インセプション

夢の中へ

人の夢の中に潜入し、アイデアを盗み出す産業スパイの活躍を描いた作品というと、これまでにもそれに近い作品があったように思われる。洗脳され、夢と現実の世界の区別がつかなくなる『未来世紀ブラジル』シュワちゃんが火星に行く夢を買う『トータル・リコール』そして、現実と思っていた世界が実は仮想現実だったという『マトリックス』など。

それでも、この作品が面白いのは、映画が描いている世界が、実は我々が普段普通に見ている夢の世界に近いところなのである…もちろん、パリの街が二つ折りになる、あそこまでの想像力があるかどうかは別にしてではあるが。例えば、見慣れた場所なのに、どこかが現実とは違う風景。何者かに追いかけられ、どんどん狭いところに追い込まれたところ、どういうわけか先に通り抜けできなくなってしまうこと。空を飛んでいるのだけれども、身体のコントロールが利かず、もがくようなあの感覚。突然別の場所に移動したり、日にちが経ってしまったり、亡くなった人と普通にしゃべっても何の違和感もない不思議。また、ストンとどこか高いところから落ちて目が覚めるという経験も誰もがあることだと思う。そうしたあらゆる夢の要素が、この作品に活かされている。

ある小説家は、その作品の舞台を子供時代に夏休みで過ごした叔父の家と、父親の故郷の家の記憶を混ざり合わせて作りだしたという。その結果リアルではあるけれども、まったく架空の町が作り出されるというのだ。この映画の産業スパイたちも、設計図を作って夢の舞台を作り出している。ターゲットになった人物に夢を現実と認識させるために、精密な世界を作り出す必要があるからだ。また、チームの中には、ポイントとなる人物に姿を変え、ストーリーを作り上げる専門家もいる。そういう意味では、彼らチームは小説家のようでもある。ただひとつ違うのは、人の夢の中に入り込むと、その人の意識が抵抗した結果創り出される敵が現れてくるところである。さらには夢に階層があり、それぞれの場所が相関しあって、サスペンスが生みだされている。そのアイデアがユニークである。

この映画を観ていると、夢はある種の麻薬のように思えてくる。コブ(レオナルド・ディカプリオ)の妻が夢の世界に取りつかれ、自滅していった過程がそれと良く似ている。通常私たちは現実と夢の違いをはっきりと認識しているので問題はないのだが、そのバランスが崩れたとき、夢の世界が現実を覆ってしまう。それは、頭の中のホルモンの作用によるものなのかどうか詳しいことはよくわからないけれど、それを意図的に崩すものが麻薬に他ならないのである。また、私たちは夢の中で、未来に起こることへの予行演習をしたり、失われてしまったパズルの断片を埋め合わせたりということがある。それで精神のバランスを取っている。そういう意味で、コブが「失われた時」を取り戻すために、夢のより深い階層に入り込んでいくのも、崩れかけている精神のバランスを立て直すための行動だと言える。いわば、この映画で描かれた夢の世界への旅は、人の精神世界への旅に他ならない。心が修復されていく過程、あるいは壊れていく過程、それを絵で見せるにはどうすればよいか。そんな深遠なテーマをまともに見せれば、きっと難解な映画になってしまったことだろう。しかし、そうではなくてアクションシーンを主体にして見せたところ、そこがこの映画の非凡なところである。

Text by 藤澤 貞彦

【スタッフ・キャスト】
【監督】【脚本】クリストファー・ノーラン
【製作総指揮】クリス・ブリガム
【音楽】ハンス・ジマー
【キャスト】レオナルド・ディカプリオ/渡辺謙/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/マリオン・コティヤール/エレン・ペイジ/トム・ハーディ/キリアン・マーフィー/トム・ベレンジャー/マイケル・ケイン