柳下美恵のピアノ&シネマ2024~『結婚の制限速度』『キートンのカメラマン』

『キートンのカメラマン』は幻の映画だった 解説:新野敏也さん

【キートン、ニューヨークへいく】

新野「MGMと契約したキートンは、最初ニューヨークのコメディアンとして売り出そうとしたので、作品中に、ニューヨークの名所が出てまいります。チャイナタウンでの抗争で警官に救われた後に救急車が出てきますけれども、ベルビューという実際にある病院の名前が書かれています。
はじめと終わりに出てくるパレードの紙吹雪ですが、これは、リンドバーグの大西洋無着陸横断飛行の功績を讃えてニューヨークで行われた、凱旋パレードの実際のフィルムを使っています。ラストもリンドバーグのパレードですけど、ストーリー設定では、何日もかかっているはずの物語なのに、なぜ最初と最後に2度リンドバーグのパレードが出てくるのかは謎でしたが、字幕で水曜日って書かれていたのを手掛かりに色々と調べたたことで、それがわかりました。1回目は間違いなく大西洋横断飛行の凱旋の時のものです。それでラストはリンドバーグが、陸軍から勲章をもらった時のパレードだったのです。その時、彼は陸軍航空隊の大尉を退役していましたので、本来は退役後は受勲できないのですが、大西洋無着陸での横断飛行の功績から特別に陸軍から勲章をもらったのです。この時に撒かれた紙吹雪の量というのは、ギネス記録になっていて今も破られていないようです。実際の量ちょっと忘れちゃったのですけど、第二次世界大戦で、イギリス全土で使った紙の量よりはるかに多かったということです。たった数日でそれだけの紙が消費されたということで、しばらくの間、ニューヨークでの名物となっていたようです」

【名優、お猿のジョセフィーヌ】

キートンとジョセフィーヌ ©喜劇映画研究会

新野「この映画でもうひとつ印象的なのはお猿さんですね。ニューヨークの街角で手回しのオルゴールを猿使いが回しているのですが、それをお猿さんが憶えていたというのが映画のポイントになっています。手回しのオルゴールと報道カメラの手回しの動き、それとチャイナタウンの機関銃の手回し、それが全部同じ動きなので、学習していたお猿さんが全部使いこなせたというところですね。ちなみに当時の報道カメラは、小型で機動力を高くする必要からモーター駆動は使えず、手回しだったのです。
このお猿さんはジョセフィーヌいう名前で、種類はオマキザルだそうです。実際、映画史の中でもほとんど触れられていないので、あまりわかってないのですけど、調べた限りでは、ハロルド・ロイド、ちびっこギャング、ローレル&ハーディを生み出したプロデューサーのハル・ローチが、イタリア人の調教師に育てさせたらしいです。1907年生まれだそうです。細かいところまではよくわかりませんが、この前後でハル・ローチの作品やフランク・ボーゼイギ監督のメロドラマ『街の天使』にもこの猿は出ています。『チャップリンのサーカス』で、チャップリンが綱渡りしているところで猿が出てきますが、それもそうなのではないかと言われています。ハリウッドではお猿さんの大スターだったようです。長い間活躍しているので、ひょっとしたら二代目がいたかもしれないですけれども、とにかく芸達者で、キートンに踏みつぶされて気絶していたのが、しばらくして目覚めるところでは、スローモーションで撮っていますけど、演技で痛そうな顔しているのですよね。凄い表情豊かで芸達者で可愛いらしいなと思いました」

【『キートンのカメラマン』は幻の映画だった】

柳下「この映画は、長い間幻の映画と言われていたそうですが、その辺のお話をしていただけますか」

新野「まず、キートンは、この映画を撮影している最中に離婚訴訟を起こされ、それで全財産を失ってしまいます。その後に人気が落ちたということもありまして、1950年代までキートンの映画は3作品しか世の中に流通していなかったということがあります」

柳下「3作品というのは何ですか」

新野「『大列車追跡(キートン将軍)』『キートンの大学生』『キートンの蒸気船(キートンの船長)』その3本だけが、映画会社がたまたまユナイトで、版権登録していなかったので、自由に誰でもフィルムを買って上映できていたのです。逆にそれ以前のキートンプロダクションで作られたものはすべてMGMの前身のメトロという映画会社で作られたという関係で、メトロが勝手に再編集して売り出さないようにキートン自身が管理していたのです。ところが、自己破産してしまいネガごと屋敷が売却されてしまったために、上映できなくなってしまったのです。
1952年から3年に、あのイギリスの名優のジェームズ・メイソンがキートンの屋敷を買い取ります。キートンの屋敷は凄く大きくて、映画の『ゴッドファザー』の中で、馬の首を投げ込まれる大金持ちの家という設定でキートンの屋敷がそのまま使われているのですが、そのガレージの中からキートンのフィルムが『キートンのセブン・チャンス』『海底王キートン』など代表作だけでなく短編も含めてすべて発見されて、それから上映できるようになったのです」

柳下「キートンがそのまま置きっぱなしにしていたってことですか」

新野「はい。離婚の後アル中になり、仕事も減り生活が精いっぱいということもあったので、そのままになってしまったのですね。ガレージからフィルムが発見されたのは、丁度キートンと同時代のマック・セネットとか、ハロルド・ロイドとかが全て過去の人になりつつある頃に、突然サイレント映画というのが見直されブームになり始めた時だったので、キートンの映画も『キートンのセブン・チャンス』『海底王キートン』『探偵学入門』などが復刻されました。
けれども、『カメラマン』と次に作られた『結婚狂』は、MGMがそのまま管理していて忘れ去られていました。それでもこのブームを買って再上映しようということになったのですけど、倉庫に行ったら一巻目が全くなくなっていたのと、フィルムの管理が悪くて、ネガのパーフォレーション(横についている穴のこと。これを歯車で送ってフィルムが動く仕組みになっている)が縮んでいて歯車に合わなくなり、現像さえできない状態になっていました。その後に、何かしらの技術で復刻はできるだろうと思われていたところで、1960年代の前半にMGMの倉庫が火事になり、『カメラマン』と『結婚狂』は燃えてしまい、もう永久に見られないという事態になってしまいました。それが幻の映画と言われた所以です。
ところが、1960年代後半にパリでたまたまこのプリントが発見されます。その後にもう1度1980年代に、もっと綺麗なプリントが発見されました。今日上映したものは、その2つを合わせて復刻したものを使用しています。さらに1980年代に発見されたフィルムは、メディア王のテッド・ターナーが1990年代に、すごい金額をかけてゴミを全部除去して復刻します。今海外版で出回っているBlu-rayはこれを使用しています」

柳下「確かに幻の映画と言われるわけですね」

新野「映画が失われたと思われていた時代には、この作品は観るに堪えない愚作だっていうふうに言われていました。昔の評論家とかが、MGMに移ってからのキートンがアル中だったことと、自叙伝でキートン自身がMGMへの移籍は人生の失敗だったと言っていたこと、その言葉に合わせてMGMに移った以降の作品というのは、愚作で観るに堪えないという風に触れ回っていたので、今と違い情報がそれしかない時代、世間的にもそういうものだと思われてしまったのですね。ところが、再上映されると同時にこの作品の世間の評価はがらりと変わりました。観るに堪えないなんて、それは全部デマじゃないかと。当時、映画会社の筆頭であったMGMでは、『キートンのカメラマン』が新人監督、もしくは監督を目指す人が入社した際の教育用の作品として使われていたそうです。内容とか含めて、映画の文法でサイレント映画を勉強するんだったら『カメラマン』を観なさいということですね。
それで、あの自慢になりますけど、この作品を戦後初公開したのは喜劇映画研究会です。1985年、代表があのケラリーノ・サンドロヴィッチさんから僕に代わった時の第1回の上映会がこれでした。アルゼンチンに、パリで発見されたフィルムを買い取った大富豪がいまして、その人から複製を譲り受けて、上映会ができたのです。自主上映なので、雑誌の「ぴあ」の欄外にしか載らなかったのですが、幻で見られないはずの映画が上映されるというので、大入り満員になりました。高名な映画評論家や、後に国立映画アーカイブで活躍されることになる学生さんが、他のお客さんと一緒にお並びになり、入って来られました」

【おわりに 映画館で映画を観るということ】

今回の「ピアノ&シネマ」では、柳下美恵さんがゲストの方たちに、映画館で映画を観ることについての意義について質問をされていた。新野敏也さん、別の日の解説者宮下啓子さん共に、映画館はほかの観客との一体感が生まれること、特にピアノの生演奏による映画体験は、毎回毎回違っていることもあって、今この時だけのものと答えられていた。そんな話を聞きながら私は、かつてマルクス・ブラザースのコメディを観たときに、映画館が爆笑の渦に包まれた時のことを思い出していた。自宅のテレビで観たらそれほど可笑しくないシーンでも、映画館では、いったん笑いが起こると相乗効果もあって、誰もが笑いが止まらなくなってしまうのである。その幸福感たるや。それと、横浜シネマリンでの柳下美恵さんの演奏による『裁かるゝジャンヌ』での、客席にもみなぎった緊張感。この幸福な映画体験。まさにこれらは、この時だけの2度と体験できないものである。ネット配信による映画鑑賞というスタイルが定着してきた今だからこそ、自分自身このような体験を大切にしたいし、「映画館で映画を観よう!」と声を上げていきたい。

プロフィール

【柳下美恵 (やなした みえ)】
武蔵野音楽大学有鍵楽器専修(ピアノ)卒業。
1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された映画生誕百年祭『光の生誕 リュミエール!』でデビュー。以来、国内海外で活躍、全ジャンルの伴奏をこなす。
欧米スタイルの伴奏者は日本初。2006年度日本映画ペンクラブ奨励賞受賞。 ピアノ(オルガン)を常設する映画館を巡る全国ツアー「ピアノ×キネマ」、サイレント映画の35ミリフィルム×ピアノの生伴奏“ピアノdeフィルム”、 サイレント映画週間“ピアノ&シネマ”などを企画。映画館にピアノを常設する“映画館にピアノを!” の呼びかけなどサイレント映画を映画館で上映する環境作りに注力中。
<公演情報>
柳下美恵のピアノdeフィルムvol.12
『人生劇場』[無声版] 『愛の一家』[無声版]
2024.6.15[土]& 6.16[日] 各日13:50から
会場:横浜シネマリン
詳細https://cinemarine.co.jp/

【新野敏也(あらのとしや)】
本年11月で結成48年目となる喜劇映画研究会の二代目代表。所蔵フィルムと関連資料を活動の軸にイベント開催、学校、各種メディア、公共機関などの講演や企画協力など、全国を飛び回る。映画史的な観点だけでなく、時代背景や風俗の研究によって導き出した、演出やギャグの分析には定評がある。劇映画に関する著作も多数。最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」著者:マック・セネット 訳者:石野たき子 監訳:新野敏也 好評発売中
ホームページhttp://www.kigeki-eikenn.com/
X(ツィッター) https://twitter.com/kigeki_eikenn
ブログ「君たちはどう笑うか」https://blog.seven-chances.tokyo/

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