【LBFF】わが父の大罪-麻薬王パブロ・エスコバル-
今年の第7回ラテンビート映画祭のラインナップが発表されたとき、実は最も興味をそそられたのが、本作だった。7月19日付の朝日新聞朝刊にコロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルの長男が、父が殺害した犠牲者の遺族と対面し和解を求めているという記事が掲載されていたからだ。しかも、その内容がドキュメンタリー映画となり、すでにサンダンス国際映画祭など、世界の映画祭に出品されているという。その映画って果たしてどんなものなんだろう・・・?と思っていたのだが、何とラテンビート映画祭に出品されることが分かり、これはぜひとも観なくては!と息荒くして、会場の新宿バルト9に乗り込んだ。
本作の中心人物となるのが、セバスチャン・マロキン、元の名前はフアン・パブロ・エスコバル。一時期は世界の麻薬の8割を手中に収め、1993年にコロンビア政府の治安部隊に殺害されたパブロ・エスコバルの息子だ。パブロはセバスチャンら家族にとっては優しい父親であったし、貧困に苦しむ人々に住まいを提供するなどの慈善事業にも取り組んでいた。だがその一方で、麻薬の取引で莫大な富と力を得、自分と対立する政治家や大統領候補者などの暗殺や、飛行機を墜落させたり、ビルを爆破するなどの無差別テロ行為を重ねていた。そして当然だが、パブロが殺した人々にも家族がいる・・・。
本作は、セバスチャンはじめ、パプロに暗殺された政治家の子息たちのインタビューなどの他に、過去の映像や手紙なども挿入して、非常に見応えのあるドキュメンタリーに仕上がっている。特に驚かされたのが、エスコバル家の豪勢さだ。ホームビデオに残されていた映像を見ると、庭(・・・と呼ぶにはあまりにも広すぎるのだが)にはゾウ、シマウマ、サイ、ダチョウなどが飼われていて、もはやサファリパークを見ているかのようで、パブロがどれだけの財を築いたのかということを物語るシーンとなっている。逮捕後もパブロは、財を武器にして刑務所を5つ星ホテルのように豪華に建築させたり、あげくの果てに脱獄、逃亡を続けるなど、その生き方があまりにもドラマチックで、劇映画になりそうな要素に溢れている(漏れ聞くところによると、パブロの伝記映画の企画もあり、パブロ役にハビエル・バルデムがオファーされたが断ったとか)。
だが、この映画で語るべきは、パブロの生き様ではなく、そんな男の息子に生まれた運命を受け入れるセバスチャンの和解を求める姿勢だ。父が殺害された直後のインタビューで、16歳のセバスチャンは「父を殺した奴らに復讐する」という主旨を述べていた。そして彼自身にも懸賞金がかけられ、コロンビアにいられなくなり、アルゼンチンへ逃亡。名前を捨て“セバスチャン・マロキン”として生きることになる。
だが、セバスチャンは「復讐」を実行することはなかった。彼は何と、犠牲者の家族との和解を自ら求めたのだ。これはどう考えても簡単なことではないし、相当な勇気がいることのはずだ。世界は、憎しみが憎しみを呼ぶ負の連鎖を、現在に至るまで何度目にしていたことか。世界各地の紛争の根源にあるのは、相手に対する憎悪だろう。各地の報復テロなどの報道を聞くたびに、いつもやるせない思いに苛まされる。
だからこそ、セバスチャンの勇気ある行為が、何と気高く見えることか。父のことも、祖国を追われたことも、全て自分の運命として粛々と受け入れ、ライフワークとして和解を模索する姿に、心を動かされない者はいないだろう。特に、パブロが暗殺した政治家の子息と対面するシーン、互いを罵倒しあうこともなく、過去と現在、そして未来を静かに受け入れる様子は、あまりにも感動的だ。
セバスチャンは、和解、そして平和への想いを熱くというよりは、冷静に、淡々と語っている。だが、その穏やかな語り口は悟りの境地に達しているかのようで、説得力がある。憎悪を捨てられる者だけが、未来への希望を紡ぐことができると確信しているのだ。それこそが、憎しみが溢れる世界に最も必要なことなのは、間違いない。そんな彼の真摯な姿勢を世界中の人々に見習ってほしいと、切に願いたくなる映画だ。
Text by:富田優子
オススメ度:★★★☆☆
原題:PECADOS DE MI PADRE
製作年:2009年、製作国:コロンビア・アルゼンチン
監督:ニコラス・エンテル
公式サイト:第7回ラテンビート映画祭