『トイレット』:映画とトイレの文化史

TOILET   突然母が亡くなった。その葬儀後、バラバラだった3兄弟が事情でひとつ屋根の下で暮らし始める。そこには、母親が残していった人たちが住んでいた。ばーちゃん(もたいまさこ)すなわち彼らの祖母とネコの「先生」だ。ばーちゃんはトイレから出てくると、いつも深いため息をひとつつく。一体なぜか。兄弟のうちのひとりレイが、同僚のインド人に尋ねると「それはトイレが気に入らないからに違いない」と彼は言う。「トイレには文化がある。例えばインド人は、不浄になるので右手では絶対にお尻を拭かない。それが文化なのだ。日本にはウォシュレットという、マドンナも惚れ込んだほどのすごいトイレがある。きっとトイレが気に入らないのだよ」こんな馬鹿げた話を彼が本気にしてしまって話が進んでいくあたりが、荻上直子ワールドといったところだが、タイトルのトイレットとは、まさにこの「文化」を意味している。侮るなかれ、「文化」の勘違いをすると、『コンタクト』みたいに和式トイレに鏡餅を飾るような(そりゃ形はあるモノを連想させたかもしれないけれど)大失敗につながる。
    昔の貸し本マンガに「友だちの家に行ったらトイレがなかった」という話があったが、トイレがないこと、それは恐怖マンガにもなってしまうほど私たちにとっては身近で切実な問題だ。しかし、映画を観ていると、その昔西洋にはトイレがなかった…という事実を垣間見る瞬間がある。『恋におちたシェイクスピア』では、ロンドンの街中を歩く興行師ヘンスロウの頭上に二階の窓から汚物がばらまかれる。実際町民は、便壺に糞尿を溜めこみ、それを豪快に通りへばらまいた。「水にご用心」という予告の掛け声と共に…大抵は間に合わなかったが。『メル・ブルックスの珍説世界史PART1』では、屋外で遊びに興じる18世紀の貴族たちが、小便係の召使を呼び寄せる。彼が壺をもってやってくると、その場で用が足せるという寸法だ。なんだかねぇ。
   19世紀のロンドンでは、下水道によって汚物を運ぶという施設が一部の地域ではあるが、ようやく整いつつあった。ただし、よく詰まり、場合によっては途中で管が破裂、汚物が家中に撒き散らされる危険を覚悟しなければならなかった。一般的には相変わらず、庭の隅に作った肥溜めに汚物を溜めておくというのが、主流だったようである。意外にトイレの設備が早くから整っていた場所は修道院と軍隊の施設である。集団生活ゆえ、何よりも秩序と規律が重んじられる場所だからだ。『ジョニー・イングリッシュ』で諜報員のローワン・アトキンソンが、古いお城に忍び込む際に見つけた脱出口のような穴を昇っていくと、顔を出したところが便器の中だったというシーンがあるが、あれがその典型である。ここでは、木製の長椅子の上に丸い穴がいくつも並んでいて、そこで用を足すと城の外へ確実に汚物が排出される仕組みになっている。もっとも、大勢の兵士たちがそこに並んで座り、朝から唸っているという姿は想像したくない光景ではあるが。
 一方19世紀、貴族の館のトイレ事情を伝える貴重な映像があるのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』である。(おお、突然格調が高くなったぞ!) ある公爵の屋敷で開かれた大舞踏会、周囲の喧騒に疲れを感じたサリーナ公爵(バート・ランカスター)が、ひとり化粧室で鏡を見つめるうち、言いようのない寂寞感を感じ、涙を流すシーンにそれは登場する。
    広間に抜けて小部屋に入ると、壁際に鏡のついたテーブルがふたつある。ひとつは、ブラシが置かれているので身だしなみを整えるためのもの。もうひとつは水差しと手水鉢が置かれているので手洗い用だ。その部屋のさらに奥には、レースのカーテンで仕切られた小部屋があるのだが、ここにところ狭しと壺が並べられているのがちらりと見える。大抵が白い磁器製で口の部分が広くなっているのだが、これが小便壺、所謂おまるにあたるものだ。そういえば、ベルサイユ宮殿にはトイレがなかったなんてことが言われているが、まさに王侯貴族の館とは、そんなものだったのかもしれない。ちなみにルイ14世は、王家の紋章がついた銀製の壺を愛用していたそうである。
 『スラムドッグ$ミリオネア』ではインド式の公衆用トイレを見ることができる。階段を昇って、ベニア板だけで周りを囲んだトイレに入ると、真ん中にポッカリと穴があいていて、そこにしゃがんで用を足すという風になっている。下にはドラム缶みたいなのが置いてあって、そこにモノは落下していき汚物として溜めこまれるというわけだ。
   私たちは、和式トイレという言い方をよくするが、どうもアジアの地域では、しゃがんで用を足す形が一般的のようである。しかしながら、この穴だけがポッカリと開いているというトイレは、使ってみると意外に怖いものである。子供の頃父に連れられて行った田舎のトイレというのがそうだった。穴を掘って、その上に竹をわたして真ん中だけをくり抜いたという形のトイレであったのだが、子供にはその穴はとても大きく見え、また丸みを帯びた竹の床はいかにも滑りそうで、このまま落ちるのではと真剣に心配したものだった。不思議なもので、日本の便器には大抵ついている金隠し、あれひとつあるだけで恐怖が和らげられるということをこの時知った。『スラムドッグ$ミリオネア』では主人公の男の子は、飛行機でやってきたスター見たさに焦って本当に肥溜めの中に落ちてしまうのだが、その昔日本でもそんな子がいたかもしれない。
    トイレひとつで話がだいぶ長くなってしまった。実は映画に出てきた印象的なトイレというテーマだけで、まだまだ書きたいことは色々あるのだけれど、今日はこのくらいで。それで、何が言いたかったかということなのだが、トイレというのは、やっぱり「文化」だということなのである。『トイレット』でインド人の同僚が語っていたことは、真実をついている。そういう意味でこの映画、目のつけどころはいいと思う。英語が理解できない、ばーちゃんと、その孫たち。彼らが「文化」の違いを乗り越え、どうやって心を通わせていくか。『トイレット』の見所はそこにある。

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  2. 2010年9月のベストシネマ (鈴木こより) : 映画と。

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