【TIFF】雪豹(コンペティション)

東京グランプリ受賞。ペマ・ツェテン監督渾身の遺作。

 『オールド・ドッグ』以来、ペマ・ツェテン監督の作品をずっと追いかけてきた。残念ながら遺作となってしまった本作では、彼の作品でおなじみの動物たちが揃って登場する。羊、チベット犬である。羊と犬はチベット人にとって生活と深い関係がある生き物であり、それらを描くことは、チベット人の生活を描くことと同義である。彼の作品の中に常に流れていたのは、チベット人のアイデンティティの問題であった。漢族に犬をやるくらいだったら殺してしまったほうがましといった『オールド・ドッグ』、中国人としてのIDカードが決して彼が誰であるかを証明することにはならないという皮肉を描いた『タルロ』、幻想と現実の境をあいまいにしてチベット仏教の輪廻転生の死生観を見せた『轢き殺された羊』、チベットの伝統と国家の政策の間で苦しむ現代の女性の姿を描いた『羊飼いと風船』そして『雪豹』では、農場で9匹も羊を殺した雪豹をめぐり、牧畜農家の家族、チベット僧、外から来た人々の対立が主題となる。

 地方のテレビ局のレポーターとカメラマンが、チベットの高地にある村に雪豹を撮影しようと出かけていく。案内役は、レポーターの学生時代の友人だった雪豹法師と呼ばれているチベット僧。いつもカメラを抱え、雪豹を撮影していることから、そう呼ばれることになったという。彼の実家では、今まさに9頭の羊を殺めたという雪豹が、羊の囲いの中に捕らえられていた。この作品には、不思議なことに中心となる人物は存在しない。その代わりに常に物語の中心に雪豹が存在している。雪豹を巡るそれぞれの人の立場こそがこの映画の主題なのである。とてつもなく大きな損害が出たから雪豹は殺すと息巻く僧侶の兄、若い人の考え方は私らとは違う、雪豹は逃がすべきと言う彼らの父親、国家一級保護動物だからすぐに逃がすべきと主張する役人、それぞれの思いが交差する。

 突然雪豹法師が羊の囲いの中に足を踏み入れる。羊の囲いは、大きな堀となっており飛び降りられる高さにはないのだが、彼自身も気が付いたらそこにいたと言う。雪豹と僧侶の目と目が合い、そこに何か不思議な情愛のようなものが流れる。ここから雪豹と僧侶の不思議な物語が、美しい映像によって語られる。雪豹はCGによって描かれているが、それが余計におとぎ話的なムードを漂わせている。この不思議な感覚は『轢き殺された羊』にも通じるところがある。夢なのか、現実なのか、それともこれは過去にあった因縁であり、輪廻転生によって、再び両者が邂逅したということなのであろうか。いずれにしても雪豹は、単なる動物ではなく、神聖ささえ帯びてくるのである。それが、いかにもチベット的である。雪豹を殺さず、逃がそうと言っている点においては、誰もが同じであるにも関わらず、なかなか話がかみ合わないのは、魂で感じている者と、頭で考えている者との違いがあるからに他ならない。

 一方ペマ・ツェテン監督作品の常連であるジンパ(役名も同じ)、雪豹法師の兄は、粗暴な人物で、ほぼ全編にわたりどなり散らしている。テレビ局のレポーターに不満をぶつけ、役人とは話し合いにならず、警察まで呼ぶことになってしまう。しかし、なんとも異様な人物として描かれている彼の主張は、整理してみるとそれほどおかしなことを言っているわけではない。むしろ、この人物が一番現実的に物事を見ているのである。羊を2頭殺されただけだったら、それは自然の摂理ということで構わない。9頭も殺されては、損害が大きすぎて生活が成り立たなくなるから問題なのだ。政府から補償金が出るといっても、すぐに出してくれなければ信用できない。もし仮に役人の言うままに雪豹をすぐに逃したら、証拠が無くなり、うやむやにされるのが落ちだ。すぐに逃がせ、でもお金はすぐに払えないと言うなら、いっそのこと雪豹を殺して、これ以上の損害を出さないことが先決であると。

 最近、これは現実に中国で起こっている。今年の7月末、河北省涿州で起こった洪水に対しての地方政府の対応である。家畜の被害につき役人が確認したうえで保障するというお達しが出されるのである。季節は夏。そこには、長い時間家畜の死体を放置することは不可能であるから、確認を遅らせることによって少しでも補償金を節約しようという意図があったとも言われている。被害があまりにも大きかったため、地方政府にはそれを復旧するだけのお金が十分になかったという事情もある。ところが農民たちはその意図に反し、死体をそのまま放置するという行動を取ったことから、衛生的に劣悪な状態となり、それが問題となったのだった。もしかすると、こうしたことは中国では度々起きていたことなのかもしれない。ジンパの主張は、まさにこの構図と一致している。彼の言動が、変わり者のエキセントリックな雄たけびにしか見えないのは、あくまでも見せかけで、そこに政府への批判をしのびこませるという意図が持たされていたのかもしれない。

 ずっと黙っていたジンパの妻が、役人たちに向かってひとことだけ激しい言葉をぶつけるのも印象的だ。「折角食事を提供しようとしているのに、それを拒むなんてあなたたちは私たちを見下しているのか」と。「雪豹を逃がせば、羊の補償はします」一見穏やかにふるまっていた役人たち。けれども彼女は、その本質を見抜くのである。一見すると、チベットの人たちと溶け込み、客観的に取材しうまくやっていたテレビ局のレポーターにしても、雪豹の映像を自分の踊りの素材に使おうとする、彼の恋人の存在によって、その本質が暴かれてしまう。彼にとっても雪豹は動物として美しく興味深い存在ではあるが、それは所詮非日常なのである。結局彼もチベットの人たちを理解しているふりをしているに過ぎないことが明らかになるのである。

 この映画には悪い人は出てこない。テレビ局のクルーも、チベット人の家族も、役人も、警察官も真面目で、いい人たちである。けれども雪豹に対しての立場の違いによって、それぞれの本質が暴かれていく。見事としか言いようがない。この作品は『オールド・ドッグ』的なもの、『タルロ』的なもの、『轢き殺された羊』的なもの、『羊飼いと風船』的なもののすべてが散りばめられており、そういう意味では集大成的な作品になっている。まさか自らの死を予感していたのか、それともこれが新しい世界を切り開くための分岐点となる作品だったのか今となってはわからないが、彼の死が惜しまれてならない。


第36回東京国際映画祭
会期:令和5年10月23日(月)~11月1日(水)
会場:シネスイッチ銀座、丸の内TOEI (中央区)、角川シネマ有楽町、TOHOシネマズ シャンテ、TOHOシネマズ 日比谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、丸の内ピカデリー、ヒューリックホール東京、丸ビルホール、東京ミッドタウン日比谷 日比谷ステップ広場、有楽町micro、東京宝塚劇場(千代田区)ほか
公式サイト:https://2023.tiff-jp.net/ja/

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