【LBFF】僕らのうちはどこ? ―国境を目指す子供たち―

子供たちの顔がすべてを語る

アメリカとメキシコの国境を流れるリオ・グランデ川を何かが流れていく。警備隊がボートで回収に行くと、それは、越境に失敗した男の膨れ上がった溺死体だった。そんな衝撃的なシーンでこのドキュメンタリーは始まる。初めから厳しい現実をガツンと見せられた思いがする。それでも、アメリカ合衆国に不法入国しようとする人々は後を絶たない。本作によれば、年間10万人もの人々が不法入国しようとしてアメリカ側で捕まるという。

この問題を描いた作品としては、今年日本で公開された秀作『闇の列車、光の旅』(2009年)があり、この作品は昨年の放送映画批評家協会賞ノミネートされている。そして本作は、2010年アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門ノミネートされており、この問題へのアメリカ人の関心の高さが伺われる。また、『闇の列車、光の旅』と本作は、同じ風景が出てくることから察するに、ほとんど同じルートで撮影されたように思われる。それ故、この作品を観ていると、『闇の列車、光の旅』で描かれていたことは、フィクションとはいえ、かなり真実に忠実であったことがわかる。列車を待ち線路上で寝ている人たちの風景、旅する人たちに飲み物や差し入れをする人たちの存在、移民しようとする人たちに寝どこと食べ物を提供するボランティア団体の存在、移民シェルターの様子など、そのままなのだ。
 
それにしても驚くべき点は、メキシコの南の地域では、貨物列車の上に不法に乗車して旅をすることが、当たり前のこととして認知されていることだ。ボランティア団体の人が「旅の注意事項」をいちいち説明する。泥棒への対処方法、列車への飛び乗り方、列車上の危険性などなど。まるでツアー・コンダクターのようだ。それでも最後に「この旅に向かった人の100人のうち10人は、途中で死んでしまい、アメリカにたどり着くどころか、二度と故郷に帰れないのですよ。それでも行くのですか」と、一応牽制もしてみるのだが、「やっぱり帰る」という人は、ここではひとりもいない。
 
本作は、タイトル(邦題)が示す通り、移民しようとする子供たちにその焦点を当てている。大人たちでも大変危険な旅というのに、12、3歳の子供たちだけで旅をしている例も多いというのに驚かされる。なぜ彼らはそのような危険な旅に出るのか。

もちろん貧困という問題がある。彼らが出てきた国で一番多いのは、ホンジュラスとグァテマラだ。地図で見ると、メキシコのすぐ南側に固まっている国。もうひとつここにエルサルバドルがあるのだが、ここからの移民は、インタビューの中ではひとりもいなかった。こちらは工業国、ホンジュラスとグァテマラは農業国という違いのせいかもしれない。そういえば本作では描かれないのだが、グァテマラはかつて、アメリカの一企業が土地を独占支配し、バナナのプランテーション農業を行っていた国だ。軍政府に、ユナイテッドフルーツ社の法律顧問を閣僚として入閣させるなどのやり方で、思い通りに国が支配され、アメリカに搾取されつづけたのである。軍政府が倒れた後は、36年もの内戦が続き、平和が戻ったのは、1996年のことである。これでは、簡単には貧困から立ち直れるはずもない。国に居ても未来を見出せず、子供の誰もが「いつかはアメリカに行きたい」という夢を持つという理由がここにある。それにしても、貧困の原因を作った当事者の国に、のちの世代の人たちが夢を見出すというのはあまりに皮肉な話である。しかも、かつてバナナの輸送のために作られた鉄道で、彼らがアメリカに向かうのだからやりきれなくなってしまう。

また、アメリカに行きたい子供たちのその理由として挙げられるのは、むこうで勉強をしたい、向こうで働いて家計を助けたいと、どれも健気なものである。それと、アメリカに向かう子供たちの多くは、すでに家族がアメリカに住んでいるケースも多い。父親が出稼ぎに行ったまま帰ってこない、母親と兄弟がむこうにいて、自分だけが取り残されているなど。中には、子供だけを積極的にアメリカに送り出す母親もいるというから驚きである。しかし、先にアメリカに渡った家族は「こんなことはしなければ良かった」と思っている。例え金銭的には楽になったとしても、家族は崩壊してしまい、何にもならないと。3歳の子供を置いてひとりアメリカに渡った女性は、その後娘と再開を果たすが、もはや子供としての愛情がわかなかったと、失われた時の大きさを悔やむばかりである。

ただ、アメリカに渡れた人はそれでも幸運なほうである。途中、子供を旅に出し失ってしまった家族の挿話が入る。アリゾナの砂漠で倒れ、見るも無残な姿になって発見されたというのだ。「もし、もう一度彼を送り出すことができたら、私の命をあげたい」それでもなお、移住させたいと思わせるのだからすごい。新聞では、国境を目指していた旅行者が、列車に惹かれて死んだという記事が頻繁に紙面に載っている。本作で取材されていた子供たちもまた、目の前で列車から落ちて死んだ人を見たとキャメラの前で話していた。この旅は、ボランティア団体の人が言っていた通り、文字通り命を賭けた旅であるのだ。
 
それでもなぜ彼らは国境を目指すのか。この作品は国境を目指す4人の子供たちに密着したドキュメンタリーなのだが、何よりも彼らの表情がその理由を物語っている。このような危険な旅なのに、その表情の活き活きとしていること。「義父に疎まれている」「街では路上で寝て、シンナーを吸っていた」さまざまな不幸を感じさせないほど、彼らの顔は輝いている。目の前には、夢が広がっているのだろう。

一方、結局彼らはアメリカには移民できずに、母親の元に送還されることになるのだが、帰った当初は子供らしく、母親に甘えた子供の顔をしているのだが、徐々にそこから表情が失われ、生気が無くなっていってしまうのである。路上生活に戻った子の顔に至っては、10歳も年を取ってしまったかのような顔に変わってしまうのである。彼らをあそこまで変えてしまう生活環境、これこそ彼らが国境を目指す理由に他ならない。彼らの顔がどんな言葉よりもそれを雄弁に語ってしまっている。これこそ、劇映画とはまた違ったドキュメンタリー映画の強みであり、この作品の肝であると言える。

Text by:藤澤貞彦
オススメ度:★★★★☆
原題:WHICH WAY HOME
製作年:2009年、製作国:メキシコ・アメリカ
監督:レベッカ・カンミサ
公式サイト:第7回ラテンビート映画祭

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