ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男

愛に生き、愛に滅ぼされた男の人生の軌跡

©︎STUDIO POW(EPSTEIN).LTD

 ザ・ビートルズのコンサート会場の片隅で、いつもひとり笑顔を浮かべ、彼らを見守る若い紳士がいた。ブライアン・エプスタイン。エレガントな物腰のその若い英国の紳士は、どこか内省的で、寂しそうな雰囲気も醸し出していた。そんな彼のどこに、ザ・ビートルズを世界の音楽シーンの頂点に引き上げるだけのパワーがあったのだろうか。この作品を観ると、その答えの一端が見えてくる。

 ザ・ビートルズのデビューから60年以上、彼らにまつわる様々な映画が製作されてきたが、ブライアン・エプスタインが主役になった作品は、これが初めてである。しかし、彼が存在しなかったら、後のザ・ビートルズは生まれていなかった、それくらい重要な人物であることが、作品を観ているとよくわかる。それゆえにこれまで映画にならなかったこと自体が不思議なくらいであり、だからこそこれは、ファンにとっては待望の映画化とも言える。

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 ブライアン・エプスタインに焦点を当てるために、この作品はとてもユニークな演出方法を採っている。彼自身が観客に語りかけるのである。しかも目の前で起きていることは、観客には、現在進行形の出来事に映るのであるが、「まだこれについて語るのは早かった」という言葉が示すように過去形なのだ。彼は自分の背後に映像が映し出される中を、起こった出来事について観客に説明し続ける。彼の両脇にはスクリーンボードのようなものが幾重にも連なっており、その中を前に進む。これはいわば、スプリット・スクリーンの応用である。そこには新聞の記事や写真、当時の映像が流れ続けている。ザ・ビートルズの全米ツアー、失敗に終わったフィリピンでのツアーなど。彼の前方は未来、うしろは過去。こうした時間軸の中を記憶の川でも進むかのように、彼は煙草に火をつけ、薬を飲み、ウィスキーを飲みながら、現在へと歩み続ける。自伝を文章ではなくて、映像で綴るとしたらこのようになるのではないか、そんな感覚である。これは112分という短い時間で、5年間の出来事を効率的に進め、かつエプスタインの内面の掘り下げに物語を集中させるという効果をもたらしている。

 エプスタインは観客に語りかける。「法に隠れていると惨いことが起きる。忙しくて自分を憐れむ時間はなかった。私生活は惨めだったが、仕事は次々成功した。」

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 忙しくてというのは、とてもわかる。これだけの短期間に、ザ・ビートルズを世界の頂点に上り詰めさせ、シラ・ブラックやジェリー&ザ・ペースメイカーズなどを世に売り出し、ブリティッシュ・ポップの世界的流行の先陣を切ったのだから。映画の中では、キャバーンクラブでのザ・ビートルズとの最初の出会いから、EMIパーロフォンでのオーディション、ピート・ベストをクビする経緯。王室チャリティーショーの舞台裏やエド・サリヴァンとの出演交渉、ジョン・レノンの「ザ・ビートルズはキリストより有名」という発言の釈明記者会見の裏側なども描かれており、エプスタインがどのような仕事をしていたのかがよくわかる。これは、ザ・ビートルズファンにとっても大変興味深いものである。当時を再現したセットが素晴らしく、ザ・ビートルズを演じた俳優たちも、ステージ上のパフォーマンスと日常での仕草と声を巧みに演じており、物語に説得力をもたらしている。(ライブ映像や映画『ハード・デイズ・ナイト』などとてもよく勉強しているようだ)
 

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 次に「法に隠れている」というのは、当時の英国では、同性愛行為が犯罪だったためである。(67年に廃止される)ゲイである彼は、そのことでとても苦しんでいた。父親は、そのことを恥じて彼に冷たく当たる。「精神病院にいって治療しろ」と。WHOが同性愛を精神障害の分類から除外したのは、1990年のことであるからそれも無理はない。父親の経営する家庭用品とレコード店「NEMS」のレコード店を任された彼が、猛烈に働きだすのは、彼が単に流行の音楽に敏感だっただけではなく、父親に認められたいという気持ちも大きかったようにも思える。しかし、父親は彼に対して小言を言うだけで、決してほめようとはしないのだ。愛されたいのに誰も愛してくれない。私生活の惨めを感じれば感じるほど、それがよりいっそう彼を仕事へと駆り立てていく。「忙しくて自分を憐れむ時間はなかった。」それが彼の生を支えていたのである。

 しかし、ビジネスに成功して有名になってくると、それに付け込んで、脅迫やゆすりをしてくる人も現れる。世間に知られれば大きなスキャンダルとなり、自身だけでなく、ザ・ビートルズをはじめ関係者にも大きな影響を与える。それがどれだけのストレスだったのか。やがて彼は、覚せい剤と興奮剤を混合して服用いくようになり、身体が徐々にむしばまれていく。自分一人で解決しなければならない、その孤立感、それが残されたフィルムに写し出されていた「どこか内省的で、寂しそうな雰囲気」だったのではなかろうか。

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 ブライアン・エプスタインの最後の仕事は、宇宙中継特別番組『OUR WORLD 〜われらの世界〜』であり、そこで披露された曲が「愛こそはすべて」であったことに、何かドラマチックなものを感じる。この曲自体はベトナム戦争を背景に、平和を訴える意味も込めて作られた曲だが、それだけではない普遍性のある曲である。「Nowhere you can be that isn’t where you’re meant to be.」君がいる場所は、いつだって君のいるべき場所さ。「all you need is love, love, love is all you need」君には愛こそが必要さ。愛こそはすべて。エプスタインはいるべき場所にいて、多くの人から愛される存在だった。母親も彼のことを愛し、いつも優しく寄り添っていた。彼はただ、自分の思うような愛を手に入れられなかったのである。多くのものを愛し、愛に生き、愛に滅ぼされた彼の人生の最期に出会ったビートルズ・ナンバーがこの曲だったことに、何か運命的なものを感じてしまう。

 エンドタイトルでは「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン(You’ll Never Walk Alone)」がかかる。これは、元々はリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン二世のコンビによるミュージカル『回転木馬』のナンバーである。地上に残してきた家族の危機に際して、1度だけ地上に戻ることができるという話を聞いた主人公が、天国の番人に自分の身の上を語り、地上に戻してもらうという話である。エプスタインが観客に語りかけるという形式の本作は、実はこれをなぞっていたかと思われる。これは、地上の人たち、天国へ戻っていく主人公、本作ではエプスタイン自身に贈られた詩なのである。

■公開日:9月26日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男~ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン 音楽から読み解く作品世界~

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