「アメイジング・グレイス」名曲の陰に迸る若き政治家の信念

国を超えて、時代を超えて歌い継がれる名曲「アメイジング・グレイス」。9.11のNY同時多発テロ以降歌われることがさらに多くなったが、日本ではヘイリー・ウェステンラが歌ったTVドラマ「白い巨塔」(2003)の主題歌として記憶している人も多いかもしれない。

しかし、この曲の歌詞が奴隷貿易廃止運動に努めたイギリス人によるものだということは、あまり知られていないのではないだろうか。ジョン・ニュートン(1725-1807)は奴隷船の船長として多くのアフリカ人をアメリカ大陸に送り込んでしまった過去を悔やみ、聖職者に転向。彼が歌詞をつけたいくつかの讃美歌のひとつが、この曲だ。そして、ニュートンに影響を受け、奴隷貿易廃止を訴えた政治家、ウィリアム・ウィルバーフォース(1759-1833)が、本作の主人公となる。

映画は、奴隷貿易廃止法案が何年も廃案になり続け、心身共に疲弊したウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)の姿から始まる。若さと自信と情熱に満ち溢れていた過去と、それらを失いかけた現在を交錯させながら、仲間とともに法案通過を勝ち取るまでを描く。議場での演説や政治家同士の駆け引きなど、なかなか政治色の強い内容だが、これが非常に興味深い。時は18世紀末、大英帝国の富裕層は奴隷貿易で潤っていた者も多かったが、世間一般の人々の関心は薄かった。ウィルバーフォースの戦いは自国の利益と、人々の観念の変革に対する、困難な戦いでもあった。奴隷貿易廃止が正しい道だとわかっていても…、いや、正しさこそ狭き門なのだろう。

しかし全編固すぎる内容というわけでもない。18歳年下の才気溢れる女性、バーバラ(ロモーラ・ガライ)との出会いや、24歳という若さで英国首相となったウイリアム・ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)との友情など、ドラマとしての見せ場も多数。念願の法案通過時に帽子ならぬカツラを思わず外した議員、最後まで反対していた議員の「ノーブレス・オブリージュ」な態度にも拍手を送りたくなる。「アメイジング・グレイス」の旋律が劇中で流れるのは3回のみだが、ラストのバグパイプの演奏は圧巻。イギリスの歴史と誇り。マイケル・アプテッド監督の思いが伝わってくるようなラストだ。

ちなみに本作は2006年に製作され、トロント映画祭のクロージングで上映。英米では奴隷貿易廃止200年後の2007年に公開されているが、日本での公開までには長い時間を要している。「見えなかった目も、今は見える」…作詞者のニュートンは晩年目が見えなくなっていたそうだが、歌に載せた彼の思いは間違いなく今も伝播している。

自国や自分の利益のみを追求することにより生まれた社会の歪み。「誰か」のために献身することがなくなってしまったこの時代。でも、日本にも、そんな人物やそんな時代がかつて存在していたはず。現代日本に生きる私たちにとっても考えさせられる1本だ。

Text by 外山 香織

オススメ度★★★★☆

製作国:英 製作年:2006年
監督:マイケル・アプテッド
出演:ヨアン・グリフィズ、ロモーラ・ガライ、ベネディクト・カンバーバッチ、アルバート・フィニー
公式サイト

2011年3月5日(土)銀座テアトルシネマほか全国ロードショー
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