エス

逮捕・再会・絶望と、仲間たちへの思い。映画監督自らの体験を語ろう的な・・・

©2023 上原商店

 国際的な映画祭でグランプリを受賞、これからメジャーに進出して活躍する日も間近だった太田真博監督は2011年に不正アクセス禁止違反容疑などで逮捕された。この作品は自身のそんな体験が元になっている。

 「僕の名前は園田。自主映画のコンテストでグランプリを取ったんだ。でもその直後、超ツマラナイことをやっちゃって、逮捕されたんだ。プロデビューまであと一息ってところだったのにね。ようやく出所してきたところ。この間、久しぶりに学生時代からの演劇仲間の家に招待された。「園田を元気づけてやろう的な」会だって。一応こんな僕だって、仲間に合わす顔がないって思っている。だからちょっと緊張した。でも出来る限り明るく振るまおうって思っていたんだ。園田は元気だよ的な、ね。それなのに…。」
 この作品では、園田という男は最後まで出てこない。顔もわからなければ、声もわからない。だからこの独白は、あくまでも筆者の想像である。

 これは、2016年、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で『園田という種目』が上映された時に筆者が書いたレビューの冒頭を抜粋したものである。太田真博監督の初の長編映画『エス』は、この作品のアップ・デート版だ。それ故に内容については、園田が染田と名前が変わったこと以外はこれに当てはまる。しかし、本作の印象は、配役が一部同じであること(松下倖子)、セリフも同じ部分が相当数あるにも関わらず、前作とはだいぶ違っている。

©2023 上原商店

 太田真博監督の作品で、一番特徴的なのは、そこにいるはずの人が不在であることで、ドラマが生まれるというところだ。この作品だけでなく2008年の中編作品『笑え』においても、問題となっている人物が途中まで出てこない中でお話が展開しており、それが作品の肝となっている。本作でも「染田を元気づけてやろう的な会」では、染田が途中で帰ってしまい不在となっている。さらには、コンビニに酒を買いに行ったために、その場に居合わせなかった人物がもう1人いる。なぜ染田は帰ってしまったのかと、観客は彼に近い立場でそれぞれの話を聞くことになるので、その断片を元に想像力を膨らませていくことになるのだ。しかし会話は容易に進まない。というのも、「縮こまって生きていろよ」と染田が帰るきっかけとなる言葉を吐いてしまった人物が、後ろを向いていたり、トイレに行ったりと、またまた不在になってしまうからだ。それでもここは元演劇部の人たちの集まりである。臨場感たっぷりにその場面を再現してしまう人がいるお蔭で、かえって本人から直接話を聞くよりも場面が頭に浮かんでくるし、また染田の人物像もおぼろげながら浮かび上がってくるのである。

©2023 上原商店

 普通、会話劇では、Aが話をすればBがそれを受けて、論理的に問題点が浮かび上がってくるものだが、この作品はそのようにはならない。会話はかみ合わないし、話がすぐに別の方向にそれていってしまう。それがかえってリアルである。挙句の果てに、染田のことをよく知っているという意味で「お前は染田初段だ」「いやお前はまだ3級だ」みたいな悪ふざけまで始まってしまうのである。みんな彼のために何かしてあげたいという気持ちで集まっていながらも、彼との距離感が異なっているということを、悪ふざけとは言いながら端的に捉えたジョークである。「出来る限り明るく振るまおうって思っていたんだ。染田は元気だよ的な、ね。」と、当の本人は思っていたとしても、何人も人が集まれば、その行動に対して怒る人もいれば、気を遣って頑張っているなと感じる人もいる。もはやどうしていいのかわからない。それが、染田が集まりを飛び出し帰ってしまった理由であり、実はモデルとなった映画の作者、太田真博監督自身の苦悩でもあったのだろう。一方、集まったそれぞれのメンバーも、仲間との議論によって自らの立ち位置が鮮明になる。結果的に、彼のことを語るということは、自分を見つめることにもなっているのである。これは彼が「不在」であることからこそ生み出されたものだ。

 『園田という種目』と本作との大きな違いは、それぞれの登場人物の背景が深く掘り下げられていることだ。「縮こまって生きていろよ」と言ってしまった人物にしても、なぜそのような発言に至ったのかが、この作品ではよくわかる。その登場人物の中でも特に重要な意味を持っているのが千穂(松下倖子)だ。実は染田は、千穂の紹介で、彼女と同じ会社に入社しているのだ。会社で彼は女子社員の間の人気者である。彼女を口実に染田を飲み会に誘おうという人がいたり、彼女に取り入り染田に接近しようとたくらんだりする人もいる。染田を話題にする会社の人たちの会話と、「染田を元気づけてやろう的な会」の仲間たちの会話の違いが面白い。その両方に所属しているのが千穂というわけだ。そのことで両空間の温度差が鮮明になってくる。

©2023 上原商店

「私たち親友よね」と千穂の誕生日祝いを提案する同僚がいる。一見うまくいっているように見えた2人だったが、染田を巡るある出来事で関係が脆くも崩れ去ってしまう。「元気づけてやろう的な会」では冷静だった千穂が、彼女との会話では取り乱してしまうのが意外だ。会話がまるでかみ合わないのだ。いざ壊れてしまうと会社の人間関係のほうは、まるで理解しあえないものになってしまう。「元気づけてやろう的な会」では例え会話がかみ合っていなくとも、染田に何かしてあげたいという思いは一緒であり、通じるところがあったのに対し、会社での人間関係は、ただ同じところで働いているのだからその場を少しでも気持ちよく過ごしたいという共通目的があるだけの薄っぺらなものである。その違いが千穂の動揺を引き起こし、涙になってしまったのだろう。会社の見せかけだけの人間関係と、学生時代にともに演劇への情熱を燃やした仲間たち、最後に残るのは苦楽を共にした者である。太田真博監督自身、事件を起こした後に、すっと離れていく人がいたことだろう。人間ピンチに追い込まれた時にこそ、相手の本性が見える。監督自身の体験が形を変えてそこに反映されているようにも思える。

©2023 上原商店

 確かに映画の中では、染田は不在である。何とか元気づけてあげようと仲間から思われる存在である。しかし、彼がたとえ何もしていなくても、「元気づけてやろう的な会」の仲間たちと深いかかわりがあり、それぞれの人生に様々な影響を与えている。千穂は染田を入社させたことが上司に評価されて、責任ある立場を任されることになる。染田の新作に主役として出演するはずだった俳優の高野(青野竜平)は一見損ばかりしているようだが、それでも会に集まった仲間との繋がりのお蔭で、切れかけた気持ちを整理することができる。会を通じて久しぶりに会い色々話をするなかで、思わぬ共通点を見つけ恋人として付き合い始める者もいる。『園田という種目』と比較すると、染田以外の横のつながりが広がっている。事件がなければ、この会もなく全員が集まる機会もなかった。そういう意味では、染田が繋げた縁だとも言えるだろう。染田以外の横の関係、それがぐるりと回って、ラストでは再び染田へとつながっていっており、そこに希望が見えてくる。『園田という種目』と本作の印象の違いはこの部分からきている。短編作品『園田を元気づけてやろう的 な』(15)が『園田という種目』になり、さらに『エス』と進化を遂げてきた本作。タイトル上、監督の分身である男の名前が単にSと控えめに表現されたのは、監督自身の苦悩を描くこと以上に、苦しい時に手を差し伸べてくれた人たちへの思いを描きたい。そんな気持ちが増したことによるものなのではなかろうか。仲間たちだけは信じられる。そんな強い思いが作品から感じられた。

※アップリンク吉祥寺終了。上映拡大検討中。

『園田という種目』レビュー

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