【TIFF】私に構わないで(コンペティション)

映画と。ライターによるクロスレビューです。

作品紹介

©Kinorama, Beofilm and Croatian

©Kinorama, Beofilm and Croatian

病院に勤務するマリヤナの人生は、望もうが望むまいが、彼女の家族を中心に回っている。強権的な父親、障害を持った兄、無責任な母親。彼らは小さなアパートで重なりあいながら、互いにイライラして暮らしている。そんなとき、父親が倒れ、突如としてマリヤナに家族の長としての責任が押し付けられてしまう。

本作の舞台となる美しいダルマチア地方はクロアチア有数の観光地であるが、ジュシッチ監督はその華やかな光と対比するように、狭く窮屈で雑然とした住まいに暮らす家族に焦点を当てた。自伝的内容では無いものの、登場するキャラクターの多くは監督が良く知る人々をモデルにしている。当初は印象の悪い人物たちに対し、観客が徐々に好意を抱くように導く演出に、監督のキャラクターに対する愛と理解が感じられる。自由になることの難しさ、そして場合によっては敵であっても身近な存在に囲まれる家族の方が居心地がいいかもしれない、というジレンマのリアリティは絶妙である。見事なカリスマ性を発揮する主演のミア・ペトリツェヴィッチが演技初経験ということにも驚かされる。(TIFF公式サイトより)

クロスレビュー

富田優子/リアリティ追求の心意気は良いけれど・・・度:★☆☆☆☆

クロアチアの地方の街で生きるマリヤナ(24)は家でも職場でも居場所がなく、鬱屈した思いを抱えている。この手の題材は『アズミ・ハルコは行方不明』でも語られているので、斬新な物語というわけではない。ただユシッチ監督はリアリティを追求し過ぎる傾向がある。その心意気は買うが、生理の使用済みナプキンや寝たきりになった父親のオムツ交換など、何もここまで見せなくても・・・というところまで露骨に映すのだから、げんなりする。そしてその割には淡々とした印象のまま映画は終わる。それは自由になりたいけれどどうしたら良いのか途方に暮れるしかないマリヤナの人生と共鳴しているということか。安曇春子の結末はある種のファンタジーで希望もあるが、マリヤナにはない。あるのは身動きのとれない現実だ。監督がリアリティに徹した理由は、そこにあるのだろうが・・・。

藤澤貞彦/狭苦しさに息が詰まる度:★★★☆☆

アドリア海に面したクロアチアの小さな街が舞台のこの作品は、空間の映画とも言える。徹底的に狭苦しさばかりが強調されているのだ。いかにも貧しい集合住宅で、父母兄と暮らすマリヤナ。その食卓風景の息苦しさ。家族をなじってばかりいる父親と、それに刃向うことができない他の家族たち。顔と顔がくっつきそうなイメージ、それは愛憎相半ばする家族の距離感なのである。彼女の働く職場、父親が働く職場、どこへ行っても極端に狭苦しいのは、彼女の閉塞感を強調する意味もあるのだろう。気晴らしで母兄と出かけた海でさえも、山が間近に迫っていて箱庭のようであり、解放感がないのだから嫌になってしまう。マリファナを吸った効果からか、海辺の景色が一層小さく見えた時、彼女は初めて故郷を離れようとするのだが、結局は中途半端なところで立ち止まってしまう。逃れたくても逃れることが出来ない、家族の血。そこに典型的な不幸がある。結局彼女が、伸び伸びと長い手足を延ばせる場所は、水中に潜っている時だけということなのだろう。どうにもやりきれない。


第29回東京国際映画祭
会期:平成28年10月25日(火)~11月3日(木・祝)
会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木(港区) ほか 都内の各劇場および施設・ホールを使用
公式サイト:http://2016.tiff-jp.net/ja/

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