彼女が消えた浜辺

“存在”の意味を問うミステリー 


いったい誰が、どこへ、消えたのか?ともに旅行に来た美女の名前を、知るものは誰も居なかった―。かつてのロースクールの仲間が家族連れでバカンスを過ごす浜辺。女性がひとり忽然と姿を消した。彼女の名は、いや、呼び名はエリ。離婚したばかりの仲間アーマドに紹介しようと、夫と子どものいる豊かな家庭に恵まれた女セピデーが連れてきた保育園の先生である。『彼女が消えた浜辺』は、登場人物のエリに対する先入観、彼女の“存在”そのものに対する認識の変化を通して、イランの現代社会の有り様をも浮き彫りにしていく。

映画は、このグループが、うかれて車でトンネルを快走する冒頭から観る者に静かな胸騒ぎを与える。窓から体を乗り出し、歓声を上げるセピデーと、かげりのある微笑をたたえるエリの対照的な様子。エリには何かある。この連中には何か起こるぞ。観客はそう確信する。細かな表情、些細な言葉。すべてが失踪の伏線になっていく。

これはたった3日の間に、閉ざされた別荘で展開される物語だ。その中で描かれる人間関係の描写が非常に興味深い。作品に登場するグループは高い教育を受け、中には海外生活の経験者もいる“西洋化”の影響を強く受けた中産階級である。夕食の席で、本来ゲストであるはずのエリに塩を取りに立たすなど、保育士であるという認識だけで彼女をごく自然に“格付け”してしまうような、一定のステイタスを手に入れた層なのだ。また、男性社会のイスラム教国であるイランだが、“西洋化”された彼らにかかれば一見、夫と妻の立場は対等か、母親ともなれば女性がよりパワフルに家庭を牛耳っている印象を受ける。しかしこの映画は、怒りに任せて妻を殴りつける夫の姿や、交渉ごとからは女・子どもを遠ざける男たちの姿など、伝統的な男性支配の概念がまだ根強くこの階級を支配している構図も随所に垣間見せるのだ。自由への渇望と、伝統という名の苔に覆われた息苦しさ。群像劇が映し出すイランの現代社会の微かな歪みと、エリの内面世界をリンクさせるカラクリが非常に見事である。

エリを演じるタラネ・アリシュスティが本当に美しい。不在となる後半、残された人々の中でエリへの謎が深まるにつれ、彼女の残像が輝きを増していくから凄い。

オススメ度:★★★★★

Text by 新田理恵

09年ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞した

【監督・脚本】アスガー・ファルハディ
【出演】ゴルシフテェ・ファラハニー/タラネ・アリシュスティ/シャハブ・ホセイニ/メリッラ・ザレイ
イラン/2009年/1時間56分

『彼女が消えた浜辺』公式サイト
http://www.hamabe-movie.jp/

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