ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男
2 ブライアン・エプスタインがマネジメントしたアーティストたち
ブライアン・エプスタインがテレビ番組の中で、自分がマネジメントするアーティストたちを紹介する。ジェリー&ザ・ペースメイカーズ、ザ・ビードルズ、ビリー・J・クレイマー・アンド・ザ・ダコタス(アイ・コール・ユア・ネーム)、トミー・クイックリー(ティップ・オブ・マイ・タン)、シラ・ブラック(ラヴ・オブ・ザ・ラヴド)ここで流れる曲は、ジェリー&ザ・ペースメイカーズの「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」だ。元々はジョージ・マーティンがビートルズのデビューシングルのために提供した曲で、レコーディングも行われたが、ビートルズ自身が気に入らず、お蔵入りになった曲である。オリジナル曲でシングル・デビューしたい彼らの希望は叶い「ラヴ・ミー・ドゥ」が発売されたが、皮肉なことにジェリー&ザ・ペースメイカーズの「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」のほうが、エプスタインがマネジメントしたバンドで初の全英ヒットチャート1位に輝くことになる。しかしながらビートルズが特別なのは、他のメンバーのデビュー曲がすべて、レノン=マッカトニーが作曲したものだったことである。ブライアン・エプスタインとジョージ・マーティンは、早くから彼らの才能が特別のものであることを理解していたのだった。因みにビートルズ版「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」は「ビートルズ・アンソロジー1」で聴くことができる。ジェリー&ザ・ペースメイカーズの演奏は、これをコピーしたものだったということもわかり興味深い。
ブライアン・エプスタインにとってビートルズの次に重要な存在だったのは、シラ・ブラックだろう。キャヴァーン・クラブのクローク係で働いていたというのは、実話である。シン・ブラックの舞台にエプスタインが付きそう場面で歌われるのは「ユー・アー・マイ・ワールド」だ。「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」でデビューし全英1位を獲得したシラはこの曲で3曲連続シングル全英1位を獲得する。この場面、実は私には既視感があった。それは、音楽プロデューサーのポール・マッカートニーがメリー・ホプキンに付き添い、歌う前に励ますというドキュメンタリーのワンシーンだった。ブライアン・エプスタインの死後、ビートルズはアップル・レコードを立ち上げ、そこで何人かのアーティストをデビューさせる。そのうちの1人メリー・ホプキンは、デビューシングルでいきなり全英1位を獲得するのである。またポール・マッカートニーは、彼女だけでなくバッド・フィンガーズというバンドにも楽曲を提供し、「マジック・クリスチャンのテーマ」をヒットさせている。それゆえに、この場面を観ると、ブライアン・エプスタインの精神は、彼の死後においてビートルズに引き継がれていったのではないかという思いがしてくるのだ。
エプスタインの弟の結婚式の後、父親から疎まれ1人会場を離れて物思いに沈んでいたエプスタインをシラ・ブラックが励ます。シラの父親が彼と面識があったことから結婚式に招待されていたのであろうか。その場面で2人が口ずさむ曲は、ディウォンヌ・ワーウィックのヒット曲「エニワン・フー・ハッド・ア・ハート」である。「心があった人ならば 両腕で私を抱いて私のことも愛してくれる」彼を慰めるのにピッタリの曲であるだけでなく、シラ自身もこの曲をカヴァーしており、全英シングルヒットチャート1位になった曲でもある。3 EMIパーロフォン
EMIパーロフォンとは、EMIのコメディレーベルである。そのマネージャーだったジョージ・マーティンは、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品などコメディ色の強いレコードの制作を担当していた。ブライアン・エプスタインは、彼が音楽学校を卒業しており、音楽の仕事をしてみたいと思っていること、また彼の仕事ぶりからユーモアのセンスに自分と共通点があることを見抜いていた。「ジョージ、僕が行くところ、みんな笑う。僕たちは一緒にうまくやっていけるよ」この発言はジョージ・マーティンの笑いを誘い、良い結果をもたらすことになる。また、アビー・ロードの最初のレコーディング・セッションで、ジョージ・マーティンは「何か気にいらないことはないか」とビートルズの面々に尋ねる。するとジョージ・ハリスンが「そのネクタイが気に入らない」と答える。気に入らないことというは、当然オーディションのことについてであるにも関わらず、である。驚いたジョージ・マーティンが、エプスタインにも「このネクタイはそんなにひどいか」と尋ねたところ、彼もまた「同感です」と答え、一同大爆笑となる。3者のユーモア感覚が見事に合致したことを示すシーンである。実際にブライアン・エプスタインは、自伝「地下室いっぱいの騒音」で、ビートルズの最初の印象を「彼らの音楽、彼らのビート、彼らのユーモアのセンスに打たれた」と語っている。
このシーンを観て気が付いたのは、ビートルズとジョージ・マーティンの出会いは、ビートルズの音楽以外の仕事にも大きな影響を与えてきたということだった。映画の中でエプスタインはジョージ・マーティンが担当していいたコメディアンとして、グーン・ショー(ラジオ番組)のスパイク・ミリガン、ピーター・セラーズの名前を挙げている。ショーの中では、ミリガンがトランペットを吹き、ピーター・セラーズがオーケストラのドラムを演奏していたという。ジョージ・マーティンは、そうしたものをレコーディングしていたのだろう。1956年には「ザ・グーン・ショー」はテレビに持ち込まれる。主演したのは、ピーター・セラーズである。そして3作のうち2作の監督はリチャード・レスターである。「ザ・グーン・ショー」で成功を収めた後、ミリガンはテレビ番組「Q…」を製作する。この番組は、後のモンティ・パイソンのメンバーにも大きな影響を与えることとなる。
長々と書いてきたのは、ビートルズのその後とこれらが繋がっているからである。リチャード・レスターはビートルズの2本の映画を監督し、その後もジョン・レノン主演で『ジョン・レノンの僕の戦争』を監督、また1991年にはポール・マッカートニーのライブ・ドキュメンタリー『ゲット・バック』を監督(遺作)するなど、長い付き合いが続いた。ピーター・セラーズは、コメディ作品『マジック・クリスチャン』でリンゴ・スターと共演することになる。ジョージ・ハリスンは、スパイク・ミリガンの影響を受けたモンティ・パイソンの映画をハンドメイド・フィルムズという会社を立ち上げ、製作者として支援することになるのである。もし、この3者の繋がりがなかったら、ビートルズのその後は随分違ったものになっていたに違いない。
4 ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン
エンドタイトルでは「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン(You’ll Never Walk Alone)」。これはリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン二世のコンビによるミュージカル『回転木馬』の中のナンバーである。地上に残してきた家族の危機に際して、1度だけ地上に戻ることができるという話を聞いた主人公が、天国の番人に自分の身の上を語り、地上に戻してもらうという話である。エプスタインが観客に語りかけるという形式の本作は、もしかすると、これをなぞったものなのかもしれない。この曲はフランク・シナトラ、ジュディ・ガーランドなど錚々たる歌い手がカヴァーしているが、ここでは、エプスタインがマネジメントしていたジェリー&ザ・ペースメイカーズのものが使われている。全英ヒットチャートで4週連続1位を獲得、のちにリヴァプールFCの愛唱歌となった曲でもある。この作品のエンディングに、これほどまでにふさわしい曲があるであろうか。「嵐の中を歩いていく時でも 上を向いて歩こう 暗闇を怖がらないで 嵐の向こうには 輝く空が待っている そしてヒバリの素敵な歌声も」『回転木馬』の主人公のように、この曲に乗って彼が天国へと戻っていっている、そんな感じもする。これは、地上の人たち、天国へ戻っていく主人公、本作ではエプスタイン自身に贈られた詩なのだ。
■公開日:9月26日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男~愛に生き、愛に滅ぼされた男の人生の軌跡~