サイレントシネマデイズ2023『イタリアの麦藁帽子』
2023年10月3日、サイレントシネマ・デイズ2023『イタリアの麦藁帽子』ルネ・クレール監督。国立映画アーカイブ長瀬記念ホールにて柳下美恵さんの伴奏付きで鑑賞しました。
『イタリアの麦藁帽子』これは、元々ヴォードヴィルとして上演されていた原作をルネ・クレール監督が権利を買い取り映画化した作品。1927年製作、28年公開。『ジャズ・シンガー』がすでに登場し、世の中ではトーキーへの期待が高まっているときに、台詞の可笑しさで笑わせる演劇の脚本をルネ・クレールが買った。もしやトーキーを作ったのかと思った人もいたかもしれない。ところが出来上がった映画は、サイレント。しかも中間字幕は2時間近い映画の中でたったの24枚。この当時の最少記録だという。登場人物も多く複雑に絡み合うヴォードヴィルの映画化作品の字幕がたったの24枚。ここにルネ・クレール監督のサイレント映画への、映像の力へのこだわり、執念のようなものを感じてしまう。
ずいぶん登場人物が多い映画なのだが、小道具の恩恵でそれぞれの役どころがはっきりとし、観客は決して混乱させられることがない。結婚式の準備をする人たちのささやかな混乱。ある人のブーツはサイズが合わず、手袋はなかなか入らずそのうち片方を無くし、老婦人の夫のネクタイは滑り落ち、花冠のヴェールのピンは花嫁の背中に紛れ込む。これらがすべて人物紹介と結びついている。あまりに印象的なので、そこでもう登場人物の顔が観客の頭の中に入ってきてしまう。そのうえこれらの不器用でささやかな混乱が、映画の全編を通して繋がっていきギャグへと昇華していくのである。
不倫中の男女が茂みに置きっぱなしにしていた麦藁帽子。それを主人公の花婿(アルベール・プレジャン!)の馬が食べてしまう。「あの帽子がないと夫に不倫がばれてしまう」と騒ぐ女と、同じものを持ってこない限り許さないという相手の男。これにより起こる混乱が、この映画の大きな筋となっているのだが、これを縦糸にして、冒頭のブーツや手袋、ネクタイが横糸となって、映画に笑いのアクセントをもたらしている。
この映画でもうひとつ面白かったのは、耳の遠い、花婿の伯父の存在である。これもまたラッパ型の補聴器(イヤートランペットというのだそう)に何かが詰まり、ずっと不調なことによって、さまざまな笑いをもたらしている。教会の神父さんの退屈な話を、隣の人の反応を見て表情を作っている(笑ったり、感心したような顔をしたり)ところなどは、単なる笑いにとどまらず一種の皮肉を感じてしまう。音が聴こえないことによる人とのズレは、終始この叔父に付きまとい、それが直った時には逆に更なる混乱を引き起こす結果となる。とても皮肉だ。それにしても、これはサイレント映画である。それなのに、音をネタとしたギャグが映画の全編を通して流れていて、そのうえ物語に重大な波乱を引き起こす原因ともなってしまうなんて、なんとも凄いことである。このあたりにもルネ・クレール監督のサイレントへのこだわりを感じてしまう。サイレント映画というものは、ここまで表現が完成されていたのかという驚きもある。
今回の上映は、柳下美恵さんのピアノの伴奏で行われた。これも幸福な映画体験。パリのエレガントを感じる冒頭から始まって、ダンスシーンの音楽の自然さ。特にこのシーンでは画面上のピアノ弾きを子供が邪魔をして、変な音が流れるところがあるのだが、画面から音が出ているのかと、一瞬錯覚したほどである。中間字幕が少ないことから、その分この映画ではピアノが語る、語る。効果音、セリフのニュアンス、気持ちや情景をメロディにして109分間語り続ける。もしかしたらこの映画は、サイレント映画の伴奏の中でも、ひときわやりがいのある作品ではなかったのかとも想像する。(勝手な想像ですが)会場は拍手がしばし鳴り止まなかった。