『ある過去の行方』アスガー・ファルハディ監督インタビュー:「俳優には全員に同じくらいの登場時間を与える。それが私の好きな撮り方」

photo : omid salehi
 日常に訪れる些細な出来事を積み重ねながら、先の読めない物語へ観客を没入させる。その巧みさに、今一番、「脳内構造を見てみたい!」と唸らされる映画監督がイラン出身のアスガー・ファルハディだ。

 2009年の『彼女が消えた浜辺』がベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞。11年の『別離』もやはりベルリンで最高賞の金熊賞および銀熊賞(女優賞、男優賞)を獲得した。両作品とも、イランの現代社会の側面を人間ドラマへ巧妙に練りこんでみせ、世界で激賞されたファルハディ監督。4月19日(土)に日本公開を迎える新作『ある過去の行方』は、前2作と趣を異にし、主な舞台をフランス・パリ郊外へと移動。話題作『アーティスト』(11)のヒロインとして注目されたベレニス・べジョを主演に迎え、男女、夫婦、親子の思惑が複雑に交錯するスリリングなドラマが展開する。

 フランス人のマリー=アンヌ(べジョ)のもとを、今はテヘランに住むアーマドが離婚手続きのために訪れる。マリー=アンヌはすでに、新しい恋人サミールと彼の息子を家に迎え入れ、アーマドの前に結婚していた夫との間に生まれた娘たちとともに、新しい生活を始めていた。しかし、娘がアーマドに明かしたある告白から、マリー=アンヌとサミール、そしてサミールの昏睡状態にある妻らを取り巻くさまざまな真実が浮き彫りにされていく…。

 憶測が憶測を呼び、疑心暗鬼の中で高まっていく登場人物たちの苛立ちと哀しみが、観ている者の心をもざわつかせる。ただ人間の心の深淵をじっくりのぞいてみるだけで、これほどのサスペンスが潜んでいるのかという驚き。そして、それを映画として見せるファルハディ監督の手腕に舌をまく。

 今回、イランにいるファルハディ監督とのスカイプ・インタビューが実現。その“職人仕事”ともいえる計算された創作の一端をのぞかせていただいた。


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—まず、今回作品の舞台をパリにされた理由を教えてください。

監督:理由はたくさんあるのですが、1つは、アーマドがイランから海外に行く、つまりイランともう1つの国の距離感というものがポイントになりました。また、もう1つの理由として、この映画はタイトルを“The Past(過去) ”というとおり、過去を描いている作品です。ドバイや香港といった近代化された場所ではなく、パリのような古い歴史のある街で過去を描きたかったのです。
映画を撮る時に、私の中では場所選びがポイントになります。今回の場合は、観光地ではなくちょっと郊外に離れた場所で、本当のパリの風景を作品の中に持ってきたかったのです。

—映画はまずアーマドの視点を中心に始まりますが、それが途中マリー=アンヌになったり、後半はサミールになったりと、主体が移っていきます。そこにどんな狙いがあったのでしょう?

arukako-sub4監督:私の作品をご覧になると気付くと思うのですが、最初カップルとして登場するのがアーマドとマリー=アンヌで、しばらく2人の芝居が続いたあと、アーマドがストーリーから暫く消えてしまい、その替わりにサミールが登場します。その逆もあれば、マリー=アンヌが消えてしまうこともあります。
最近の私の作品はどれもそうなのですが、主人公は1人ではなく、登場人物の誰もが主人公になっているんです。1人にしてしまうと、当然その人物の登場場面が増えてしまいます。すると、観客がその人物にフォーカスしてしまいますよね。私はそういう描き方を好みません。俳優には全員に同じくらいの登場時間を与えるのが私の好きな撮り方です。そうすれば、平等に観客の印象に残るのではと思います。

—監督の作品では、女性はいつも前に進んでいきますが、男性は現在地にとどまってぐるぐるしている印象を受けます。

監督:私の作品では、女性というのは常に変化を求める存在です。男性はどちらかというと、変化ではなく同じ環境のなかで同じ事を繰り返す。実際の生活のなかでもそうですよね。女性の方が変化を求め、男性は現状を維持したい。文化・国籍関係なく、どの国の人でもそうではないかと思います。

—男女の違いという流れでうかがいます。幕切れまで淡々としたトーンを貫いていた『彼女が消えた浜辺』や『別離』と違い、今作はエンディングが情緒的に感じられました。女性の私の目にはサミールという男が調子の良い人間に思え、エンディングがファンタジーに見えたのですが、多くの男性にとっては希望の持てる終わり方に受け取れるようです。見方が異なるのというのは面白いですね。

arukako-sub1監督:アーマドは過去をずっと振り返っている人。マリー=アンヌはどちらかといえば未来に向かって歩いている人。サミールはどちらにも行かず宙ぶらりんのままです。サミールにとって、昏睡状態の妻は過去を表し、マリー=アンヌは未来を表す。過去と未来を行ったり来たりしている人物ということで、色々な捉え方ができるのでしょう。
どの作品でもそうですが、過去、現在、未来を描こうとはしますが、未来のことは誰にも想像ができません。ですから、この作品のラストシーンでは、未来に近づくよりも過去に逆戻りをしてしまうという描き方をしています。

—監督の作品はどれも小さなエピソードの積み重ねと、緻密なセリフの掛け合いが素晴らしいですが、脚本はどのように書かれるのですか?

監督:私が書くシナリオはいつも、細かく書き込んでしまって、最初はもの凄く長いんです。ただ、シナリオを書いた後から俳優を選ぶので、俳優の個性によって、シナリオを変えることもあります。シナリオのことは、いつも色々と考えています。

!!次の質問はラストシーンに触れています。鑑賞後にお読みください!!
—原稿に書けるかどうか分かりませんが、どうしても気になるのでおうかがいします。昏睡状態の妻の涙が、作品を通してあそこだけ虚構で異質なものに感じました。何を意図されたのでしょうか?

監督:昏睡状態の妻は、ほとんど映画の中には登場しませんね。そうすると何の印象も残さずに映画が終わってしまう。そんな風にはしたくなかったのです。彼女がベッドに寝ているところを映し、彼女が涙を流すことで、“まだ生きているよ”とアピールしたかったということをラストシーンとして持ってきました。そうすることで、妻の存在感を表すことができたのではと思います。
どこから物を見るかというのは、とても重要です。例えば、ラストの涙はサミールからは見えていない。逆に、映画を観ている人には見えてしまっている部分なのです。どの角度から観るかによっても捉え方が違うのだと思います。

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photo : omid salehiProfile of Asghar Farhadi
1972年、イラン・イスファハン出身。学生時代から芸術に目覚める。イランのヤングシネマインスティチュートで学んだ後、テヘラン大学でも映画を専攻。1998年に監督コースの修士課程を修了。約10年の修行期間に短編6本を撮り、連続テレビドラマの演出や脚本を手がける。2003年長編映画「砂塵にさまよう」で監督デビュー。同作は、イラン国内のファルジ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したほか、モスクワ国際映画祭で最優秀男優賞を獲得する。翌04年に撮った長編第2作「美しい都市」もモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞、第3作「火祭り」(06)もナント三大陸映画祭で脚本賞を受賞するなど、国内外から高い評価を得る。日本で一躍注目が集まったのは『彼女が消えた浜辺』(09)。続く『別離』(11)では米アカデミー賞外国語映画賞ほか90以上の世界中の映画賞を総なめにし、その評価を不動のものとした。


▼作品情報▼
『ある過去の行方』
原題:Le Passé 英題:The Past
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
出演:ベレニス・ベジョ『アーティスト』、タハール・ラヒム『預言者』、アリ・モッサファ
配給:ドマ、スターサンズ
2013年/フランス・イタリア/130分
© Memento Films Production – France 3 Cinéma – Bim Distribuzione – Alvy Distribution – CN3 Productions 2013

2014年4月19日(土)より Bunkamura ル・シネマ、新宿シネマカリテほか全国順次公開

公式サイト:www.thepast-movie.jp

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