男女逆転『大奥』、再び映像化!去来する男と女の苦悩

大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]

男女逆転『大奥』の衝撃から2年、また新たな作品が誕生した。原作はよしながふみの人気漫画。前作はコミックス1巻に当たる「水野・吉宗篇」を描いたが、今回は時代を過去に遡り、男女逆転大奥の誕生となった 「有功(ありこと)・家光篇」(コミックス2~4巻)をTVドラマで、そしてその約30年後の「右衛門佐(えもんのすけ)・綱吉篇」(4~6巻)を映画で描くという、いわば「大奥絵巻」一大プロジェクトとなった。

若い男だけがかかる疫病の大流行により、男の数は女の5分の1までに激減した江戸時代。社会の担い手は女となり、男に代わって跡目を継ぐことも珍しくない。一方、男の存在価値はというと、子どもを作るために必要……と言う、究極のところまで行きついてしまう。それは将軍家とて例外ではない。かくて、「将軍は女、仕えるは美しき男たち三千人」の大奥が誕生したのである。

さて、このたび製作されたTVドラマ版と映画版だが、2つの物語の核となるのは、女将軍と大奥を掌握する「大奥総取締(おおおくそうとりしまり)」となった男との関係性にある。

ドラマ「有功・家光篇」では、愛し合いながらも、子を授かることができないために引き離された男女のジレンマが描かれる。有功(堺雅人)以外の別な側室とのあいだに3人の姫君を産み、女将軍としての地位を確立した家光(多部未華子)。ようやく、自分の好きな男と寝所を共にできると有功を呼ぶが、彼はお褥(しとね)の辞退を申し出る。心も体もあなたを自分ひとりのものにしなければ自分は満たされない。その苦しみ、嫉妬、男と女の業から自分を解き放ってほしい…と将軍に懇願するのだ。家光はその願いを聞き入れ、以後有功は、春日局の死以降空席となっていた大奥総取締に就任、将軍を支える立場に専念する。

一方、映画「右衛門佐・綱吉篇」では、大奥総取締としての権力を手に入れた右衛門佐(堺雅人)と、一人娘の夭折により、政治よりも世継ぎを産むことを迫られた綱吉(菅野美穂)を描く。父・桂昌院の意向に逆らえず次々と男たちと関係を持つも、一向に懐妊しないまま時は過ぎ、子どもの産めない体になっていた綱吉。生類憐みの令など悪政の批判を浴び「将軍として女として、人に望まれた事は何ひとつできなかった」と悔やむ彼女に、右衛門佐は自分の思いを告白し、初めて男女の関係を結ぶ。

男の数が絶対的に足らないという「有事」においては、残された人間には生殖上の男と女の役割のみが残され、それから逃れることはできない。前作ではそれを残酷なまでに表していると感じたが(レビューはこちら)、今回においては、更にその先に踏み込んでいるように思える。「有事」において、様々な制約としがらみのなかで、人間が生きると言うことはどういうことなのか?を問うているのだ。そして右衛門佐は、 「生きると言うことは、男と女と言うことは、ただ女の腹に種をつけ子孫を残し家の血を繋いでいく事ではありますまい!」と叫ぶのである。

「大奥」と言うドラマでは、数々の男女の交わりを描きながら、男と女の真の幸せは、子どもを作るための営みを超えたところにあると言っている。「有功・家光篇」では、男と女の業から解放された場所で、「右衛門佐・綱吉篇」では、老いてから結ばれることで、それぞれが苦しみながら、それぞれの到達点を見出す。家光や綱吉が、出産や自分の親・親代わりからの脱却によって、そこに至っていることも興味深い。親子と言う血の繋がりと、男女と言う水の繋がり。そのふたつが織物のように交錯し、この大奥絵巻は成立しているのだ。

とは言いつつ、この作品の面白さは男女や親子と言う括りに止まるものではない。男女逆転以外は歴史を曲げていない点も非常によくできたところで、鎖国政策や生類憐みの令の発布のいきさつなど、なるほどと思ってしまう場面も多々ある。様々な示唆に富む『大奥』の世界、一度覗いてみてほしい。

▼作品情報▼
原作:よしながふみ「大奥」(白泉社「MELODY」連載)

ドラマ『大奥 ~誕生 [有功・家光篇]』 
監督:金子文紀ほか
脚本:神山由美子
出演: 堺雅人、多部未華子
公式HP http://www.tbs.co.jp/ohoku2012/

映画『大奥 ~永遠~ [右衛門佐・綱吉篇]』
監督:金子文紀
脚本:神山由美子
出演: 堺雅人、菅野美穂、西田敏行
2012年/日本/124分
12月22日(土)丸の内ピカデリー他全国ロードショー
(C)2012男女逆転『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』製作委員会
公式HP http://ohoku.jp/

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