『オリーブの樹は呼んでいる』イシアル・ボジャイン監督
――オリーブの樹の切断は主人公アルマの家族の確執や断絶を表していると思いました。また同時にオリーブは平和や豊かさの象徴であることを考えると、樹が奪われるという設定は、経済格差や貧困、映画には特に登場しませんが、世界各地で起こる地域紛争を想起させ、秀逸な設定だと思いました。
IB:そうですね。本当に重層的な映画です。アルマはいつも(樹を売ってしまった)父親への怒りを抱えています。アルマの世代は、(不況の)国の状況に対して、一世代前の人たちに対して怒るべきです。国や上の世代は無策で失業問題や自然破壊を引き起こしました。若い人たちがそのとばっちりを受けているのです。彼らはそういう状況に対して怒るべきで、そういうことを描くべきだと思いました。だから樹ひとつをとってみても、非常にシンプルなようで、いろいろな示唆的なものを含んでいるのです。
――アルマは20歳の若さでありながら人生を諦めているように思えました。それは不況ということが大いに影響していると思うのですが、監督の眼から見て、やはり今のスペインの若い人にも同じような思いを抱いている人が多いのでしょうか?
IB:今のスペインでは、25歳以下の人のうち約半分が失業中です。さらにその半分が大卒の若者です。学歴を得てもスペインでは何もできない。こんな状況なのに国が何もしないというのは驚きです。そして、先が見えない状況で若い人たちが何を考えているのかよく分からなくて、危惧しています。
――ボジャイン監督は『エル・スール』『大地と自由』等に代表されるように女優として活躍されつつ、監督に転身なさっていますが、監督業をやりたいと思われた理由は何でしょうか?
IB:子供の頃から(物語を)書くのが好きでした。俳優(が行う演技)は、誰かの物語を伝えるための、いわば道具ですよね。ではどういうふうに物語を伝えようかと思った時、若いときからカメラの後ろに立つ仕事って、非常にクリエイティブなものだと理解していました。あと映画の製作陣のチームワークにも惹かれていました。俳優の仕事も嫌いではありませんが、私はやはり自分の物語を伝えることに関わっていきたいと思ったからです。
――監督のプロフィールを拝見すると、22歳で映画製作会社を設立されたとのことでしたが、そのパワーの源は何だったのでしょうか?
IB:(マドリードからニューヨークへやってきた女性を描いた)『Sublet』(91)は私が出演した映画ですが、監督は私より少し年上のチュス・グティエレス(『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』が公開中)でした。彼女とは強い繋がりを感じました。男性が描く女性ではなく、女性が描く女性を伝えられることに非常に刺激を受けました。私はエリセやホセ・ルイス・ゲリンなどスペインの素晴らしい監督と仕事をする栄誉に恵まれたけれど、どれも男性監督の作品でした。同時に女優として与えられる役のセリフに「私だったらこんなこと言わないわ」というような違和感を持っていました(あ、でも『エル・スール』は別よ、あれは本当に素晴らしい映画だから(笑))。女性の声がスクリーンに正確に反映されていないと感じていて、だから女性が映画づくりに参画して、女性の目線から物語を伝えることが必要だと思いました。そうしないと女性が作品のなかで添え物的な存在になってしまいますよね。そういう不満もあって会社を立ち上げてみました。
<プロフィール>
イシアル・ボジャイン Icíar Bollaín
1967年6月生まれ。幼い頃に女優としてキャリアをスタート。14歳でビクトル・エリセ監督の『エル・スール』(83)でヒロインのエストレリャ役で出演。しかし監督志向だったため、22歳で映画製作会社を設立し、92年に短編映画で監督デビュー。その後、ケン・ローチ監督の『大地と自由』(95)に出演。同年、監督として長編第一作『Hola ¿estas sola? 』(やあ、君はひとりなの?)を発表。監督第2作『花嫁の来た村』は99年カンヌ国際映画祭国際批評家週間作品賞を受賞。『TE DOY MIS OJOS』(03)はゴヤ賞(作品賞ほか7部門)を受賞。夫のポール・ラヴァティはケン・ローチ監督とのコンビで知られる脚本家で、『麦の穂をゆらす風』(06)、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)でカンヌ映画祭パルムドールを2度受賞している。イシアルとポールのコラボ第1作『ザ・ウォーター・ウォー』(09)はベルリン国際映画祭パノラマ部門観客賞を受賞。『オリーブの樹は呼んでいる』は夫婦のコラボ3作目だが、日本での劇場公開は初めて。
5月20日(土)よりシネスイッチ銀座ほかにて全国順次ロードショー!
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