1+1=1 1

明日が見えぬ東京の空の下、今を生きる若者たちの詩

「1+1=1 1」メイン画像『1+1=1 1』イチタスイチハイチイチと読む。ニュートラルなタイトルである。ここから色々な意味を想像することができるのだが、私は最初これを人と読んだ。『1+1=1 1』人と人、今一緒でも最期は1人1人別になる。人とは孤独なものであると。

 この若者たちの群像劇には死の影がつきまとう。思い出の写真が川を流れて行き、人の記憶が染みついた家は取り壊される。道路に書かれたケンケンパの丸いマスの先には、事故現場によくある人型が描かれている。まるでじゃんけんをして飛び跳ねて行ったその先に、突然の死が待ち受けていたかのように。さらには、女子高生たちのこんな会話。「90歳を過ぎたおじいさんが、人生があっという間だったと言っていた」「最期の瞬間、人生がパラパラマンガのように見えるんだって」
写真家の女性は、なぜ空ばかりを撮っているのかを訊ねられ、こう答える。「綺麗な空が撮れた翌日に、大勢の人たちが死んだ。それ以来空を撮り続けている」と。

美しい夕焼けにも不吉を感じ、今を生きる都会の若者たち。彼らには、2011年3月11日、震災の記憶がまとわりついているのだ。その後も不気味に揺れ続ける大地、関東地方にも、近いうちに大きな地震が来るかもしれない。誰もが漠然とした不安を抱えている。そんな先の見えない未来、映画の中の若者たちが、刹那的に生きるのも無理はない。人を求めながらも、自分の殻は破れない。不安や怒りを表に出すこともできない。まるで、登場人物の家で飼われている闘魚、並べられた小さな水槽に別々に入れられた闘魚たちのように、相手が近くにいても彼らは、感情をぶつけることができないのだ。

「1+1=1 1」サブ画像2しかし、それでも生きていくことは大切である。そう感じさせるのは、映画の背骨として、娘を亡くした父親(田口トモロヲ)の物語があるからだ。死の影が見え隠れするこの作品の中で、本当に死んだのは、この20歳になる娘ひとりだけである。死を選んだ理由はわからない。父親と生前の娘の関係も見えてはこない。ただ、父親ひとりだけの葬儀の様子は丁寧に映される。でも、それで充分なのだ。父親が灯す20本蝋燭の炎。1本、1本灯すごとに明るさを増していくその蝋燭の光は、命の輝き、生きてきた年月の尊さを感じさせてくれる。さらに言えば、このひとりの娘の死が、他の20人の若者たちの生を輝かせているのである。1本1本、1日1日、1人1人の出会い、その積み重ねが、人の生というものを輝かせるのかもしれない。それに、1+1=の先の答えはゼロでは決してない。明日はどうあれ、それでいいのではないだろうか。



「1+1=1 1」サブ画像1▼作品情報▼
監督:矢崎仁司
脚本:矢崎仁司、武田知愛 
出演:喜多陽子、粟島瑞丸、松林麗、気谷ゆみか、田口トモロヲ ほか
製作・配給:
株式会社映画24区
制作:2012年/日本/66分

Copyright 2012 映画24区 All Rights Reserved.
公式サイト:http://www.eiga24ku.jp/projects/product.html#oneplusone”
※6月23日(土)、新宿K’s cinema他全国順次公開!

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