ミッドナイト・イン・パリ

午前零時の移動祝祭日、夢のつづきは…

midnight in paris

© 2011 Mediaproducción, S.L.U., Versátil Cinema, S.L. and Gravier Productions, Inc.

『ミッドナイト・イン・パリ』は、ウディ・アレンの作品の中でも最高の一本だ。まず、冒頭のパリの街のスケッチ、その美しさに溜め息が出てしまう。ことに雨が降り出してからの街の風景が、若干の憂いを秘めていて美しい。これは、『マンハッタン』冒頭のニューヨークのスケッチに通じるものがある。ガーシュインのニューヨーク、そしてコール・ポーターのパリ。

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」(アーネスト・ヘミングウェイ著「移動祝祭日」新潮文庫より) 映画の中で、ヘミングウェイから「移動祝祭日」というセリフが出てきている。この映画のアイデアは、彼のこの作品からきているように思う。主人公ギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)にとってのパリ体験は、まさに移動祝祭日に他ならない。それは、人生の中で一番思い出に残る日々、その後の人生に強く影響を与える日々、特別な時間。彼はそんな体験をここでした。

真夜中、鐘が12時の時を打つとき、裏通りのはずれからボーッと現れるクラシック・カー、車は過去のパリを連れてこちらにやってくる。時間を移動して「祝祭日」を届けにきたかのように。誰にでも憧れる時代というのはあるのではなかろうか。主人公ギルにとっての憧れは、20年代、「毎日が祝祭」と言われていた時代のパリだ。目の前にスコット・フィッツジェラルド夫妻が現れる。コール・ポーターが目の前でピアノを弾いている。ジョセフィン・ベイカー(伝説のアメリカ出身の黒人ダンサー)が踊っている!驚きを通り越して呆れてしまう気持ちがよくわかる。

ギルは、この時代のことをよく知っている。スコット・フィッジェラルド夫妻が悲惨な末路をたどることを、ヘミングウェイが大作家になることを。そしてこの後、大恐慌により祝祭日はあっけなく終わり、ヨーロッパが戦争の時代に突入していくことを。この時代が一瞬の煌めきであることを承知している。それでもなお、この時代に憧れる人はロマンチストなのである。その儚さも含めてこの時代を愛しているのだ。実利主義で即物的なフィアンセと根本的に合わないことは、明らかである。

彼女は12時の鐘が鳴るまで待てない女、雨に濡れても不快になるだけの女。彼自身は、自分の夢にのめりこむことで、そのことに気が付いていく。同時に彼はタイム・スリップ体験の中で気が付く。いかにつまらない時代だとしても、今の人間は、過去では生きられないことを。その瞬間、彼は単なるロマンチストではなくなり、自分の人生にとって何が大切かを理解する。この時初めて、パリでのこの体験が、彼にとって本当の意味での移動祝祭日となるのである。素敵なラスト・シーン。「もし幸運にも、若者の頃、この映画を観ることができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、この映画はついてくる。」これは、そんな作品だ。

オススメ度:★★★★★
Text by 藤澤 貞彦


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