【TNLF】『マイ・アーント・イン・サラエボ』トークイベント・レポート
トーキョー ノーザンライツ フェスティバル(以下、TNLF)の初日(2/8)、「マイ・アーント・イン・サラエボ」が上映され、スウェーデンから来日したキーナ・オーランダーさんをゲストにトークショーが行われた。キーナさんは本作と、同時上映されたプロローグ的な短編「レフュジー532」の脚本と製作を担当している。
「レフュジー532」では戦争難民としてサラエボからスウェーデンに移住したばかりの少年を描き、「マイ・アーント・イン・サラエボ」では少年と同じくスウェーデンに逃れた男性の今現在と、故郷サラエボへの葛藤を描いている。
実際にバルカン戦争では10万人の難民がスウェーデンに移住したといわれ、ゴラン・カペタノビッチ監督もまさにその一人。当時ゴラン監督は17歳で、空港が閉鎖される直前の、最後の飛行機でスウェーデンに逃れたという。今回来日したキーナさんは、夫との間に生まれた2人の子以外に、戦争難民の子どもを5人養子として迎えている。
ーー映画業界でのキャリアについて
キーナさん:映画の仕事は5歳の時にドキュメンタリー映画に出演したことに始まります。その後、若い頃の仕事としてアンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』(1986)というスウェーデンで撮られた作品に編集アシスタントとして関わりました。TNLF2013で上映した『サウンド・オブ・ノイズ』ではロケーションスカウトを担当し、ロケ地探しの仕事をしました。ロケ地探しは一番楽しい仕事だと思っていて、どこの家のドアでもノックすることができ、またそれが許される仕事であり、普段は垣間見ることができない世界を見ることができます。
ーーゴラン監督との出会いと二人のバックグラウンドについて
キーナさん:私と同じスウェーデン南部に住んでいて、彼の方から一緒に仕事がしたいという連絡がありました。彼自身が戦争難民であり、戦争でサラエボの空港が閉鎖されてしまう直前の最後の飛行機でスウェーデンに移住しています。私はスウェーデン生まれですが、父がスウェーデン人で母がイタリア人です。違う国の両親を持っているということで、娘役のキャラクターに共感しています。私たち二人の経験がこの作品のキャラクターに影響しているし、共感するところであります。
また、この脚本を書いたのは2015年より前でしたが、2015年と2016年は難民の数が増えた年でもあり、この作品が現実性を帯びたというのはあります。夫との間に2人の子供がいますが、その難民が増えた年に養子という形で5人の難民を受け入れました。シリア・イラク・アフガニスタンからの養子です。
ーー本作への想い
キーナさん:今ヨーロッパでは戦争難民がどんどん増えていて、その難民が受け入れられることが難しくなっています。これは誰でも陥る可能性がある問題であり、だからこそ難民という概念の後ろにある人間を見なければならないと思っています。彼らに興味を持つことが大事で、彼らが抱えているトラウマや経験を見ようとする、尋ねようとすることが重要だと思います。
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