光のほうへ

誰だっていつかは一筋の光が見えてくることもある!

SUBMARINA1 白いシーツのようなもので囲われた赤ん坊のベッド、白く輝く光で満たされている。すべてそこにあるものが、光の中に溶け出してしまうかのように。赤ん坊の兄たちが、世話をしている。赤ん坊は差し出された指を必死に掴む。何かにすがるかのように。兄弟たちは、自分たちの手で赤ん坊に洗礼を施そうとしている。「父と聖霊の名により汝に命名する…」畏れ多いいたずらでもしているかのように。

 この美しく不思議なシーンがいつまでも心の中に残る。彼らの周りある生活は悲惨なものだ。母は女手ひとつで子供たちを育てている。父親はいない。なのに、こんな小さな赤ん坊がいるところをみると、色々複雑な事情もあるようだ。きっと、やりきれない気持で一杯なのだろう。母は仕事帰りに飲んでグデングデンになって帰ってくる。赤ん坊のところへは向かわない。真っ先にすることは、台所の戸棚に隠してあるアルコールを探すこと。そして、見つからないと言っては子供たちに当たり散らす。子供の顔を殴り続け、くたびれ果ててその場に倒れこみ寝てしまう。お尻の辺りから小水が染み出してくる。

 ところが、シーツのようなもので覆われた、この純白の世界だけはそうした外界からは隔絶しているように見える。そこだけは、穏やかで温かい空気に満たされている。このイメージは何だろう。天国…キリスト教圏の映画で天国が描かれると、そこは必ずといっていいほど、純白の世界である。そこは神の愛と至福から成る世界。外では、アルコールを飲み、煙草を吸い、万引きをするこの兄弟たち。しかし、ここでは神の愛に見守られて、ありのままの自分でいられるかのようである。赤ん坊を見つめる彼らの顔は、純粋で優しげだ。人は誰でもこんな世界では善である。このシーンを観ていると、作品が、性善説の元に作られていることを感じさせられる。
 
SUBMARINA2  大人になった兄と弟は決してまっとうな人生を歩んではいない。兄は偶然そこに居合わせただけの人の顔を殴ってけがを負わせ服役、出所したばかり。弟は子供こそいるものの、薬物中毒から逃れることができず、悲しい思いをさせてばかりいる。ふたりとも国の福祉に助けられ、毎日を無意味に過ごしている。世間的に見れば、はみ出し者である。では、彼らは悪なのだろうか。決してそうとは言い切れない。時折みせる兄の優しさ、弟の子供への愛は本物である。あの白い空間で見せた彼らの心は、身体の奥深いところでいまだに生き続けていることを感じさせる。

また、彼らの愚かな行いには、どこか悲しさがにじみ出ている。彼らは子供の頃のトラウマから抜け出すことができないのである。自分たちが家にいたというのに、赤ん坊を死なせてしまったこと。彼らの責ではないのだけれども、子供にとってこの傷は深い。その時から現在まで二人の人生に何があったのか。映画で描かれることはないのだが、本当の悲惨の始まりは、この事件の時だったことは間違いない。あんなに仲の良かったふたりが大人になっても全く話をすることもなく、バラバラに生きてきたこと、母親ともほとんど縁が切れていること、その破滅的な暮らしぶりを見れば充分に想像がつく。

生まれた時のスタートラインは、この兄弟も他の誰かといっしょだったはずである。あの純白の光が彼らを包みこんでいたはずである。どんなに不幸な人でも、どんなに悪い人でも、人は誰でも一度はこんな世界に住んでいた時代がある。まだよくモノが見えない赤ん坊は、光を求めて必死に手を伸ばす。人の温もりや幸福を求めて何かを掴もうとしているかのようでさえある。

しかし、この純白の世界は、外界のさまざまな汚れによって、濁っていく。そして日ごとに濃さを増し、光は求めても遠ざかっていくのである。光を遠ざける第一の要因は、やはり親なのだろう。最初に身近に接する存在だからだ。親が荒れていれば、子供も荒む。その子供が親になったとき、再び同じことを繰り返す。弟の子供は、決して暴力こそ振るわれてはいないのだが、悲しい思いをしていることに変わりがない。

SUBMARINA-MAIN 母を亡くし、父一人。定職を持たない父親は冷蔵庫の中が空っぽになっても、そこに食べ物を詰めることはできない。幼稚園にお弁当を持って行くことさえできない日もある。きっと、友だちからもからかわれたりすることもあるだろう。それでも、息子は幼いながらに、そんな父親を気遣い幼稚園の遠足のお知らせを隠していたりする。それが哀れである。けれども、こんな状況でも人は一筋の光を求めて、もがき続ける。そうしていれば、いつかは一筋の光が見えてくることもある。不幸の連鎖もきっかけさえ掴めば、断ち切ることができる。それを示す映画のラストシーンは大変に素敵である。トマス・ヴィンターべア監督の思いがそこに集約されているのではなかろうか。

ところで、この作品を観ていて気になるのは、デンマークが、2010年幸福度調査で、世界124カ国中1位に輝いた国であるということだ。映画には、そんな実感はない。確かに、失業している人間でも、アパートが与えられ、スポーツ・ジムに通うことができ、子供も幼稚園に行かせられるといった様子は見えてくる。ところが、そんな恵まれた福祉国家にも、落とし穴があることがわかってくる。

具体的には、生活保護を受ければ、子供を施設に預けなければならないというしくみ。要するに育てる力がないのなら国で面倒を見ましょうということなのだが、これは一見親切なようでいて、残酷なものであると言わざるを得ない。当たり前のことではあるが、保護を受けるということは、それに伴って制約も受けるということなのである。だから、人は手厚い福祉を受けたところで、必ずしも幸せになれるわけではない。福祉はいざという時の保険である限りにおいて人を幸福にするが、実際受けざるを得ない時には、必ずしも人を幸福にはしないのだ。そういう意味では、デンマークにはデンマークの不幸が確かに存在している。まさに、「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」という『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一節が思い起こされるのである。

オススメ度:★★★★★
Text by 藤澤 貞彦


監督・脚本:トマス・ヴィンターベアー
共同脚本:トビアカ・リンホルム
原作:ヨナス・T・ベングドン「サブマリーノ夭折の絆」(5月31日発売)
出演:ヤコブ・セーダーグレン、ペーター・プラウボー
パトリシア・シューマン、モーテン・ローセ
配給:ビターズ・エンド
2010/デンマーク/114分
原題:SUBMARINO
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/hikari/

6月4日、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー



イベントも開催予定!!

SUBMARINA3◆第一弾 「負の社会遺産、そこから光をみつけて」
日時:6月10日(金)19:10回上映終了後(予告編上映無し 21:04~約30分)
場所:シネスイッチ銀座
登壇:東ちづる(女優)×信田さよ子(臨床心理士・原宿カウンセリングセンター所長)
◆第二弾 映画監督・西川美和が語るデンマーク映画『光のほうへ』
日時:6月18日(土) 18:30~(18:00開場)
場所:ジュンク堂書店 新宿店8階 喫茶コーナー入場料:1,000円(ワンドリンク付き)
登壇:西川美和(映画監督)×門間雄介(編集者・ライター)受付7階案内カウンター( 電話予約受付 03-5363-1300)

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