【TNLF】『密書』:柳下美恵さんトークショー

柳下美恵さんピアノ伴奏付き上映会とトークショーレポート

2013年2月10日、ユーロスペースにて『密書』(1914年・サイレント)が柳下美恵さんのピアノ伴奏付きで上映され、その後には、ヨハン・ノルドストロム(映画史家)さんと 柳下美恵さんによるトークショーが開催された。ベンヤミン・クリステンセン監督のこと、柳下さんの演奏の秘訣など、興味深い話が満載です。



【作品概要】

密書『密書』は、ベンヤミン・クリステンセン監督最初の作品。昨年上映された『魔女』と比較すると、基本が家族愛とスパイサスペンスなので、娯楽作としても面白い作品になっている。主演はクリステンセン監督自身。確かに評判どおりのいい男なのだ。

彼の役は、国を愛する海軍中尉ヴァン・ハウエン。息子がデンマークの国旗を犬の首に巻いているのを見て咎めるような人である。彼の奥方は、夫のことをとても愛しているのだが、近所のスピネッリ伯爵に執拗に言い寄られていた。実は伯爵は敵方のスパイで、情報を盗む目的を持っていたのだった。大事な軍事情報を盗んだ伯爵は、それが敵方に届かず発覚した時、ハウエン中尉に疑いがかかるよう工作していたため、無実の彼が捕らえられる。

裁判になり、妻は夫の無実を証明するため、伯爵のコートが自分たちの家にあったことを示し、証拠として提出する。しかし、妻と伯爵の不倫を疑った中尉は家族の名誉のため、それを自分の物と主張し、結局死刑判決を受けてしまう。刻々と迫る死刑のとき。夫の無実を証明するため奔走する妻。果たして間に合うのか…手に汗握るサスペンスが展開する。



【映画鑑賞記】

今回の柳下さんの演奏は電子ピアノとシンセによるもの。筆者は初めて柳下さんが弾く椅子の真後ろの席で作品を観たのだが、まったくホレボレとしてしまった。そして、まるで画面から音が出ているような…その秘密はリズムにあると確信した。画面の動き、カットに完璧に合わされた音のリズム。哀調帯びたリズム、勇ましい場面での鍵盤を叩きつけるような力強いリズム。子供が静かにベッドを抜け出し、家を出て行く時の緊張感漂う忍び足のような繊細な音。これはもはや伴奏ではない。フィルムが息をしている、その呼吸そのものなのだ。

ここぞという時の効果音。例えばドアが風でバタンと閉まる時のドキッとするような音。通信電文が電線を伝っていく時のピピピピッという音。シンセを使いそうした効果音を出す時でも、左手はそのままリズムを打ちつけている。映画は決して呼吸を止めないのである。やはりこれは、文楽の三味線が伴奏ではなく、気持ちを表し、効果音を出していることと相通じるものがあるのではなかろうか。少なくとも方法論としては同じなのではないだろうか。昨年もそんなことをちらっと書いてはみたのだが、今年はそんな思いをより一層強くした。



【トークショー】

トークショー
(ヨハン・ノルドストロムさん=ヨハン、柳下美恵さん=柳下で表記)

ヨハン「まずとても綺麗な伴奏ありがとうございました」

ヨハン 「この監督はデンマークの黄金時代の大監督です。元々本人はオペラ役者だったのですが、精神的に病み声が出なくなったため、舞台をやめて映画産業に入りました。まずは俳優として3本ほど出演したあと、1913年には、自ら制作会社を作り、そこで2本の映画を作りました。それがこの『密書』と『復讐の夜』です。今日のこの作品は、スリラー、スパイ映画ですので、山場では緊張感がさらに高まる演出がなされているのですが、それでも、物語の調子には変化がなく、全体の統一感は保たれていますね。」
「彼は『魔女』で世界に進出します。1923年にドイツで1本映画を作ったあと、MGMスタジオに招かれました。先にハリウッドに行っていたヴィクトル・シェーストレム監督にルイス・B・メイヤーが「彼は狂人か天才か」と質問したところ、シェーストレム監督が「彼は天才です」と答えたことからMGMに入ったという、逸話が残っています。結局ハリウットで6本作品を作っているのですが、ほとんど現存していないのが残念です」

柳下 「私は毎年教会でやっている聖なる夜の上映会というので去年『嘲笑』をやっています。革命が舞台になっているのですが、主演はロン・チェイニーというホラー映画の役者さんで、彼の味がとてもよく出ていて、それが監督の味と一緒になってとても不思議な感じを出していました」

ヨハン 「その後の彼は1939年にデンマークに戻って4本映画を撮り、本を出版して、映画館の支配人になった」

柳下 「映画館を運営するためには、政府から許可証をもらわなければならないですよね。それにはテストがいるっていうことですか」

ヨハン 「テストはないですが、有名な監督さんであれば無条件で貰えるのですね。クリステンセン監督の他にはドライヤー監督も貰っています。そこで上映する映画は、支配人が全部決められるのですね。クリステンセンの最後の仕事はそういうものでした」

柳下 「皆さん最後ドキドキしたかと思うのですが、あれはグリフィスのラスト・ミニッツ・レスキューとクロスカッティングを思わせるものがありましたが、彼の影響というのはあるのですか」

ヨハンさん1ヨハン 「この映画が制作される前にデンマークではグリフィスが上映されているので、おそらくその影響は強かったのではないでしょうか。あと、この監督は芸術の世界に入る前にテクノロジーなど様々なことを大学で学んでいたため博識で、そのためか映画の中では常に新しい技術が使われました。彼は光と闇の使い方がとても上手ですね。当時発明されたばかりのアークライトをうまく使ってコントラストをつけています…」
「それでは逆に柳下さんに質問ですが、この光と闇の美しい場面で伴奏をつけるのはどうでしょうか。何か特別な感情というものが出るものなのですか」

柳下 「すごく美しいなとは思いながらは弾いているのですが、次はどういう風に展開するのかなということを考えながら弾いています。なので、どちらかというと、ひとつのところにとどまらずに、次の流れというのを大事にしていつも弾いています」

ヨハン 「日本の映画と北欧映画で弾き方に違いがありますか」

柳下 「東洋と西洋というのに分けるとすると、東洋というのはやはり間とか空間の文化なのですね。なので私は日本映画で演奏するときは、なるべく間を空けたり、音の数を少なくしたほうがしっくりいく感じがしています。それに対して西洋のものっていのは、絵でもそうなのですが、壁一面に絵を飾るということが伝統じゃないですか。ですからあまり間を空けるというよりは、色々な音を出していくということが一番合っていると思うのですね」

会場 「音数という話がありましたが、自分で作曲して伴奏されているということですか」

柳下 「即興です。ただ今回はデンマークの国歌を採譜してそれはところどころ入れています。ヨハンさんはわかりました?」
ヨハン 「いやーそのー恥ずかしいのですけれども、隣の国なもので」(場内笑)

柳下 「一応自分の気持ちとして納得するように、例えば最初に国旗が出てくるところでは、ちょっとコミカルに国歌を入れたり、あと民衆が決起して軍隊に行くシーンでは、デンマークの国歌をちょっと入れてみました。それ以外は即興ですね」

会場 「すでにある曲を弾かれているのかと思っていたので驚きです」

柳下さん1柳下 「でもそれは逆にとても難しいと思います。これ1時間半あるので、すでにある曲を全編覚えて弾くというのは、ものすごく大変だと思います。ただ、無声時代の映画音楽の楽譜は、実はグリフィスなんか残っていたりするのですね。私もグリフィスの『散りゆく花』をアテネフランセでやったことがあるのですが、実際に上映すると、バージョンが違うのか、あるいはフィルムを掛けるスピードが違うのか、そのとおりにやろうとすると、ものすごい速さで弾かなくてはならなくなってしまうのがわかりました。これは無理と思って結構はしょってやってみたのですが、やっぱりそれでもかなりの準備が必要で、とても難しかったですね」

ヨハン 「これはよく20年代とか30年代の映画雑誌を読むと出てくる問題ですよね。キネマ旬報によく書かれていた中根宏さんが、人間が機械に合わせるのは無理である。綺麗に音楽をつけたつもりでも実際にやってみると99%はズレてしまうと、言っているのですね」

柳下 「そうなんですよね。だから画面を観ながら追っていくほうがすごく感情が入るし、臨場感がありますよね」
ヨハン 「ショスタコヴィッチのように作曲して、自分で伴奏した場合のような場合は大丈夫だったかもしれませんが、同じ曲を使っても、田舎の映画館に行くと絶対失敗しているのですね。」

会場 「この作品にデンマーク人的な生き方というものを感じられるかどう教えていただけたらと思います」

ヨハン 「デンマーク人ではないのですが…北欧ですねとは感じますが…生き方としては…」

柳下 「裁判の時に奥さんが旦那さんを助けようと思って、真犯人のコートを差し出したのに、彼が僕のコートだって言い張ったのは、結局自分が死んだとしても、それより不実というものを晒したくないということ。その生き方はヨーロッパのものなのか、北欧のものなのか私は気になりました」

ヨハン 「この時代の他のヨーロッパ映画を観ても、こういうような生き方はよく映画に出てくるので、北欧というよりは多分ヨーロッパの10年代の特徴と思います。ただこの時代からもう、北欧映画では、強い女の人がよく出てきます。この映画の奥さんも旦那さんを助けるため戦場へ行くのは、かなりすごいですね。やっぱり北欧の女の人は強いねーと思ったね(笑)」(場内笑)

柳下 「ハハハ、それはそうかもしれないですね」

楽しい雰囲気のお二人のトークショー、最後に来年のTNLFでクリステンセン監督の第2作目『復讐の夜』が、再び柳下美恵さんのピアノ伴奏付きで上映されることが予告されて終了した。今からその時が待ち遠しい!


▼『密書』作品情報
英題:Sealed Orders
監督:ベンヤミン・クリステンセン
制作:1914年/デンマーク/サイレント/85分

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