「さや侍」計算とアドリブ、笑いと悲しみの絶妙なバランス
これまでにも賛否両論を巻き起こし、今回もまたいろいろな意味で話題となるであろう松本人志監督の「さや侍」が6月11日から公開された。自分が松ちゃんの大ファンである事を意識した上で、冷静にこの映画について考えてみたい。
これはいい意味で期待を裏切った。これまで過去に監督した「大日本人」「しんぼる」の様な不条理な世界が繰り広げられる映画とは違い、なんと映画らしい映画なのか。
物語は、ある事がきっかけで刀を捨ててさやのみを持ち歩く娘連れの脱藩浪人の野見勘十郎が、捕らわれた藩の殿様から息子(母親を亡くして心を閉ざしている)を三十日の間に笑わせれば切腹を免れて無罪放免という「三十日の業」に処された後の三十日の間に起こる、主人公の変貌や親子愛を描いた内容である。
物語だけ見ればなんという事もない映画に思えるかもしれない。しかし、そこは松ちゃんのエッセンスが随所にちりばめられている。
まずはキャスティングの素晴らしさ。主人公は、野見隆明という素人のおっさん。数年前の深夜に放送されていた松ちゃんのバラエティ「はたらくおっさん劇場」の出演で知っている方もいるだろう。このおっさん、普段からもうグダグダでどうしようもないおっさんなのだ(笑)。ほっといたら何するか分からないし、まともにセリフも言えないくらいの人。これを周りのしっかりした俳優(子役までしっかりしている)が固めている。この俳優の配置が素晴らしいのだ。
周りをしっかりした俳優で固め基礎をしっかりさせた上で、敢えて危なっかしい何をするか分からない素人を主役にする。これは、松ちゃんが計算された笑いではないどこに行くか分からない笑いを目指しながらも映画としての作りは崩さない様にするための、絶妙なバランスをとったものだと感じる。それはさながら、コード進行という決められたルールは守った中で、後はその場で作曲しながら演奏していくというジャズのインプロビゼーションの世界に似たもの。野見さんを暴走させるでもなく、映画として決まりきったものにもしたくないという松ちゃんの姿勢が見てとれる。前作の「しんぼる」でも見られた、部屋の中からは出ない、部屋にある数多くのしんぼるを触る事によって何かが起きる。この2つのルールを決して破る事なく延々とギャグやボケを繰り出す手法にも通じるもので、創造性を高める手段として優れているフォーマットなのだと思う。
実際、この三十日の野見勘十郎はいろんな面を見せてくれる。芸人松本人志を期待し、笑いたいと思ってこの映画を観に来た人ががっかりしてしまうくらい、笑いの要素は少ない様に思う。三十日の中には、なんじゃこりゃ?というものもある。しかし筆者には、そのなんじゃこりゃ?な日の芸もがバカバカしくて最高で、素人の計算してないリアルさを感じさせてくれるのだ。そのリアルさが、映画ですごみとして出るシーンがこの映画にはある。そこはぜひ見逃さないで欲しい。そういう意味で筆者のおススメは、六日目の口三味線と二十五日目のふすま破りである。この映画の野見さん、おかしな事をしていてもどこか悲しそうで男の哀愁を感じさせる。みすぼらしい見た目が余計にその物悲しさを強くさせる。これはプロの俳優には出せない味だ。
この映画のもうひとつの面白い点は、前半二十日間までの内容を、後半の盛り上がりへの振りや溜めとして機能させているところである。そういう意味では、「大日本人」と同じ、スロースターターな映画だと感じた。前半あれだけダメな人間だった野見が、二十日間を終わった後で起こったある出来事の後からだんだん凄みを増し、親子の愛が深まっていくところは、多少スローで寸止めっぽい笑いの前半二十日間の部分がある事によってより引き立っている。ダメな事をずっと続けて、続けて、続けていれば最後にはすごくなる、かっこよくなるなんてとてもリアルじゃないか。これを、何か最初の方イマイチなんて思ってしまうなんてもったいないじゃないか。そう思う。
そして、最後の坊主役の元野狐禅、竹原和生(竹原ピストル)の朗読と歌のシーン。これはもう、これだけ見ても感動するんじゃないかと思うくらい、素晴らしくハマっている。この竹原ピストルが、刀は捨てても最後までさやは捨てずに持ち続けた主人公の侍の心を語り、勇気を与えてくれた娘への深い愛を語る。前二作と違い、最後に分かりやすくテーマを提示したという点で観客に親切な内容になったと思う。
松ちゃんのバラエティを見ていると、彼はスタッフや周りと話しして企画を練って練って提示するが、練って終わると後の部分は出演者に任せて知らんぷりで、出演者の意外性やアドリブでの笑いが出てくるのを待っている様なところがある。今回の映画で、前二作と違い自分が出演せず素人の野見さんに主役をさせたのも、それと同様の効果を期待しての事ではなかっただろうか。好みの違いはあるだろうが、何か新しい方法にチャレンジしたり、今までの映画とは違うものを作ろうという松ちゃんの姿勢を支持し、これからも驚かせてくれるんじゃないかという期待をしたいと思う。
Text by 石川達郎
2011年6月11日より、新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー
監督・脚本 : 松本人志
出演 : 野見隆明 熊田聖亜 板尾創路 柄本時生 / りょう ROLLY 腹筋善之介
清水柊馬 竹原ピストル / 伊武雅刀 / 國村隼