(ライターブログ)ゴヤの名画と優しい泥棒

【映画の中のアート #26】再び映画に登場した公爵

(内容に詳細に触れております。これから映画をご覧になる方はご注意ください)

今回の絵画はフランシスコ・ゴヤの「ウェリントン公爵」。2020年に開催された「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」でも来日した絵画です。実はこの絵、本コーナーの2回目で007シリーズの第1作、『ドクター・ノオ』にも登場するということで紹介しています。映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』をご覧になった方はまさにそのシーンが描かれているのでお分かりですね。ゴヤの名画が盗まれた!犯人は国際的に活動する窃盗団か?という捜査網が敷かれる中、実はドクター・ノオが黒幕だという仕掛け。それくらい、特に本国イギリスでは話題の的になったということでしょう。

しかし、この絵が世間の耳目を集めたのはこれが初めてではないのです。スペイン独立戦争の英雄であり、ナポレオンを倒したウェリントン公爵。当時のスペインの宮廷画家ゴヤが描いたこの肖像画が、1961年にオークションに出品され、イギリスからアメリカのコレクターの手に渡ろうとしたことがありました。落札額は14万ポンド。しかし、自国の英雄の流出を防ぎたいとしたイギリスは国を挙げて買い戻したわけです。

盗まれた「ウェリントン公爵」

ということで、同年無事に祖国に戻ってきた「公爵」はロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されますが、なんとその数週間後に盗まれてしまう。しかもその泥棒は、一連の「公爵」のニュースを見ていたひとりの老人だった……!本作はその泥棒の側から見た事件の真相を描いた作品です。主人公は公共放送BBCの受信料徴収に反対するケンプトン・バントン。自身も2回の不払いにより刑務所に入っています(!)。なんと厳しい取り立てでしょう……当時、庶民の楽しみといえばテレビを見ること。そのささやかな幸せも、貧しい者は享受できない。そこで彼は話題になった絵画を盗み、それを盾に年金受給者からの受信料徴収をやめるよう主張したのです。

こうなると、ああこの映画は『ブラス!』(96)や『フル・モンティ』(97)のような「イギリス労働者モノ」なんだなと思いました。懸命に働いてきた労働者が普通に生きていける社会を希求する話なのです。庶民のバントンから見れば1枚の絵画に14万ポンド支払った件は手放しで喜べないニュースだし、ウェリントンは普通選挙にも反対した男だ、そんな価値はないと言い放ちます。また、バントンは劇作家になる夢をあきらめず日々創作を続けていますが、その大家であるシェイクスピアの戯曲は「王」の話だと言い(確かに主人公は王侯貴族が多いですね)、ロシアの劇作家チェーホフの作品を引き合いに出します。彼の視線は徹底的に庶民であり、盗みを行うとしてもそれは私利私欲のためではない、義賊(ロビン・フッド)なのだという立場にたっています。もちろん、絵画を盗んだ行為は消せません。しかし、その真意を理解し、その行為を許した人間がいたというところに、その社会の懐の深さを感じました。

映画のエンドクレジットによると、2000年に年金受給者のBBC受信料は無料ということになったそうです。バントンが絵画を盗んで約40年。それを長いと感じるかもしれませんが、その間うやむやにせずにずっと議論を重ねてきたということでもある。日本だったらこうはならないのではないか、とも思います。

しかし……侯爵もまさか自分の肖像画がこんなことになるなんて夢にも思わなかったでしょうね。


▼作品情報▼
『ゴヤの名画と優しい泥棒』 2022年2月25日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

▼絵画▼
ゴヤ『ウェリントン公爵』(1812-1814)
ナショナル・ギャラリー/、ロンドン、イギリス
The Duke of Wellington Francisco de Goya

▼リンク▼
映画の中のアート♯2 『007 スカイフォール』モディリアーニとゴヤの災難
http://eigato.com/?p=13955

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