『桐島、部活やめるってよ』吉田大八監督インタビュー

「“役者はナマモノ”だっていうことを今まで以上に感じました」

吉田大八監督

 ある高校の、ありふれた放課後。校内のスター生徒・桐島が、バレー部を辞めるというニュースが校内を駆けめぐる。『桐島、部活やめるってよ』――。大きな事件は何も起こらない。しかし、学校内のあらゆる“ヒエラルキー”に属する生徒たちの間で、人間関係が静かに変化し始める……。
 原作は、早稲田大学在学中に第22回小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウの同名デビュー小説だ。学校という狭い世界の中で、高校生達の息遣いまで聞こえるようなリアルな青春が描かれる。映画化に当たりメガホンをとったのは、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『クヒオ大佐』『パーマネント野ばら』に続き、これが長編映画4本目となる吉田大八監督。原作の世界観を活かしながら、エンターテインメント性を兼ね備えた青春映画として緻密かつ大胆に再構築した吉田監督に、お話をうかがった。


●小説から映画への置き換え

今回、監督のオファーを受けて原作を手にされたそうですが、最初に原作を読まれたとき、どのような感想を持たれたのでしょうか?また、映画化に当たって、ここは必ず表現したいと感じられた部分は?

吉田監督(以下、監督) 原作では、丁寧にひとつひとつ気持ちの動きを拾っていくじゃないですか、読んでいて息苦しくなるくらいに。(原作の)朝井さんには、関係ないグループの男子や女子の気持ちの波まで伝わってきてたんじゃないか、という気さえします。こんなに色んなものが読み取れて、苦しくないのかな?と思ったんです。
 高校生の体験って基本一回性だし、人それぞれ固有のもの。だから、朝井さんの高校生活への感度の高さと、自分自身のそれがあまりにも違っているのにちょっと驚いた。多分僕はぼんやりしていただけなんですけど(笑)。
 でも、その頃はボーっとしていた方が恐らく生きやすいはずで……最近の若い子たち(とひとくくりにしてしまいますが)を見ていても、携帯とかSNSのおかげでぼんやりする自由な時間がどんどん減っているように見えます。だからその場の空気というか、“圧力”をまともに受けることが大きくなるだろうし、高圧の下いろんな意味で「鍛えられてしまう」というのが、自分の高校時代とはまったく違うんだろうなという風に感じました。

それは、時代の変化のようなものなのでしょうか?

監督 もちろんそれもあるんでしょうけど……はじめは単純な興味があって、それがなぜだか考える意味があると思ったんです。
 “見てみたい”というか、入っていくと自分がどんな目に遭うのかなって(笑)。僕自身、4本目の映画ですし、何か“挑戦”する意味がないとつまらないとは思っていました。

想像のつかない世界への挑戦という意味では、吉田監督も原作の朝井さんも、共同脚本の喜安浩平さんも男性なのに、女子生徒の面倒な人間関係など、それこそ「よくぞここまで!」というほど生々しく描かれていると思いました。脚本は皆さんでかなり練られたのですか?

監督 喜安さんは、年齢的に僕と高校生たちの間です。喜安さんにいてもらったことは、すごく大きかったですね。高校生の世界にアプローチするときに、自分の感覚を押し付けたくないとは当然思いますが、年齢差を考えるといろいろ勝手に気を回しちゃうんですよ。何かズレてるんじゃないか、とか。喜安さんとの作業は、台詞のセンスを含め、高校生たちのリアリティをどう出すか、という点で本当にうまく行きました。女子のことはプロデューサーの枝見洋子さんにもアドバイスしてもらいました。

とてもリアルな高校生らしいセリフが多かったですが、役者さんたちからのアドリブを採用して……という感じではなかったのですか。

監督 ガチガチに固めていたわけではないですが、アドリブ自体はそんなに許していないです。脚本の最後のツメと同時進行でリハーサルをやっていたので、書いていて気になったところ、上手くいかないと思うところを役者たちに演じてもらうことで、流れがスムースになったり必要ない部分を削ったり、かなり細かく検証できたんです。変な言い方かもしれませんが、“彼らの体を使って推敲する”ことができた。リハーサルは、初めは各グループごとに分け、シーンによって合流させたりして、結果1カ月以上かけましたが、良い準備ができたと思っています。

●若手俳優たちの見事なコラボレーション

今作には演技初体験の方も多く出演してらっしゃいます。600人規模のワークショップ形式でオーディションを行われたそうですが、神木隆之介さんや大後寿々花さんといったベテラン陣は先に決まっていたのでしょうか?

監督 神木君や大後さんも含め、若い俳優たちは過去の出演作を見てもあまり意味がないと思ったんです。今どうなのか。それで、興味を持った人には片っ端から声をかけて直接会っていきました。人によっては、納得いくまで何回も。そういう場合は、会っていくうちにも顔がどんどん変わっていくんですよ。その過程の中で、例えば初めに思った役とは違う役に、と考えが変わることもあって、実際にやらせてみるとすごく良かったりする。長い時間付き合っていくので、1回呼んで「ちょっと違うな」で終わりではなく、気になった場合はすぐに結論を出さずもう一度会う、という贅沢な時間の使い方ができたことは良かったですね。

神木さんたちも一緒にワークショップに参加するなかで、他のキャストが選ばれていったんですね。

監督 相性ってあるじゃないですか。1人で会うとそうでもないのに、2人並ぶと独特の雰囲気が出る組み合わせとか。逆に個性どうしが打ち消し合う場合もある。実際に見てみるのが一番早いんですよね。

ワークショップは以前からやってみたかったそうですね。

監督 単純に「ワークショップ」っていう言葉の響きに憧れがあったんです。なんとなく、演技に関する深い考察が行われているようなイメージがあって(笑)。僕にとっては、自分の仕事において、役者たちとどうコミュニケーションを取るか、ということがすごく重要だと思ってます。結局僕自身、映画で何が見たいかというと“役者”なんです。だから、自分の映画に出てくる役者は全員素晴らしくないと嫌なんですよ。映画ってあまり長くリハーサルすることはありませんが、役者との付き合い方として、1カ月間も稽古を重ねたら相当深いところまで届くんじゃないかって。演劇の人に聞くと、「そんないいもんじゃないよ」とか言われるんですけど(笑)。

実際やってみられていかがでしたか?

監督 毎日繰り返すっていうのは想像以上に大変でしたね、やっぱり(笑)。でも、やっていくと「あれ、今日は違う!」ということがあって。昨日と同じことをやっているのに全然違ってみえるんです。当たり前のことなんですけど、“役者はナマモノ”だっていうことを今まで以上にすごく感じました。僕は普段、現場でひとつひとつ自分のイメージにできるだけ近づいてもらうためにプレッシャーをかけ続けることが多いんですが、もっと“ナマモノ”だと意識して生かすようにした方が輝く場合もあるんだなって、今回思い知った部分もあります。

●「ゴール」としたシーンについて

先ほど「映画では役者を見たい」とおっしゃっていましたが、クラマックスで映される桐島の親友・宏樹(東出昌大)の夕日を受けた表情にぐっときて鳥肌が立ちました。それで、小説の文庫本に寄せられた監督のあとがきを読むと、そのシーンに“すっかり持っていかれた”と書かれていたので、「あ、なるほど」と思いました。

監督 まさに、あの場面を読んで「ここをゴールにしよう」っていう風に思ったんですよね。ただ、原作はそこに至る経緯も場所も違うので、自分の中でもう映画的に読み替えていたわけです。でも、あの小説で感じた感触というものを自分なりに再現したシーン。だいぶ形は違っているかもしれませんが、スピリットは同じだと思っています。

前作『パーマネント野ばら』でも、終盤で菅野美穂さんが見せる海岸で光を受けた表情が素晴らしく、同様の感動を覚えました。監督の中で、ああいった光や表情にはこだわりを持たれているのでしょうか?

監督 『パーマネント野ばら』でも、実は事前のプランは少し違うものでした。撮影当日、予想以上に天気が崩れて、でも何かつかんで帰らなければいけない。事前の“こだわり”は一度置いて、その場で出てくる一番いいものを見ようと開き直った。その結果当初のプラン以上のものが撮れたんですよね。だからほんと、監督が前もってこだわることなんか、あんまり意味ないです(笑)。いや、考えること自体には意味があるんですが、相当に考えてこだわって、それが崩れる……映画って結局、そこから先が勝負だと思いますね。
 ご指摘のあった宏樹の表情にしても、撮影では、彼(東出さん)がなかなか乗り切れない間にすぐ陽が沈むわけですよ(笑)。でも、演技経験のない彼がそうなるのはある意味当たり前。1回ダメでも、次の日に撮り直すと違うものが撮れたりしました。多くの場合、最初のイメージを超えたものが。それはある意味、お互いの覚悟が試されるというか……現実を乗り切った結果しか、映画には残りませんから。

●ゾンビ映画以外にない!

原作では、映画部の仲間は岩井俊二さんの作品のような優しい雰囲気の映画が好きだったり、読んでいる雑誌も『キネマ旬報』だったりします(「邦画のあの淡~い表現方法が好きなんだ!」というセリフがある)。それが映画ではゾンビ映画になり、『映画秘宝』になった裏にはどんな監督の意図があったのでしょうか?

監督 この映画部は、学校のヒエラルキーの最下層に近いところにいる。“上”からは陽が当たっていない場所で“うごめいている連中”と思われているわけです。やっぱりゾンビ映画って、権威に対するカウンターというか、お金持ちや綺麗な人に噛みついて、自分たちの地獄へ引きずり下ろすっていうところが面白いですよね。そうしたモチベーションを映画部の彼らが意識していないとしても、彼らがゾンビ映画に思いを託すのは自然な選択だろうと(笑)。ゾンビ映画が好きなら、読む雑誌は『映画秘宝』だろうなと。キネマ旬報さんに断られたわけではないです(笑)。

●自分につながるフックがあるキャラクター

神木さんがあるインタビューで「吉田監督がすごく前田(神木さんの役名)っぽい」と言われていたのですが、ご自身の高校時代を思い返すと、学校内ヒエラルキーのどのあたりに属していましたか?

監督 映画には出てこないくらいの存在でしたよ。映画部の中に、「俺、映画部にいるけど、別に行こうと思えば他の所でもいけるし」っていうちょっとカッコつけてるヤツがいるんですけど、そんな感じだったと思います(笑)。真面目に言うと、その頃の自分の感覚を呼び起こそうとしても、一貫したものとしてはなかなか出てこないんですよね。
 でも、学校にしても社会にしても、一定の人数がある期間、決して広くない場所に一緒にいるという状況で、自分がどういう風に振舞ってきたかという記憶を、ちょっとずつ登場人物たちの色んなところに散りばめたという感じはあるかもしれない。だから、神木君は僕のことを前田だと思ったかもしれないけど、他の人にも聞いてみたいですよね。例えば女子キャストまで「監督は私の役だったと思う」と言ってくれたら、相当嬉しいですね(笑)。どこかやっぱり、キャラクターの中に自分の気持ちとつながるフックがあるんですよ。そういう風に作ったつもりなんです。高校生活って、その中の立ち位置だけではなく、世代や地域によっても全然違う経験のはずです。けれど、心のどこかに必ず共通のスイッチがある。それは面白いですよね。

Profile
よしだ・だいはち
1963年鹿児島県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、CM制作会社に入社。以降、CMディレクターとして数多くのテレビCMを手がけ、様々な広告賞を受賞している。また、ミュージック・ビデオやテレビドラマ、ショートムービーなども演出。07年には初の長編劇場用映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を監督、同年の第60回カンヌ国際映画祭批評家週間に招待された。


▼作品情報▼
『桐島、部活やめるってよ』

監督:吉田大八
原作:朝井リョウ(集英社文庫刊)
脚本:喜安浩平、吉田大八
出演:神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、東出昌大ほか
2012年/日本/103分
8月11日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開
(c)2012「桐島」映画部 (c)朝井リョウ/集英社

公式HP http://www.kirishima-movie.com/index.html

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