わたしは、ダニエル・ブレイク
今を懸命に生きようとする人々に寄り添い続けるケン・ローチ監督が、人間の尊厳と優しさを描く集大成にして最高傑作
イギリスで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、突然、心臓の病におそわれ医師から働くことを止められる。ダニエルは国の援助を受けようとするが、複雑に入り組んだ制度に押し潰されそうになる。そんな中、シングルマザーのケイティと出会い、二人の幼い子供を抱えて仕事もない彼女を何とか手助けしようとする。やがて彼らの間に、家族のような温かい絆が生まれていく。しかし、容赦ない現実が彼らを待ち受けていた。
【クロスレビュー】
鈴木こより/ダニエルは未来の自分かも、他人ごとではない話度:★★★★★
ケン・ローチ監督には、再び立ち上がってこの映画を撮ってくれてありがとう、と言いたい。これまでも弱者に寄り添った作品を撮り続けたローチ監督だが、ここまで監督の怒りが伝わってくる作品は珍しい。主人公のダニエルは定職に就き、きちんと納税の義務も果たしてきたが、妻に先立たれ、自身も病気になり働けなくなってしまう。国に援助を求めるが、申請はネットでの受付のみで、受給には就活が必須ときている。高齢の病人を完全に無視したマニュアルと、機械と何ら変わりがない対面の相談員に言葉を失う。他にもシングルマザーや職に就けない若者など社会的に弱者とされる人物も登場し、同じ痛みを知るもの同士で喜びと悲しみを分かち合う。でもやっぱりこんな世の中はおかしい。ダニエルは、多くの人がそうなるであろう未来の姿ではないだろうか。そしてシビアな結末に気づかされるのである。その時になって、いくら嘆いて声を上げても、遅すぎるのだ、と。
石川達郎/優しさを失いつつある国・人・時代への警鐘:★★★★★
ケン・ローチ監督のここ数年の映画はどれも素晴らしく、名作製造機という敬称で呼ばせてもらいたい。以前から彼はいい作品を撮ってきたのだろうが、昨今の移民への風当たりの強さや、生活保護の受給者をナマポと呼び馬鹿にする様な風潮の中、彼の労働者や弱者に寄り添う一貫した姿勢が殊更に際立つものとして映る時代なのだろう。映画に出てくる福祉事務所や職業安定所の公務員の対応を見ていると弱者へのいじめとしか思えず吐き気すら催すのだが、ダニエルの隣人や困っている人への接し方を見ていると、こういう普通の人達の優しさが集まって世の中は何とか回っていて、自分も公務員の側ではなくダニエルの側にいる人間であろう、尊厳を失わないでいようと思った。厳しい中にも救いは必ずあるという希望を感じさせてくれる素敵な映画だ。
撮り方のうまさも指摘しておきたい。映画の中には厳しさを感じさせる数々のエピソードが出てくるが、もう少しお涙ちょうだい的に長回しして観客に余韻を味わってもらってもよさそうなところを、フェードアウトですぐ終わらせるシーンがたくさんあった。この撮り方が、ともすれば物語として見てしまいそうな非現実的な演出を排して観客によりリアリティを感じさせるのではないかと思う。
外山香織/『千と千尋の神隠し』を思い出す度:★★★★★
本作のキイワードは「名前」だ。映画のタイトルが表す通り、主人公の名はダニエル・ブレイク。それに対する「政府」は匿名性が高くかなりぼんやりと描かれている。職員はマニュアルに則り「電話で問い合わせろ」「オンラインで申請せよ」と機械的な対応を繰りかえし人間性が見えてこない。(ただひとり、ダニエルの身を案じ就活のアドバイスをする女性職員だけがアンという名前だということが分かる)。政府は「救済が必要な者」をカテゴライズし、縦割りのシステムに入れ込もうとする。それに対し、ダニエルは自ら名乗り肩書きやカテゴリで括られない一個の人間として、尊厳を失わずに生きられる当然の権利を主張する。ここでのダニエル・ブレイクという名前は尊厳そのものに他ならないのだ。また、貧しさや飢えは心身を共に疲弊させる。普段なら絶対にしない卑しい考え、行動に走ってしまう。生きることor尊厳を失うこと……ダニエルもシングルマザーのケイティもギリギリまで追いつめられる。全く他人事ではない。映画の結末は苦しいものであるが、本映画の収益が貧困に苦しむ人々への寄付金となると知り、鑑賞者も何らかの一助となれることに、ささやかな希望の光を見いだせた。このプロジェクトにも心からの拍手を贈りたい。
藤澤貞彦/名前、それは燃える生命度:★★★★★
『I, Daniel Blake』名前は、人のアイデンティティ。名前は人の尊厳のひとつ。人にはひとりひとり名前がある。こんな当たり前なことがタイトルとなるのが、悲しいかな、今の世の中である。全体主義の時代ならいざ知らず、自由主義の現代であるはずなのに…。「不正受給が増えることは、真面目に働く納税者に公平でない」保守系の政府の言う事ももっともに聞こえはするが、それは福祉予算を削減するための方便に過ぎず、そのためのマニュアルが作られれば、申請手続きは煩雑化し、そこからこぼれ落ちる弱者も生む。役所の仕事が合理化の名の元に民間に委託されると、各工程は細分化されるため、マニュアル化、コンピュータでの一元管理化が進む。結果、顔の見えない個々人は個性を消されるのである。主人公の悲劇の根っこはそこにあり、それ故に、壁に大きく落書きされるI, Daniel Blakeの文字に格別胸が熱くなるのだ。単純に役所イコール悪とすることは容易いが、そこにも善の人は存在し、ただシステムがそれを阻んでいる、すなわち彼らもまた個性を消されてしまった存在であることを示したところに、監督の冷静な視点が伺える。「貧しいだけでなく、なぜ人間としての尊厳まで奪われなければならないのか」このタイトルには、老監督の静かな、けれども強い怒りが、込められている。