セールスマン
【作品解説】
テヘランの小さな劇団に所属し、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演している役者の夫婦。ある日、引っ越したばかりの自宅で夫の不在中に、妻が何者かに襲われる。事件が表沙汰になることを嫌がり、警察への通報を躊躇う妻に業を煮やした夫は、独自に犯人を探しその目星をつけるが・・・。劇中で描かれる演劇と夫による犯人探し、そして夫婦の間に広がる溝を絡めながら、物語は予期せぬ方向へと転がっていく。
『別離』『ある過去の行方』などのイランの名匠アスガー・ファルハディ監督の最新作『セールスマン』は、第69回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最優秀男優賞(シャハブ・ホセイニ)と脚本賞(ファルハディ)を受賞、第89回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。ファルハディ監督と主演女優タラネ・アリドゥスティが、トランプ政権による入国制限命令への抗議のため、アカデミー賞授賞式への不参加を表明し、連日報道されていたことも記憶に新しい。
【クロスレビュー】
富田優子/あまりの結末に頭を壁に打ちつけたくなる度:★★★★★
登場人物の残酷さ、エゴ、寛容、悲嘆、悔恨、絶望という様々な感情のせめぎ合いはとにかく圧巻。夫は妻を襲った犯人探しに躍起になるが、それは妻の復讐のためか、自分の名誉のためか・・・。その瞬間、瞬間で、善と悪、正義と罪の立ち位置が目まぐるしく逆転し、それによって人間の深層心理をえぐり出すさまは、息つく間もないほどスリリングで翻弄される。その果てに、ああ、あの人が“セールスマン”だったのかと悟ったとき、誰に同情したら良いのか、誰を責めたら良いのか、そして何が正しかったのか・・・と、頭を壁に打ちつけたくなるほどの苦悶に襲われた。それは情け、欲望、法律、因習の間で苦しむ夫婦が抱いたそれと同じであることは、ラストの彼らの表情から見てとれるだろう。ファルハディ監督はそれを観客とシェアさせ、自分ならどうするだろうかという普遍的かつ理不尽な問いを突きつけている。悩む我々を見て監督がほくそ笑んでいるとしたら、彼は世界で最も才能のあるSな監督だ。監督の極上の脚本はどのように練り上げられるのか、頭のなかを覗いてみたい。
補足:「セールスマンの死」の舞台場面が主人公夫婦のストーリーと並行して描かれるが、少なくともあらすじは押さえてきたいところ。 “セールスマン”の意味することが本作の肝であるからだ。
外山香織/心が掻き乱される度:★★★★★
※下記レビューは、映画のラストに触れています。
肝心なところは提示されていない。暴行シーンは写されず、観客も想像するしかない。被害に遭った妻は「何があったか分からない、犯人の顔も覚えていない」と言うが、後日「あの男の視線を感じる」と取り乱す。また、後に夫は犯人と思しき男と対峙するが、犯行は衝動的な行動だったと語る一方、部屋にお金を置いて去っている。色々と辻褄が合わないなか、夫の困惑はもっともなことで、復讐を遂げたいと思う彼の気持ちに共感もする。真相を知りたい夫と映画を観ている自分はある意味同じだ。確かに、妻の「何事もなかったことにしたい、警察にも届けたくない」という気持ちも理解できる。しかし、あの場面で犯人を逃してあげようと思うものなのだろうか……と思う(ゆえに、自分の心には、あの男は真に犯人なのだろうかという疑念も生じている)。ファルハディ監督の作品は、とある事件について、ひとつの立場に拘ることなく複数の多様な立場を置き、それぞれの目線や思惑を輻輳して描くのが特徴だ。夫、妻、住居を紹介した男、近隣住人、犯人と思しき男とその家族、そして最後まで現れない前の住人……。まして本作では「演技者」が登場する。誰かは何かを隠すために取り繕い、誰かは誰かを庇っているのかもしれない。さらに人の感情は変化する。誰の感情も責められるべきものではない。だからこそ観客の心も掻き乱される。夫でさえ、妻の心に真に寄り添うのは難しいし「被害者の家族」は「被害者」ではない。「被害者はこう思うはず」と言う一括りの考え方の危険性も示唆しているように思う。劇中で夫妻が演じるアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」。社会や家族との関係不全を描いた戯曲を挿入することで、両作の共通項が透けて見え、イランの不運な夫妻の物語にとどまらず、普遍的な問題へと押し広げていると感じた。
(C) MEMENTOFILMS PRODUCTION–ASGHAR FARHADI PRODUCTION–ARTE FRANCE CINEMA 2016
第69回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞&脚本賞受賞
第89回アカデミー賞外国語映画賞受賞
6月10日(土)、Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー!