「孔子の教え」フー・メイ監督インタビュー ~発展の代償に信仰を失った若者たちへ~
朋遠方自り来る有り。亦楽しからずや「有朋」。
故きを温めて新しきを知る「温故知新」。
聞き馴染みのあるこれらは、どちらも『論語』に収録されている言葉だ。孔子と彼の弟子たちの言行を記録したとされる『論語』。数々の言葉や諺を残し、東アジアの文化の根底に息づく儒教を説いた孔子の生涯を、神格化された聖人としてではなく、“生身の人間”として描いた映画『孔子の教え』が公開される。公開に先立って来日したフー・メイ監督にお話をうかがった。
儒学への疑問が映画化へのきっかけ
過去に孔子を主人公にした中国映画はなかった。その存在があまりにも大きすぎて、映画化されると聞いた時にはわが耳を疑ったほど。完成までには様々な意見や批判にもさらされたことだろう。
「私の性格でしょうね。チャレンジすることが好きなんです。他の人がやったことは、やりたいと思いません」
穏やかながら毅然とした口調で、こう言い切ったフー・メイ監督。こちらの質問にメモを取りながら答える姿は、映画監督というより学者のようですらある。
「以前『漢武大帝』という歴史ドラマを撮ったことがあります。その時、疑問に思ったのです。漢代以降、皇帝は何人も交代していますが、皆儒学を国の正統な教育と位置づけてきました。それは一体なぜなのか?そんなに重要な内容だというのでしょうか?そんな思いから研究をスタートさせ、孔子を理解しようとしたのです」
そう語るフー監督は1958年生まれ。ちょうど文化大革命の最中、中国が儒教を「反革命的」だとして徹底弾圧した時代に教育を受けた世代に当たる。
「私たちは“造反有理(謀反を起こすことは正しい)”の考え方を刷り込まれた世代ですからね(笑)。ですから、2200年も前に孔子の思想を国学としたことに疑問と興味を感じたのです」
孔子を生んだ国でありながら、孔子のことをよく知らない人が大勢いる現在の中国。フー監督が本作に取り組んだ背景には、欠け落ちた知識のピースを拾い上げたいという欲求があったことに加え、今の世に訴えたいメッセージがあった。
失った精神的財産を見直して
中国では近年、孔子が再び見直されている。小学校や幼稚園から子供たちには、『三字経』(宋代に編纂された道徳の児童向け啓蒙書)という儒学の教えを短くまとめたものを暗記させ、「礼儀や道理をわきまえることを思い返させている」(フー監督)のだとか。
「仁、義、礼、智、信。今日の人類の文明にとって、これらはとてつもなく大きな精神的財産、東洋文明の精神的財産です。しかし、現在では多くが失われてしまった。だからこれほどまでに多くの民族紛争や戦乱、飢餓や経済格差が生まれるのです。キリスト教やイスラム教は“神”のものですが、儒学は“共同”のもの。他人と溶け合うこの精神が、素晴らしい未来をつくる道であり、発展の方向性だと思っています。そしてこれが、私が本当に本作『孔子の教え』を撮りたかった理由でもあるのです。中国は物質的に、経済的に急速に発展しています。しかし私たち、とりわけ若者には精神面での栄養や思想が不足していると思う。信仰がありません。何を信じてよいのか分からず、利己的になる。どの家庭の子どもも一人っ子で、何でも他人が与えてくれると思っています。それでは発展は続かず、将来が危険です」
一気に話し切ったフー監督だが、訴えの内要は切実だ。「将来的には17億人に達する中国人に、信仰がないなんて恐ろしい事態!」と語気を強めた。
中国では以前にも増して、社会のモラルの低下を危ぶむ声が強くなっている。先の高速鉄道事故への対応も然り。また最近では、下水溝に捨てられた使用済み油を再び食用油として販売していた業者が摘発されるなど、「自分さえよければ」の気持ちから発生した社会問題が後を絶たない。
チョウ・ユンファでしか成し得なかったこと
本作は、ハリウッドでも活躍する香港の大スター、チョウ・ユンファが孔子を演じることでも話題だ。
ユンファのカリスマ性は絶大な影響力をもつ孔子像にぴったりではあるが、なにせ2500年も前の人物である。人物像を現す具体的な資料も乏しいなか、演技面でどのような要求をしたのだろうか。
「確かに、2500年前の人物を何の拠りどころもなく“複製”するのは難しいです。孔子は礼、楽(音楽)、射、御(戦車術)、書、数の六芸に精通していたという資料が残っています。音感がよく、声もよく通る。そしてこれはイメージなのですが、当時の泥道を、鞍もなく、ロバにつないだ縄を一手に束ねてロバ車(戦車)を操縦するには、非常に強靭な肉体が必要だったわけです。孔子は身長が2メートル近くある立派な体格だったといわれており、あらゆる要素を考え合わせても、ユンファはこの役柄にふさわしかったと思います」
しかし、ひとつ難題があった。音楽が孔子を語る上で非常に重要な要素であるのに、本人に琴の演奏をお願いしたところ、ユンファは「弾かない。歌も、私に歌わせたら映画が全部ぶち壊しになるからね」と言い、頑として聞かなかったというのだ。監督が、「音楽をやらなければ孔子じゃない。絶対に学ばないと」と説得してもなかなか首を縦に振らなかった。そこで監督は秘策を考えた。
「当初、北京オリンピックで演奏したこともある高名な演奏家に指導をお願いしたのですが、実現しなかった。けれど彼は、お弟子さんを紹介してくださいました。そして現場に現れたのが、身長172センチの赤い服の美女!本当にキレイな女の子で、彼女を紹介すると、ユンファの目がぱっと輝いたのです。彼女に一曲演奏してもらったら、それがまた素晴らしく、『習いたい、習いたい』とユンファは態度を一変。あえて突っ込みませんでしたけど(笑)。彼女が現場に婚約者を連れてきていてよかったです。ユンファの後を追って彼の奥様が来たので、私は言いました。『あのハンサムな男性が先生の彼氏よ。だから大丈夫』と(笑)」
一度承諾すれば、そこは名優である。それからというもの、ユンファは毎日1時間のレッスンを受け、手の皮膚が擦りむけるほどの自主練習も積んだ。そして孔子の演奏シーンをすべて自分でこなせるまでに上達した。
「ユンファの奥様も、彼の練習熱心さには『誰も敵わない』とおっしゃっています。本作の脚本を受け取ってから、彼は家の中でもホテルでもずっと、座るときは膝をついたままだったそうです。日本人には当たり前のことかもしれませんが、中国人にとってこれは非常に辛い。劇中で孔子が身につけている衣装は数十斤(1斤は約0.5キロ)にもなる大変重いものなのですが、膝をたたんで座した状態からすっと直接立ち上がることができたのは、俳優陣のなかで彼だけでした」
まさに努力の賜物だったというわけだ。人間味のある温かさの中にも、威厳やストイックさをたたえるユンファの姿は、本作の大きな見どころになっている。
海外に広がる“孔子の教え”
ユンファの起用は、才能やイメージだけが理由ではないようだ。
「彼は世界の華人社会やハリウッドでも地位のある“重量級”のスターですから、出演が叶えばより広く注目されると考えた」とも率直に語るフー監督。もうすぐ日本でも公開を迎えるわけだが、監督は「中国国内よりむしろ海外の方が、この映画が受け入れられやすいのでは」という。
近年、中国政府は世界中で中国語と中国文化の教育機関「孔子学院」の設立を進めている。これまで中国から世界へ輸出されてきたものといえば、機械や加工品などハード面の製品が中心だったが、ソフト面でも国が誇る文化の波及を目指す。
「中国の経済発展に伴い、世界で中国語や中国文化を学ぶ人が増えています。実は当初、この映画を中国国内で上映するのは難しいのではと思っていたのです。中国国民の70%は農民です。皆お金を稼ぐことで精一杯。残念ですが『孔子と自分の生活に何の関係があるの?』という具合です。むしろ日本や韓国、ベトナムやシンガポールなど海外の国々における儒家思想の重視の度合いは、中国のそれを超えていると感じます。だから、本作は海外で公開する需要があると思っていました」
東日本大震災という未曾有の大災害によって、命あることの大切さ、人とのつながりを改めて考える状況に置かれた私たち。人として当たり前のこと、大切な心構えを説いている孔子の教えは、確かに、日本人の胸にまっすぐ響くのではないだろうか。
日本でも『論語』の学習者が増えているという。まずは、孔子を知るための“入門書”として本作をお薦めしたい。 取材&撮影:新田理恵
~プロフィール~
胡玫(フー・メイ)
1958年北京出身。人民解放軍総政治部話劇団の俳優を経て、78年に北京電影学院の監督科に入学。86年に退役老兵士の生活を描いた『戦争を遠く離れて』で監督デビューを果たす。「漢武大帝」「喬家大院」などテレビで歴史ドラマを数多く手がけ、高い評価を得る。『愛にかける橋』(02)はベルリン映画祭やモントリオール映画祭などに出品された。
作品情報
『孔子の教え』 (原題:孔子)
監督:胡玫
製作:韓三平、劉栄、岑建勲
脚本:陳汗、江奇濤、何燕江、胡玫
出演:周潤發(チョウ・ユンファ)、周迅(ジョウ・シュン)ほか
2009年/中国/125分 配給:ツイン
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公式サイト http://www.koushinooshie.jp/