きっと ここが帰る場所

緩やかに繋がる人達

混沌と融和の狭間で揺蕩う、なんとも不思議なロードムービー。人の繋がりを無理に強調しなくてもいいんだな、自由でいいんだなと思う。

主人公のシャイアン(ショーン・ペン)は、奇抜なメイクと膨れ上がった髪の毛に旅行鞄を引く、道行く人が誰しも振り返る様な見た目の過去のロックスター。今はダブリンの自宅に引きこもり、消防士の妻ジェーン(フランシス・マクドーマンド)と一緒に暮らしゲームに興じたり、近所のロック少女メアリー(イヴ・ヒューソン)とお茶したり、株に投資したりの日々を過ごしている。そんな折、30年以上会ってない父親が危篤という知らせを受け取りニューヨークへ向かい、そこで知らされた父親の30年前からの目的を果たすために車でアメリカ横断の旅に出る。

この映画は、ロードムービーである。しかし、これまでのロードムービーとは違い、素敵な一期一会があるという訳でもなく、登場人物も過去に傷を持ったり問題のある人達ばかりだ。シャイアンが人間関係で過去に傷がある事と、目的を果たすための道程での出会いでしかないために、彼は殊更出会う人達と深い関係になろうとしない。これで果たしてロードムービーとして成り立つのかと思ってしまう様な関係性の薄さだ。であるが故に、推理ものとしての面白さはあるが、人との出会いによる教訓めいた話しや感動というものも希薄に見える。

一見、人間の強い繋がりが感じられないこの映画。しかし、これこそが現代的感覚であり、若者や子供の感じている事なのかもしれないと考えた時、この映画の素晴らしさがじんわりと分かってくる気がする。見た目や話し方だけ見ても一定の見方が出来ずどこかつかみどころがないが、思考は深く内に秘めた思いもある。連帯感に欠ける様に見えるが、実は繋がりを強く望んでもいる。誰に対しても同じ態度で接し、~であらねばならないという旧世代の在り様とはまったく違うふわっとした感覚を持っている。シャイアンの人との接し方は、そんな現代の若者が望む他者との繋がり方を表している様に見えて仕方なかった。

この映画は、観る人に何かの価値観を押し付ける様な所が一切ない。その代わりに、たとえ緩やかであろうともそこには人と人との繋がり、「観」のつかない価値がある。ショーン・ペンの演技力とトーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンの音楽が、一見不確かな様でそうじゃないと思わせてしまうこの映画への理解と表現の確かさに大きく貢献していた。

▼作品情報▼
製作国:イタリア・フランス・アイルランド合作
製作年:2011年
監督・脚本:パオロ・ソレンティーノ
音楽:デイヴィッド・バーン/ウィル・オールダム
出演:ショーン・ペン/フランシス・マクドーマンド/ジャド・ハーシュ/イヴ・ヒューソン/ケリー・コンドン/ハリー・ディーン・スタントン/ジョイス・ヴァン・パタン/デイヴィッド・バーン
公式HP http://www.kittokoko.com/
2012年6月30日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマライズ他全国ロードショー

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