後年、キャシーとトミーがマダムと再会する場面でも、キャシーとマダムがすれ違う際の、マダムの肩の、ほんのわずかだが不自然な動かし方から読み取れる、彼女のキャシーに対する嫌悪感などの描写も、本当にリアルだ。そして決して離れまいと祈るような思いで、きつく抱擁を交わすキャシーとトミーからは、2人の悲痛な想いとともに、彼らの息づかいまでもが、すぐ近くに感じられる。

そのような精密な筆致によって紡ぎだされるキャシーの思い出は、とても崇高なものに思え、ヒリヒリとした痛みすら伴って読む者に訴えかけている。そして、友情や愛に彩られた思い出だからこそ、キャシーはある決意を固めるのだ。そして、圧倒的なラストへ静かに収斂されていく・・・。

映画では、キャシー=キャリー・マリガン、ルース=キーラ・ナイトレイ、トミー=アンドリュー・ガーフィールドという配役。どれも非常に難しい役柄であることは、小説を読んだ人ならば、想像できるだろう。でも英国きっての若手実力派の3人ならば、複雑で繊細な人物像に魂を吹き込んでくれているだろうと、今からTIFFで上映されるのが楽しみでしかたがない。

なかでも特に楽しみなのは、トミーに扮するアンドリューだ。彼はTIFFオープニング作品『ソーシャル・ネットワーク』にも出演しており、今年のTIFFの主役の1人に躍り出た感がある。それに何と言っても超美形!それに本作では、キャリーとキーラの美女2人から愛される、おトクな役どころだとも言える。高評価を得た『BOY A』で初めて彼を観たときには、筆者の心に常設されている“いいオトコ・センサー”がピコピコ反応したものだ。映画では、小説の世界観がどのように表現されるかということに期待が高まるが、アンドリューの美貌もたっぷりと堪能したいものである。

Text by:富田優子

映画レビュー: 【TIFF_2010】「わたしを離さないで」純度の高いラブストーリー
第23回東京国際映画祭公式サイト:http://www.tiff-jp.net/ja/
『わたしを離さないで』公式サイト(海外):http://www.foxsearchlight.com/neverletmego/

©2010 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.『わたしを離さないで』映画の1シーン。美男美女が揃うと絵になります。

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  1. 【TIFF_2010】「わたしを離さないで」純度の高いラブストーリー : 映画と。

    […] 今回の東京国際映画祭・コンペティション部門に出品された作品のなかでは、顔合わせの豪華さでは群を抜いている。何と言っても、キャリー・マリガン(『17歳の肖像』)、キーラ・ナイトレイ(『プライドと偏見』)、アンドリュー・ガーフィールド(『BOY A』)という英国期待の若手演技派俳優の共演なのだ。そして、カズオ・イシグロの名作小説「わたしを離さないで」の映画化なのだから、映画ファン及び原作ファンならば、期待を抱かないほうがおかしい。原作を涙なしでは読めなかった筆者であるが、小説が醸し出す独特の透明感や、登場人物が抱える哀切な想いを、映画でどう表現されるのかを、とても楽しみにしていた(筆者による小説のレビューはこちらを参照のこと)。 […]

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