『少年と自転車』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督インタビュー

“どうやって愛が人を救うのか?”を描きました

左から弟リュックと兄ジャン=ピエール

カンヌ国際映画祭で2度のパルムドール(最高賞)に輝くジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督。トレーラーハウスで貧しい生活を送る少女(『ロゼッタ』)や、わが子を売り飛ばす若者(『ある子供』)など、困難な状況にある子供や若者らの姿を切り取り、社会的な問題を観る者に突きつける作品で常に高い評価を得てきたベルギーの名匠だ。3月31 日公開の最新作『少年と自転車』も昨年のカンヌで第2席にあたるグランプリを受賞。同作では親に見捨てられた少年が信頼できる大人に出会い、一筋の光を見出していく姿をこれまでになく優しいタッチで描き出す。PRのため来日した2人に、お話をうかがった。

 

『少年と自転車』を撮るきっかけは、日本のシンポジウムで聞いた育児放棄された子供の話だとうかがっています。

リュック(以下、L) 2002年に『息子のまなざし』のPRで来日した際、死刑廃止運動のシンポジウムに参加しました。そこで、青少年問題担当の裁判官から父親に捨てられた少年の話を聞いたのです。母親も祖父母もおらず、父親は「必ず迎えに来る」といって彼を施設に預けたまま、結局迎えに来なかった。少年は18歳になって施設を出ますが、その後、暴力団に入ってボスに取り入るために殺人を犯してしまったのです。組織の中で認められ、愛されようとした結果でした。
それからというもの、その少年の話が私たちの頭から離れなくなりました。彼のことを映画にしたいと思い、脚本を書き始めたのです。施設に預けられた少年が、殺人者の運命をたどらないためにはどうすればよいのか? 彼に欠けていたものを与えてくれる人、愛情を与えてくれる人の存在を描こうとしたのです。“果たして、愛は少年を救えるのか”ということを考えて作りました。

“愛は少年を救えるのか”というテーマですが、確かに今作は色調も明るく、観た後に希望を感じる温かさがあります。やるせなさが残る作品が多かったお二人のこれまでの作風とは、少し趣が異なると感じました。雰囲気を変えてみようという意図はあったのでしょうか?

ジャン=ピエール(以下、J) メイビー!(笑)。初めて夏に撮影したこともあり、太陽がたくさん入り込んでいますし、あれほどの温かさを持っている登場人物(少年の面倒をみる女性サマンサ)も今回が初めてかもしれません。ラストも未来へ開かれていて、しかも楽観的です。これまでの作品でも開かれたものにはなっていますが、これほど楽観的な雰囲気が存在したことはありませんでした。けれど、今まで私たちの映画をご覧になって、最後切ない気持ちで劇場をお出になったというのはちょっと残念ですが、今回は幾分かマシだったでしょうか(笑)?
雰囲気の違いは、心境の変化ということではないと思います。ただ、語っているストーリーが違うということです。弟のリュックも言ったように、私たちは今回、“愛が少年を救えるか?”という物語を作りました。私たちとしては、“救える”というほうに賭けをしたのです。年をとると死が近づいてくるので、楽観的になろうとするのかもしれませんね(笑)。

サマンサはとても面白いキャラクターですが、観客には彼女についての説明が一切なされないですね。あえて監督が説明しないという選択をされて、演じたセシル・ドゥ・フランスさんにも伝えなかったと伺っています。

 観客にはサマンサではなく、シリルという少年のストーリーに興味を持ってもらうために、サマンサの行動を彼女の過去によって説明することはしたくなかったんです。私たちが示したかったのは、少年がサマンサの愛によってどのようにして“救われるか”という点だけです。ですから、サマンサがこの少年の面倒をみることを、説明を排除した形で観客に受け入れてもらうにはどうすればよいか? という点に気を使いましたね。
そのためには、映像と音の力で観客を信じさせることが必要だと思ったんです。少年に抱きつかれて、サマンサが床に腰を落とすシーンがあります。映像と音だけでサマンサが少年の苦しみを感じ取ったのだということを分からせることができたら、このストーリーを語り始めることができると考えました。映画が進むにつれ、観客はなぜサマンサが少年に関心を持ち、少年を愛するようになったのか考えなくなってくると思うのです。最初に抱きつかれた瞬間、サマンサが彼の苦しみを感じ取った。それだけが答えです。

シリルを演じたトマ・ドレ君には、どんな風に演出されていったのでしょうか?

 よく子供を演出してはいけないと言います。つまり、お手本を見せてやって、それをマネさせてはいけないという意味です。私たちはその子の人間性を重視し、彼自身が登場人物に“出会う”よう助けてあげるだけです。この映画の中のカメラは、トマ・ドレ本人の素の部分をたくさん捉えていることでしょう。
子ども自身が持っている才能が重要だという点は、あまり語られていないような気がしますね。まず、集中力やキャラクターを支えるだけの可能性を持っている子を見つけることも大切です。
撮影に入る前の40日間、俳優たち、特にトマとリハーサルを重ねました。最初のうちは他の子供やサマンサとケンカをしたり、サマンサに抱きついたりするといった肉体的に動きのあるシーンを練習しました。あの年頃の子はまだ内気なので、女性に抱きつくのは難しいことです。そうした稽古やエクササイズを通して、シリルというキャラクターに段々近づいていったんだと思います。トマは実はカラテを習っていて、茶色の帯を締める腕前なんですよ。彼の集中力や動きを覚える早さはカラテのおかげかもしれません。日本で聞いた少年の話に基づくストーリーに、それを演じたのはカラテやっている少年ということで、日本の方々に気に入っていただけるのではないでしょうか(笑)。
撮影中、彼には失礼がないように接しました。茶帯のカラテキッドを扱う時は気を遣います(笑)。

日本では“個人”を尊重するがあまり、結婚に踏み切れなかったり、家族的なものを否定したりする傾向があります。その一方、例えば独身者同士の共同生活といった“家族のようなもの”を求める動きもあります。昨年3月に起きた大震災も影響しているかもしれません。サマンサとシリルもまさに“家族のような”関係ですね。将来的に、このような関係が増える方向に社会が向かっていくという考えをお持ちなのでしょうか?

 未来のことは神様に聞かないと分かりません(笑)。確かに、血のつながり以外のところで強い結びつきを作ることはできると思います。そうした血のつながりのない人々が結びつき、小さな集団を作って社会を形成するということはありうるでしょう。確かに、サマンサとシリルの関係は一つの例です。未来がどうなるかということは私には分かりませんが、ただ、そこには社会の大きなパラドックスがあるのです。民主主義が進むほど、個人に対して重要な地位が与えられます。個人主義が重要になるあまり、民主主義を働かせるために必要な関係やつながりは壊れてしまう。これが現代社会のパラドックスだと思います。震災のあと、人とのつながりや家族の関係を大事にする動きが見られたとおっしゃいましたが、確かに大災害が起きた後に、人と人との友愛のようなものが表に出てくるというのはよくあることです。

過去のダルデンヌ兄弟作品にはなかった明るい夏の光と同じく、これまでになかった要素として初めて劇中に音楽が流れ、優しい印象を残します。

L シリルはいつも一人で、孤独で、傷ついた様子をしています。音楽があれば、彼の苦しみを少し和らげることができるのではないかと思ったんです。ただし、私たちの音楽は映画とストーリーを強調するとか、何らかの感情を表すといった目的では使っていません。ストーリーの中から聞こえてくる音楽ではなく、サマンサが少年の苦しみを和らげるように、映画の上の方から音楽が落ちてくるような形になっています。

※次の質問には結末に触れる部分があります。映画鑑賞後にお読みください!
苦しみを和らげる音楽に誘われるように、新しい人生へとペダルをこいでいくシリル。終盤、シリルは自分が起こしてしまった事件の被害者である親子に追い詰められ、森に逃げ込んで木から落ちて気を失います。動転して責任逃れを図る親子を尻目に、目を覚ましたシリルは何も言わず無言で去っていく。その姿をカメラはただ見送りますね。色々な意味に読み取れるようで、印象的な幕切れです。そこに込めた意図を教えてください。

 あのシーンでは、被害者親子が「シリルが罵言を吐いたので追いかけた。それで彼が木に登って、勝手に落ちたことにしよう」と嘘の話を思いつきます。もちろん、目が覚めたシリルはその嘘は知らないですが、親子を森の中に残して去っていきます。彼らの陰謀を森の中に捨てていったという形にしているんです。少年はサマンサの方に、再び聞こえてくる音楽の方に向かっていきます。
立ち去る時、シリルは木炭の袋をばっと抱えますが、彼にはチャップリンのような動きで袋を持たせようと演出しました。後はどうなっても知らない、自分は関わりたくない、新しい人生、そしてサマンサの方に向かっていくのだという少年の思いを表したシーンです。

この作品を、日本の観客にはどのように受け止めてもらいたいと思いますか?

 日本でも、ヨーロッパでもない、世界中で普遍的な物語として観ていただきたいですね。どうやって愛が暴力や死から人を救うことができるのか、というあたりを観ていただきたいと思います。

まるで事前に打ち合わせしていたかのように、暗黙の了解で交互に質問に答えていくダルデンヌ兄弟。穏やかな口調ながら熱く語る弟リュックと、時折冗談を交えて場を和ませる兄ジャン=ピエールの息はぴったりだ。映画作りに関しても、「何でも話し合って一緒に決めていきます。求めている映画が同じだと確信するまで、同じものを直感しているということが分かるまで、2人で話し合います」と語っていた。『少年と自転車』を観れば、キャラクターが“そこに存在している”ことに説得力を持たせ、伝えるべきメッセージを表現するために、監督2人がとことん話し合ってエピソードや脚本を練りに練っていることが分かる。2人が世界で高く評価される理由は、この映画作りへの徹底したスタイルにあり、それは兄弟揃って取り組むからこそ完全になるのだろう。

取材・撮影:新田理恵

 

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
兄ジャン=ピエールは1951年4月21日、弟リュックは1954年3月10日にベルギー・リエージュ近郊で生まれる。代表作は『イゴールの約束』(96年 カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞)、『ロゼッタ』(99年 カンヌ国際映画祭パルムドール・主演女優賞)『息子のまなざし』(02年 カンヌ国際映画祭主演男優賞・エキュメニック賞特別賞)、『ある子供』(05年 カンヌ国際映画祭パルムドール)、『ロルナの祈り』(08年 カンヌ国際映画祭脚本賞)など。

▼作品情報▼
『少年と自転車』
もうすぐ12歳になる少年シリルは、自分を児童擁護施設へ預けた父親を捜し出し、再び一緒に暮らすことを願っている。ある時知り合った美容師サマンサに週末だけの里親になってくれるように頼み、ともに父親を捜し始めるが……。
原題:Le gamin au velo
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演:セシル・ドゥ・フランス、トマ・ドレ、ジェレミー・レニエ
配給:ビターズ・エンド
2011年/ベルギー=フランス=イタリア/87分

3月31日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
公式HP www.bitters.co.jp/jitensha/
(c)Christine PLENUS

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