ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男
ブライアン・エプスタインの人生を描いた本作では、世界最高のバンド、ザ・ビートルズを育てた男の生涯ゆえにさまざまな音楽が使われている。それは、時代の空気を出し、また物語の副旋律にもなっている。ここでは、それらがどんな意味を持っているのか考えていきたいと思う。
1 ザ・ビートルズ・デビューまで
冒頭、ブライアン・エプスタインがまだレコード店の店長となる前の時代、最初にかかる曲は「オンリー・ユー」で有名なプラターズの「you’ve got the magic touch」である。プラターズはドゥー・ワップの王者で1950年代に一世を風靡したグループ。スウィンギング・ロンドンと呼ばれる若者文化が花開く前の、古き時代を感じさせるものとなっている。「時代は変わった。今は夢を売らなくては。私の夢は店より大きい」というエプスタイの台詞がそこに絡んでくる。
レコード店の店長になったエプスタインは、売れているレコードということでロニー・ドネガン、プレスリーらを挙げている。時代の最先端の曲がプラターズの時代から大きく動いていることを感じさせる。店内ではチャック・ベリーの「let it rock」が流れている。言うまでもなくビートルズが強く影響を受けたのがチャック・ベリーその人である。のちに「ロール・オーバー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」などがビートルズのアルバムに収められている。この後エプスタインは、トニー・シェリダン・アンド・ヒズ・ビート・ブラザース(ビートルズ)の「マイ・ボニー」のレコードを買いに来たお客さんのリクエストをきっかけにキャヴァーン・クラブへと向かうことになるのだが、既にこの時点で、ビートルズのサウンドに近いものを聴いていたことになる。
キャヴァーン・クラブに入ったエプスタインだったが、そこではロニー・ドネガンの1955年の大ヒット曲「Rock Island Line」が演奏されている。(演奏は別のバンド) この曲によって、1955年英国でロックが始まったと言われているものだ。このジャンルはスキッフルと呼ばれていて、ビートルズもその前身のクオリーメン時代にそれをやっていたことが知られている。つづいて、いよいよビートルズの「some other guy(サム・アザー・ガイ)」。オリジナルではなく、リッチー・バレットの曲だが、1962年8月22日の昼にキャヴァーン・クラブで行なわれたビートルズの公演をグラナダTVが撮影し、デビュー前の彼らの姿を伝える貴重な映像として残っている。エプスタインがここを訪れたのは1961年11月9日なので、この時にはまだこの曲は演奏されていないはずなのだが、敢えてこの曲にしたのは、映像が残っているのでファンにも親しみやすいこと、ビートルズ自身のお気に入りの曲であること、それに孤独な男を歌った曲ということで、エプスタインの心情ともマッチしていることがあるかもしれない。なお、ビートルズとの出会いまでに使用された曲は、プラターズから始まり、チャック・ベリー、ロニー・ドネガンのスキッフル、サム・アザー・ガイまで、簡単にロックの歴史を辿っている。契約をかわすと、エプスタインはすぐに彼らにスーツとネクタイを着用するよう指示する。また、客前での喫煙をやめさせ、演奏の終わりには一礼をさせた。この過程でかかる曲は、マーキーズの「ラストナイト」である。R&Bチャート2位を記録した1961年の大ヒット曲だ。このバンドがスーツとネクタイを着用して演奏していることに引っかけた洒落である。新生ビートルズは、このスタイルで「プリーズ・ミスター・ポストマン」を演奏する。彼らは1962年頃からキャヴァーン・クラブなどでお気に入りのこの曲を演奏していたが、1963年に英EMIがモータウンの英国内販売権を獲得したことで、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」に収録することになるのだ。
レコード契約を取るため、エプスタインはあちらこちらのレコード会社を駆け巡る。成績の良いレコード店の店主として業界に顔も利くので、すぐにでも契約にこぎつけるかと思いきや、なかなか甘くはない。ビートルズのようなバンドでさえ、ここまで苦労しているのが意外な感じもする。ここでかかる曲は、フランク・キャプラ監督『波も涙も暖かい』に出演していた子役エディ・ホッジスの「恋の売り込みI’m gonna knock on your door」である。1961年6月にリリースされ大ヒット。若干14歳の少年の明るい歌声が、苦しい状況をユーモラスな感じに変えている。「ドアをノックして ベルを鳴らして 窓も叩くよ こんなに月が明るいのに 出て来ないのかい? 出てくるまで、ノックし鳴らし叩き続けるよ」
すっかり疲れて落ち込んだブライアン・エプスタインをビートルズの面々は、冷やかすことによって笑わせ、元気づける。「スキニー(痩せっぽち)・ブライアン、でも痩せっぽちって訳じゃない、彼は金持ちなだけさ」これは「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で有名なビル・ヘイリーと彼のコメッツの「スキニー・ミニー」の替え歌。背が高い、を金持ちに替えていて、彼らがユーモアのセンスを共有していることがわかるエピソードになっている。またこの曲は後にエプスタインがマネジメントしている、ジェリー&ザ・ペースメイカーズがレコーディングする曲でもある。
1962年6月6日、遂にビートルズはアビー・ロードEMI第3スタジオにてレコーディング・セッションを行う。録音されたもののうち、今日まで残るのは「ベサメ・ムーチョ」と「ラヴ・ミー・ドゥ」の2曲だけだが、それは「ザ・ビートルズ・アンソロジー1」で聴くことができる。映画では「ベサメ・ムーチョ」が使われているが、その音を忠実に再現している。なお、映画で描かれた通り、これは、ピート・ベストがドラムを叩いた唯一のセッションでもあった。
テビューして人気が高まってきたビートルズは、ビート・ミュージックとして、初めてロイヤル・バラエティ・ショーへの出演を果たす。「最後の曲になりました。皆さんにも少し協力していただきたいと思います。安い席の皆さんは拍手をしてください。あとの方々は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」ジョン・レノンの挨拶に客席は笑いに包まれる。ここで演奏された曲はもちろん、「ツイスト・アンド・シャウト」声が枯れるから、いつも最後に歌うことにしていた曲だ。しかし映画では「マネー」に差し換えられている。「マネー」は1960年にモータウンから発売されたヒットした曲で、ビートルズのオリジナルではない。もしかしたら、この映画では、ビートルズのオリジナル曲が1曲も使用されていないので、版権が取れなかったという事情があるのかもしれない。それにしてもお金持ちが集まるチャリティショーにおいて「おまえの愛は刺激的だけど 愛じゃたまったツケは払えない 僕は金が欲しいんだ」とは、あまりにもブラックで、その選曲には驚かされる。