桐島、部活やめるってよ

ある「不在」がもたらしたもの

※結末に触れている箇所があります。これから本作をご覧になる人はご注意ください

世の中は不公平だ。
「結局、出来る奴は何でも出来るし、出来ない奴は何も出来ないってだけだろ」。
成績、運動能力、ルックス、恋人のいる・いない。運動部、文化部、帰宅部。「上」「下」「出来る奴」「出来ない奴」の階層が自然発生し、お互い不可侵を保っている学校内のヒエラルキー。そこへ突然、バレー部キャプテン・桐島が部活をやめたらしいという噂が走る。誰もその理由や経緯を知る者がいない。連絡も取れない。学校も休んでいる。一体なぜなのか? 桐島不在のまま、その波紋は、彼を知る者ばかりか知らない者までにも波及し、事態は思わぬ方向へ展開していく。

ヒエラルキーのなかで、桐島は頂点だ。勉強も部活もできてリーダーシップもあって美人の彼女もいる。一方、対照的なのは映画部所属の前田(神木隆之介)。文化部の中でも低層に位置する映画部は、部室は隅に追いやられ、好きなゾンビ映画を撮ろうとするも撮影は幾度となく邪魔される始末。クラスメートにも小バカにされ、好きな女子にも振り向いてもらえない。前田自身、自分がどの「階層」なのか、わかってもいる。

しかし、「出来る奴」は何の悩みもなくハッピーなのだろうか? 「出来ない奴」はつまらない日常を過ごしているのだろうか?

夢中になれることが見つからない。やりたいことがあってもやらせてもらえない。がんばっても報われない。本気で立ち向かう勇気がない。好きな人に思いを告げられない。羨望と嫉妬。本音を言い合えない薄っぺらい人間関係。そんなモヤモヤとした苦しみや苛立ちは、どんな人間だって持ち得る。登場人物たちは、自分の抱えている思いをストレートに語ったりしない。でも、誰かを見つめる視線や、野球鞄を持ち歩く背中や、空に向かって吹くサックスの音色や、カメラのファインダーを覗く瞳の中に、その思いを雄弁に語らせる。雄弁すぎて、溢れ出しても苦しくて、見ている方も息が詰まるほどに。

桐島は最後まで登場しない。けれど、彼の息苦しさは、周囲の人間たちによって浮き彫りにされていく。桐島だって、きっと苦しかったんだ。ただ、誰もそれに気付けなかったんだ。

「がんばっても、この程度なんだよ俺は!」桐島の代わりにレギュラーとなったバレー部員が吐露した言葉に、正直なところ胸を射抜かれた。みんなどこかでそんな思いをしているんじゃないだろうか。情けなくて悔しくて、それでも生きていこうとしているんじゃないか。

世の中は不公平だ。だけど、この世界で生きていかなきゃならない。要は、その覚悟があるかどうか。諦めではなく、自分で自分を認めていけるかどうか。この映画のラストに、その第一歩を見た気がした。

▼作品情報▼
『桐島、部活やめるってよ』
監督:吉田大八
原作:朝井リョウ(集英社文庫刊)
脚本:喜安浩平、吉田大八
出演:神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、東出昌大ほか
2012年/日本/103分
8月11日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開
(c)2012「桐島」映画部 (c)朝井リョウ/集英社
公式HP http://www.kirishima-movie.com/index.html

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