『愛しきソナ』:ヤン・ヨンヒ監督初日舞台挨拶
4月2日より公開の『愛しきソナ』ヤン・ヨンヒ監督による初日舞台挨拶、トークショーが、ポレポレ東中野にて行われた。テーマは「みんなで計画停電を明るく乗り切ろう!」作品中、突然起きた停電中の暗闇の中で、監督の姪ソナちゃんが「停電中のこの家はカッコいい、栄えある停電であります!」と明るくおどけるシーンがあることから、それを計画停電にひっかけた企画である。劇場内は、節電を考慮し、また雰囲気を出すため電気が消され、ランタンと懐中電灯の明かりのみという不思議な雰囲気。そんな中、ヤン・ヨンヒ監督が、今回の震災で感じたこと考えたことなどを、およそ20分間にわたり語ってくれた。
ヤン・ヨンヒ監督
「今回の震災で被災した東北、北関東の人たちが想像を絶するような状況の中で時間を過ごしていらっしゃるというのを実感しながら、私たちは東京で過ごしていると思います。映画を作る、表現をするという仕事を選んだ人間として、何が出来るのだろうということを改めて考えています。」
―震災で自分が感じたことを語り出したヤン・ヨンヒ監督だったが、さまざまな思いが胸に去来し、話はとまらなくなる。
「今回、私自身の中で大きな発見がありました。原発事故が起きるなか、海外の友人たちからたくさんメールが来たんですね。「早く日本を脱出しろ」と。ところが私はここにいたかった。そのことにつき、まったく迷わない自分がいたのですね。今までは、自分にとってのホームカントリーがなかったのです。20代30代の頃は、名前を言った時、いちいち在日ということを説明しなければならなかったり、本当に不便なことが多く、そのたびにここは自分のいる場所じゃないかもと、思っていたのです。」
「今、私は本当に日本で映画を作り続けたいと思っています。なんかやっと家がみつかったという感じ。この国が、ここが自分の国として言えるまでにすごく時間がかかったのだけれども、やっと言えるようになった。(涙が溢れだしてくる)今こういうことが言えるのはスタッフ、友人たちに応援していただいているからです。今後、家族を守るためも家族を有名にしなくてはと思っていますし、家族を守るためにも私自身、私の作品が認められるように一作一作正直に自分の表現を続けていこうと思っています。」
司会
ピョンヤンにいるソナちゃんを主人公にした映画を作ろうという経緯について教えてください。
ヤン・ヨンヒ監督
「ビデオカメラをもって行こうとしたきっかけがソナです。兄のうちにはじめて女の子が生まれて、送られてきた写真に一目ぼれをしました。そして、その隣に私の兄が写っている。その写真の光景が、自分の小さい頃の姿と重なってきました。この子が、兄となかなか会えなくて寂しい思いをしている自分の代わりに、隣にいる。そう思うと私の分身のように思えてきて、それでこの子の成長過程を撮ろうと思ったのです。それと同時にうちの家族も撮ろうと。ソナに対する思い、兄に対する思いを作品にしたいと。」
「それでも最初から北朝鮮の家族を撮るというのは、彼らにとってはチャレンジになってしまうので、迷っていると、強烈なキャラのお父ちゃんが目の前にいたということに気がつき、で、父を主人公にまず『ディア・ピョンヤン』を作りました。でもこの間も、これが終わったらソナで映画を作るというのがずっと頭にあって、それで『ディア・ピョンヤン』では、ソナの画は出し惜しみをし、次の作品のために用意をしていたというのが、実際のところです。」
司会
『ソナ』の場合は北朝鮮の映像が多く使われていまして、多分日本のマスコミでは紹介されないような日常生活が垣間見れるというのがとても貴重な部分かなと思うのですけれども、映画の中で使われていないようなエピソードなどがありましたらお願いします。
ヤン・ヨンヒ監督
「北朝鮮の人というのは、ビデオカメラを向けると、国を背負っちゃうみたいなところがあるのですね。自分を見せるということができないのです。多分私が入国禁止になった理由というのは、インディビジュアルとしての家族、北朝鮮の人たちが写ってしまったからだと思うのです。でも、ちょっと案内人のおじさんとかと仲良くなると、ワイ談が好きだったりするのです。なんでお兄ちゃんこの人こんなにスケベなのと言うと、それくらいしか自由に話をすることができないんだよ。わかってやれよって(笑)」
「本当に私たちとおんなじですね。ただ生活が、私たちの想像のできないような社会的なルールの中にあるということです。生活の水準は、お金持ちの子供はベンツで送り迎え、しんどい方は、食べられなくて餓死というところまで。そんな超格差社会だと思ってもらっていいです。政治的には、キム・ジョンイル主義、とても矛盾した二重の社会の中で日々生きているのが彼らだと思います。」
「映画の中で見ていただく分も、私が訪問している間の生活なので、ソナの日常の中の特別な数日間に撮られた映像だと思って観ていただければと思います。本当に表面だけをちょっとお見せしているくらいに思ってください。ドキュメンタリーでできない話は今フィクションで作っております。」
司会
明かりを消して生活することによって見えてきたこと、感じたことなど何かありますか
ヤン・ヨンヒ監督
「ちょっと暗くなった東京は、ちょっといいなと思っています。ほっとするというか。ヨーロッパなんか行くとちょっと暗めですよね。日本に来ると夜も眩しいくらいで。でも、目の前のお店だけが明るかったりするのですね。人工的な光で明るいと、目の前のものはよく見えるけれども、遠くのものとか、未来とか、将来に対してはどんどん見えなくなるんじゃないかと最近感じています。」
「テレビとか、パソコンとか明るい光と共に来るものって、情報がいっぱいあるようで、結構浅いものなのかもしれない。遠く深いものを見つめるために、明かりを消すっていうのは、本当に必要なことかもしれないなってすごく思っています。電気をつける贅沢というよりは、電気を消す贅沢みたいなものを、節電も兼ねて少し味わいながら生活をしたいなと思っています。まあソナの停電はそんなに悠長なことは言っていられないのですが。あの停電の中でも笑っているソナの明るさっていうのには、圧倒されました。」
「ピョンヤンは真っ暗だと、本当街頭も少ないし、キャピタルシティとは思えないくらい暗いのですが、田舎から来た私の親戚は、いやーピョンヤンに来たら明るいなぁって言っていたのですね。もう全然基準が違いすぎて、はぁーこれで明るいのだと、私はどこに明かりがあるんだって思ったのですけれども、暗い明かりの中でそういう地方の人たちは生きている。まあそういう話も今後色々なところでボチボチやっていきたいと思います。」
舞台挨拶を見て…
北朝鮮は私たちにとっては、いまだベールに包まれた国である。彼らがどんな生活をし、どんな思いで日々暮らしているか、今までは知る術がなかった。この作品はその一部を垣間見せてくれるという点で、とても貴重な、興味深い作品である。
でもこの作品はそれだけでは終わらない。ヤン・ヨンヒ監督の家族への思いも濃厚に伝わってくるのだ。姪のソナちゃんが、今では大学生となり英語を学んでいること、そこには、明らかに叔母である監督自身の影響が感じられる。北朝鮮の教育を受けながら、外には自分の住むところとは違う世界があることを感じながら成長していったソナちゃん。心の中に矛盾したふたつの世界をもつ彼女の姿は、監督自身の姿と重なる部分がある。そうした意味でもソナちゃんの存在は、以前にもまして監督にとって「自分の分身」となっているのではなかろうか。
それにも関らず、『ディア・ピョンヤン』を作って、ヤン・ヨンヒ監督は北朝鮮への入国を禁止されてしまった。家族に会えないつらさもさることながら、それ以上に今心配なのは、家族の身の上である。
舞台挨拶の中で、ヤン・ヨンヒ監督が次のように語っていたのが印象に残った。
「自分のエゴで映画を作ってソナの家族に迷惑がかかるのじゃないかということがとても心配です。でもいつか自由に会えるようになったときにそれでもおばちゃんは負けなかった、くじけなかったって、好きなもの作ったよと堂々と言えるようなソナの叔母でありたいと思っております。今後、家族を守るためも家族を有名にしなくてはと思っていますし、家族を守るためにも私自身、私の作品が認められるように一作一作正直に自分の表現を続けていこうと思っています。」
映画を作ることについての並々ならない決意、覚悟が伝わってくる言葉だ。家族への愛が、監督を突き動かしているのだろう。いつか自由に家族と会える日まで…。それまで、私たちも彼女の作品を見守り続けていこうではありませんか。
取材:藤澤貞彦
<関連記事>「愛しきソナ」ヤン・ヨンヒ監督インタビュー
『愛しきソナ』
【監督・脚本・撮影】ヤン・ヨンヒ
2009年/韓国・日本/82分
公式HP http://www.sona-movie.com/
4月2日(土)~4月22日(金)ポレポレ東中野
4月23日(土)~ 新宿K‘s cinema 他全国順次ロードショー
2011年5月4日
愛しきソナ…
在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督が「ディア・ピョンヤン」に続いて自らの家族を記録したドキュメンタリーフィルム。姪のソナの成長を中心に、変わりゆくピョンヤンと家族を描き出している。暖かい愛あふれる家庭の中で、監督自らの価値観と両親の価値観の違いなどに目を背けず記録した貴重な記録だ。…