『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』古居みずえ監督インタビュー

戦闘の陰で傷つく子どもたちの存在を知ってほしい

 2008年12月27日より約3週間続いたイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への大規模な空爆と地上侵攻。市民への無差別攻撃などで、ガザ地区では1400人もの犠牲者を出した。そのうち300人以上が子供であったという。古居みずえ監督は、停戦が発表され、海外メディアの取材規制が解けた直後の2009年1月にガザ地区入り。そこで、イスラエルの攻撃で親兄弟、親戚を失ったばかりのサムニ家の子どもたちと出会う。彼らの年齢はひと桁代から10代前半、目の前でイスラエル兵に親が殺されるのを目撃した子どももいる。近しい人を失った彼らの心のうちなる思いを細やかに記録したのが、本作『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』だ。
ジャーナリストとしてパレスチナの取材を20年以上続けている古居監督。パレスチナへの愛情も深く、「パレスチナ取材は私のライフワーク」と自負する監督より、本作に関するお話を伺ったので、以下にお届けする。


古居みずえ監督

――古居監督が本作に込めた思いを教えて下さい。

古居みずえ監督(以下、古居):今はいろいろなニュースが出てきては、あっという間に消えてしまいます。イスラエルとパレスチナの問題もそうです。2008年12月のイスラエル軍によるガザ攻撃も、今はどれだけの人が覚えているでしょうか?最初はセンセーショナルに伝えられるけれど、瞬く間に忘れ去られてしまいます。でも、この問題は誰もが忘れてはいけない問題だと思います。そして、戦闘の陰で傷ついている子どもたちがいることを知ってほしいという思いを込めて、つくりました。

――本作の取材対象者であるガザ地区に住むサムニ家の子どもたちですが、これまでの取材等を通して、2008年12月のイスラエル侵攻の前から知っていた子どもたちだったのでしょうか?

古居:今回の攻撃を受けた地域は、ごく普通の農村地帯でした。多くの民間人が生活しているのどかな場所です。今まではイスラエルの攻撃はさほど激しい地域ではなく、そこに住む人たちにとって空爆は想像できなかったと思います。それに民間人がこんなに多く殺されたのも今までありませんでしたし、住民にとって驚きは大きかったと思います。私自身もとてもショックでした。そんななか、戦闘で瓦礫の山と化した町を、一人の女の子が茫然と歩いていました。その女の子と出会ったことが、子どもの取材をするきっかけでした。その後、サムニ家の子どもたちと出会っていきます。それが彼らとの出会いです。

――サムニ家の子どもたちがカメラに向かって、「お母さんがこんなふうにして殺された」など、淡々と語っていました。まっすぐな瞳が痛いくらいに印象的でしたが、彼らは最初から素直に語ってくれたのでしょうか?

古居:子どもたちは、戦闘の恐怖の体験をいろいろと話してくれました。それも、どちらかと言えば、私から尋ねるというよりは、積極的といってもいいくらい、自ら語ってくれたんです。侵攻直後の子どもたちには、とにかく心のうちなるものを吐き出したいという思いが無意識に働いていたようです。心理学の先生に伺うと「恐ろしい出来事を体験した子どもたちには、心のなかに溜め込んでいる感情を、外に出す時期がある」ということでした。怒りや悲しみを誰かに話すことで吐き出し、そのことによって救われる、と。理論整然してなくとも、何かをしたいという衝動が起こるそうです。彼らは話すことのほかに、(映画にも出てきたように)絵を描いたり、薬莢を集めたりしていましたが、それもそういう気持ちから派生する行動のようです。

――そのなかでも、イスラエル兵に殺された父親の血痕が残った石を集めていた少年の姿は衝撃的でした。そんな子どもたちですが、イスラエルに対する憎しみはあるのでしょうか?

古居:「(親や兄弟がイスラエル兵に殺されたことを)忘れられない」と話した子どももいました。そして「(イスラエルに対して)同じことをしてやりたい」とも。ある男の子は「将来は絵描きになりたい」と言っていましたが、風景画などの絵を描きたいのではなく、父親と、父親を殺した兵士の顔を描きたいと言っていました。イスラエルへの憎しみがあったのでしょう。

――古居監督は2009年1月にガザ入りされ、その半年後に再びサムニ家を訪れています。先ほど監督は、子どもたちにはイスラエルの憎しみがあるとおっしゃいましたが、半年後の子どもたちの表情を見ると、変化を感じたのですが。

古居:攻撃直後に比べれば、半年の時間を経て、子どもたちの気持ちも多少は整理できたのだと思います。確かに成長を感じるような出来事もありました。父親が残した畑で、畑仕事をしたり、学校に行ったり、簡易だけど家をつくったり。ある女の子はポーランドへ行く機会に恵まれて、「飛行機って人を乗せるのね」と驚いたりしていました。彼女がそれまで知っている飛行機は、イスラエルの戦闘機であって、町や人を攻撃するためのものでしたから。そういう前向きな気持ちが表情に出ていたのだと思います。

――本作を特にどんな方に見てもらいたいですか?

古居:もちろん、あらゆる世代のすべての人に見てもらいたいですが、サムニ家の子どもたちと同年代、中学生から高校生くらいの人たちには、特に見てもらいたいですね。というのは、子どもたちと年齢が近い人が見れば、自分たちが置かれている環境と彼らの境遇のあまりの違いに驚き、見た人の心に何か残ると思うんです。大人には届かない思いが、同年代の人であれば届く思いがあるかもしれない。サムニ家の子どもたちは、ただただ普通の生活がしたいだけ。彼らのそういう切実な願いが届けばうれしく思います。
また、大震災を経て、日本人にとって「死」がより身近に感じられるようになったと思います。パレスチナの人たちは、いつイスラエルが攻めてきて、自分や家族の生命が脅かされるか分からない恐怖の淵に立たされています。一方、日本では突然あの大地震が起こり、ついさっきまで一緒にいた人が、津波にさらわれて亡くなった、という辛い経験をした人がたくさんいます。いつ「死」が訪れるか分からないという思いが、強くなったと感じています。だから、今だからこそ、パレスチナの人の気持ちも分かると思うんです。今の時期だからこそ、なおさら見てもらいたいと思います。

――次回作について

古居:東京電力福島第一原発の事故で、高濃度の放射能に汚染されて、全村避難を強いられた福島県飯舘村を題材にしたいと思っています。取材にも行きましたが、飯舘村の方々は、追い立てられるように村から離れてしまっています。そんなことが日本で起こっているという現実が、本当に信じられなくて。イスラエルの攻撃のせいで、住む場所を追われるパレスチナの人々の姿と重なりました。生活を根底から奪われてしまう悲しみや怒りや苦悩は、ガザも飯舘村も同じでした。そんな悲惨な現実を、何らかのかたちで記録に残したいと思っています。

――ありがとうございました。

(後記)
イスラエルの攻撃直後に比べて、古居監督が2回目の取材に入った時の子どもたちの少しやわらいだ表情が印象的だった。監督はインタビューでも「子どもたちの前向きな気持ちの表れ」と語ってくれたが、いつまでもその気持ちが続いてほしい、どうか憎しみに転じないでほしい、と祈るような思いで、映画のラストシーンを見つめた。
また、監督も指摘したように、現在はたくさんのニュースが瞬く間に消費され、忘れ去れていく。パレスチナ問題のニュースもその一つだ。話題性がある時だけ、そのニュースに引っ張られて、あとは知らんぷりでは、ただマスコミに振り回されているだけ。常に冷静かつ長期的、複眼的な視野を持ちたいと考えさせられる映画であった。

取材:富田優子


〈プロフィール〉古居みずえ(ふるい・みずえ)
 ジャーナリスト・映画監督。アジアプレス所属。1988年よりパレスチナを取材。新聞・雑誌・テレビなどで発表。第1回監督作品『ガーダ パレスチナの詩』が好評を博し、同作品で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。2011年新著『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』(彩流社)を刊行予定。


▼作品情報▼
監督・撮影:古居みずえ『ガーダ ―パレスチナの詩―』
プロデューサー:野中章弘、竹藤佳世
編集:辻井潔『花と兵隊』『ミツバチの羽音と地球の回転』
音響設計:菊池信之 『玄牝-げんぴん-』『ゲゲゲの女房』
音楽:ヤスミン植月千春
宣伝:ブラウニー
協力:横浜YMCA対人地雷をなくす会、古居みずえドキュメンタリー映画支援の会
製作・配給:アジアプレス・インターナショナル、古居みずえ
2011年/日本/カラー/86分/DVCAM/ステレオ
(C)古居みずえ
公式サイト:http://whatwesaw.jp/

8月6日(土)よりユーロスペースにてモーニングショー
今秋、第七藝術劇場にて公開、全国順次公開

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