明りを灯す人

キルギスの寒村、“明り屋さん”が灯した本当の豊かさの灯とは

明りを灯す人メインキルギスの山、川、谷、村に風が流れる。その中には人々のつましくとも、温かい暮らしがある。確かに生活は苦しい。若者たちがどんどん街に出てしまい、人口も減り村の財政は苦しくなる一方だ。こんな村に“明り屋さん”と呼ばれるひとりの男(アクタン・アリム・クバト)がいる。テレビが映らなくなったと言わればすぐに自転車で飛んでいき、アンテナの調整をする。電気料金が払えず電気を止められてしまった人がいれば、ちょっとした細工をし、無料で電気を使えるようにしてやる。もちろん明らかに違法行為であるのだが、咎められても男は意に介しない。電気料金が高すぎることの方が問題だと思っているからだ。彼の夢は、風力で電気を灯し、村を豊かにすることである。

そんな小さな村に総選挙の票を集めるため、都会に出ていたベクザットという男が戻ってくる。「俺が当選すれば、後悔はさせない。不毛の地を天国にしてみせる」と。彼に協力を求められた村長はこれを拒否する。「ここは不毛の地ではない。何不自由なく暮らしてきた村が貧困にあえいでいるのは、都会の人間たちのせいだ」と。

ベクザットは、村人たちを取りこむため、クラブを作る。貧しくうす暗い村の集会所と比べて、ここは明るい。もちろん彼に任せれば、村の暮らしがよくなると錯覚させる効果を狙ったものだ。当然、貧しい人にも電気をという、“明り屋さん”の発想とは違っている。けれども村人の中には、彼を支持する人が徐々に増え始めて行く。つづいてベクザットは“明り屋さん”に、彼の夢、すなわち渓谷を風車で埋め尽くして、谷全体の電力を作ることに対して、力を貸すと約束をする。“明り屋さん”は夢が叶うと有頂天になってしまうのだが、期待は裏切られる。ベクザットは、村長が亡くなったのをいいことに、なんでも自分の言うことを聞く人間を村長に祭り上げる。そして中国から投資家を招き、“明り屋さん”の計画を一大事業にしていこうとするのだが、その時にはもう、彼を不要とばかりに蚊帳の外へと放り出してしまうのだ。

明りを灯す人1この作品を観ていると、嫌でも日本の現状を思い浮かべてしまう。素朴な小さな村の話で、単純化されているのだが、根本的なところはまったく変わらないと言ってよい。例えば、原発の問題。つい最近、原発推進派の町長が当選した上関町。町内の祝島では、30年来推進派と反対派が対立しあっている。推進派は、このままでは町民の暮らしが破たんするという危機感にかられて行動を起こしている。事実、町の財政は悪化の一途をたどり、公債残高が一般会計を上回り、それが原発からの交付金への期待を高めている。一方、反対派の人たちは、環境破壊が、生活を壊すという危機感を持っている。もし原発がここにできた場合、祝島での漁業や農業は壊滅的な被害を受けることとなるし、それ以上に健康被害が心配される。。

永年助け合い生きてきた島民たちにも関わらず、今では、両者が話をすることはない。島伝統の「神舞」も2度中止になったという。島民の魂とも言うべき祭りまで行えないことの辛さは、推進派も反対派も同じであるはずだ。悲しいのは、推進派イコール必ずしも悪ではないことだ。どちらも町のためを思っているという点では共通している。ただ、外部から入ってきた人間たちには、そんなことは関係ない。事業が成功し利益を上げることが究極の目的だ。ゆえに賛成派を少しでも増やそうと、接待しお金を配る。そして町民同士の溝が深まっていく。不幸の根っこはそこにある。

明りを灯す人4本作では、村人の魂ということで、ひとりの若い女性が象徴的に使われている。明かり屋さんが、電柱から落ちて気絶し、意識を取り戻しかけたときに目の前に現れ、ほほ笑んだ美女である。彼女の両親は、ロシアに出稼ぎに行ったきり戻ってこず、年老いた祖母と暮らしているのだが、生活を支えるため、大学進学をあきらめる。かといって村には仕事があるわけもなく、身を落として働いている。まるで村の不幸をひとりで背負っているかのようだ。そのうえ、村長とベクザットが中国の投資家への接待で、ユルタ(キルギスの伝統的な大型のテント)で行ったいかがわしい出し物で、彼女は裸にさせられる。

それは民族の魂を売り渡したことに等しい。なぜなら、キルギス人は民族意識が強いことで知られている。国は天山山脈をはさんで中国と国境を接している。国中が山に囲まれた高地であることからか、ロシアやソビエトに併合されてもなお、民族の伝統を守り続けてきた国である。今でも同族結婚や、キルギス民族同士の結婚をよしとしている。そのうえイスラム教徒がほとんどを占めている。ユルタでキルギスの女性が外国人にいかがわしい行為をさせられること。それがキルギス人の手によって行われたということは、彼らにとってみれば、まさに、悪魔に魂を売り渡したことに他ならない。そこまでして、村人が幸福になれるとはとても思えない。

おそらく、このままいけば中国の投資家は、事業を現実のものにする力があり、やがては、一大発電所が建設されることだろう。けれども、それでは、電気料金は相変わらずの高値になり、村の貧しい人にも電気の恩恵を、ということにはならない。発電所の恩恵は、村人の頭の上を通り越して、都会の人へと流れて行くはずだ。“明り屋さん”の夢は、貧しい人にも電気を配りたいというところから出てきた発想だった。この素朴な優しさこそが本来あるべき豊かさへの道であるべきではなかろうか。ラストは村に風が吹き渡り、“明り屋さん”の気持ちがその風に乗っていく。こういう人がいる限り希望がある、そんな風に思いたい。原発の問題が注目されている今だからこそ、余計にお薦めしたい作品である。


【余談】
キルギスと日本は意外に関係の深い国である。原発の燃料となるウランの一部がこの国から輸入されているのだ。キスギスの電力は、水力発電が主流であり原発はないのだが、ウラン採掘のため、鉱山の周りの村落では放射能の影響による健康被害が問題となっているという。この作品が風力発電にまつわる話であるだけに、余計に皮肉な思いがし、心が痛む。

オススメ度:★★★★☆
Text by 藤澤貞彦



▼作品情報▼
明り
監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト
脚本:タリブ・イブライモフ
出演:タアライカン・アバゾバ、アスカット・スライマノフ
原題:SVET-AKE 英語題:The Light Thief
2010年/キルギス=フランス=ドイツ=イタリア=オランダ
/80分
公式サイト: http://www.bitters.co.jp/akari/
配給:ビターズ・エンド
10月8日(土)よりシアター・イメージフォーラム 他、全国順次ロードショー

トラックバック-1件

  1. シネマな時間に考察を。

    『明りを灯す人』…

    風が強く吹いている。 その風が彼らの歩み出す未来への、 希望の追い風となるように。 それでも心を灯す明りは吹き消えぬようにと。 『明りを灯す人』 2010年/キルギス・仏・独・伊・蘭 監督・脚本・出演:アクタン・アリム・クバト 中央アジアのCIS加盟国,キル…

トラックバック URL(管理者の承認後に表示します)